仕事に就くのではなく、地域につく。移住者と地元嫌いだった能登出身者が運営する「能登の人事部」

移住を考えるときには、さまざまな要素を考慮して迷って迷って決断をすると思いますが、中でも重要な要素の一つが「仕事」ではないでしょうか。どんなに自然環境や教育環境に恵まれていても、その地域にいい仕事がなければ、移住を思い切ることは難しくなります。

能登半島にある石川県七尾市では、移住希望者をサポートする「能登半島・七尾移住計画」に加え、地域に根づいたここだけの仕事が載る求人サイト「能登の人事部」を立ち上げました。その狙いは移住者の支援だけではなく、地域全体の働き方を考え魅力的なまちにしていくことだといいます。

能登で移住コンシェルジュを務める太田殖之さんと、「能登の人事部」コーディネーターの圓山(えんやま)晃歩さんに話を聞きました。

太田 殖之(おおた のぶゆき)さん
東京都出身。デザイナーを経て、地域づくりの世界へ。人材育成、コミュニティビジネス等の創業支援、拠点づくりなど地域活性化全般に関わる。2014年、妻の実家がある石川県七尾市へ移住。(一社)能登定住・交流機構の事務局長として能登地域の移住支援・雇用創出に取り組む。2017年、移住者3名と七尾市地域の活性化を目的に株式会社おやゆびカンパニーを設立。活動の第一弾として七尾市高階地区に古民家体験型カフェろくでなし&ゲストハウスB&B45を開業。同年10月より、七尾街づくりセンター株式会社の移住コンシェルジュに。都市部からの移住希望者の支援に取り組んでいる。

圓山 晃歩(えんやま あきほ)さん
1993年、石川県羽咋市生まれ。2016年京都外国語大学国際教養学科卒。大学進学に伴い地元を離れたことで、地元の課題こそ自分の可能性だ!と逆転の気づきを得てUターンを決意。大学4年次に七尾市にある民間まちづくり会社(株)御祓川にて半年間のインターン【能登留学】に参加し、地域で働くことを志す。インターンを機にUターンし、現在は㈱御祓川で正社員として働く。現在、母校の羽咋高校にて「地域未来塾」を実施。

そもそも「能登の人事部」とは

「能登の人事部」は、基本的には地域の仕事を紹介する求人サイトです。ただし、掲載されるのは地域に根づいた仕事だけで、たとえば能登島の民宿の女将や、高級しいたけ栽培会社の次期社長候補など、一般的な求人サイトやハローワークの求人などにはなかなか載りにくい内容です。

そして、その求人記事に書かれているのは、仕事内容や福利厚生などの条件だけではありません。事業に対する社長の思いや、今抱えている課題、地域との関わり、そこで働く人たちについてもしっかりと書かれています。

太田殖之さん

太田さん「能登の人事部が目指しているのは、能登を、小さい企業が多い中でもしっかりとした人材を獲得していきながら人を育てていけるような地域にしていくことです。規模が小さい会社は、採用活動にも人材教育にも手がまわらないところが多いので、まずそれを我々で引き受ける仕組みをつくりました。

そういった小さな企業が求めるのは、単なる働き手ではなく、会社や社長の思いに共感して一緒に働きたいと思ってくれる人です。そのために、どんな社長さんがどんな思いで会社を立ち上げて、どんな人が働いていて、どんな暮らしをしているのかまでわかるような記事を掲載して、応募を考える人には実際に社長さんと話しをしてもらえるようにしています」。

都会よりもさらに人材難が深刻な地方ですが、そんな中でも必要とされているのは「働き手」ではなく、一緒に働いてくれる「人」です。そんな「人」を探す仕組みとして「能登の人事部」がつくられた背景には、8年前から行われている能登を舞台とするキャリアデザインプログラム「能登留学」という制度があるといいます。

その「能登留学」のコーディネーターを務める圓山さんは、七尾市の隣の羽咋(はくい)市出身。京都の大学を卒業後、地元のまちづくり会社である株式会社御祓川(みそぎかわ)に就職し、「能登留学」に携わるようになったそうです。

圓山晃歩さん

圓山さん能登地域には大学がないため、若者は大学進学を機に地元を出ていってしまいます。私自身もそうでした。そこで外部から大学生をインターン生として呼び込もうというのが「能登留学」です。その中で、インターン生もいいけれど、人を採用したいという声を聴くことが多くなり、人材紹介できる仕組みをつくることになったんです」。

「能登留学」を経験した学生は、祭りのときなど年に1度は帰ってきて、そこには住んでいなくても地域の一員となっているそうです。能登留学によって地域を担う若者は少し増えました。しかし、産業の担い手が不足している状況は変わらず、そこで「能登の人事部」が発足することになったのです。

暮らしと、仕事の両方に窓口を。移住を相談しやすい地域づくり

能登の人事部は移住者だけを対象にしたサービスではありませんが、地域の人材難の状況を考えると、全国から広く人材を集めることが必要になります。そのため、能登の人事部は「能登半島・七尾移住計画」という移住者向けのサービスと連動しながら仕事の担い手を探しています。

七尾移住計画にも携わる太田さんも実は移住者。もともと東京でまちづくりなどに関わる仕事をしていて、5年前に奥さんの故郷である七尾市に移住してきたそうです。

太田さん移住の一番の理由は七尾で子育てをしたかったからです。上の子どもが小学校に上がる時、ちょうど新幹線が開通するタイミングで、石川県が人を呼び込むことに力を入れていました。そこで能登への移住をサポートする「一般社団法人能登定住交流機構」の立ち上げに関わり、事務局長として能登全体の移住に関わる仕事をしていたんですが、七尾に腰を据えたいと思い、2017年の10月から七尾街づくりセンターで移住コンシェルジュという仕事をすることにしたんです。

そこで2018年の4月に立ち上げたのが「能登半島・七尾移住計画」です。これは都会から地方への人の流れをつくるために、地方でもいろいろな物事を生み出していることを発信するのが主な目的です。そのため、これまで移住してきた中でいろいろなことに挑戦している人たちに声をかけて、みんなで移住しようとする人をサポートする体制をとっています。具体的には、移住してきた人や地元の若い人たちが楽しめるようなイベントを仕掛けたり、移住希望者が来たときにこれまでに移住してきた人たちを紹介して、お酒を飲みながら暮らしの話をしてもらったりしています」。

移住者の窓口として「能登半島・七尾移住計画」があり、求職者の窓口として「能登の人事部」がある。そのどちらからアクセスしても、能登に移住して暮らすことを具体的に相談できる体制が整えられているのです。

そうは言っても、移住も転職もそう簡単なことではありません。特に能登は、単純に「田舎暮らしに憧れて」移住先を探す人にとってはややハードルもあると太田さんは言います。

移住者交流会

太田さん「能登の4市5町は「能登の里山里海」として世界農業遺産に指定されているので、その生活を保全して次世代へと継承していかなければいけません。そのため、移住者にもその日々の営みを守っていくことに共感してもらって、その一員になってもらわなければなりません。だから、人によっては能登ではなく金沢などを勧める場合もあります」。

しかし、実際にその文化、特にお祭りに触れて、その魅力を感じて貰えればすぐに虜になってしまう人もいるといいます。

太田さん能登は能登國として、1300年の歴史があります。能登は祭りが非常に盛んですが、一説には祭りは大陸から能登に入り、日本中に伝搬したと聞いたこともあります。地元の人達もお祭りを大事にしていて朝ドラで能登が舞台になったときには「祭りのときに休めない会社はやめてしまえ」という台詞があったほど。僕のいる七尾では5月に「でか山」という大きなお祭りがあって、その準備が始まる3月を起点に1年が始まると感じるくらいです。

能登のまちの多くは神社を中心にできているので、神事としての祭りに参加することが地域に関わることでもあります。だからお祭りに参加する人は若い人でも地域の活動に積極的に参加しますし、地域を大切にしようという気持ちを持っている人が多くいます。実際にお祭りに参加してみると、自然とその地域が好きになって移住を決めたという人もいました」。

能登キリコ祭り

能登キリコ祭りに参加する太田さん

大切なのは、実際に地域の文化や暮らす人たちに触れて、自分に合う場所かどうかを肌で感じてもらうこと。実際に移住者として肌で感じてきた太田さんだからこそ、能登の人事部でも、仕事で関わることになる人に焦点を当て、共感してもらうことを重視しているのではないでしょうか。

一度は地元を離れてもいい。でも、地方には可能性があると感じてほしい

移住者という立場から仕組みを作り推進してきた太田さんに対し、地元出身の園山さんはどのような思いで「能登の人事部」に携わっているのでしょうか。今は地元のまちづくりに関わっている圓山さんですが、高校生までは地元が嫌いだったのだとか。

圓山さん出身は羽咋市で、親が司法書士をしていたこともあってどこに行っても圓山さんちの子だねって言われるような環境で育ったんです。だからプライバシーもないし、遊ぶところもないし、おしゃれでもないし、生きづらさを感じていて地元が嫌いでした。それで京都の大学に進学しました。

ただ、都会で暮らしてみると、3年間住んだマンションの隣の人の顔も結局知ることがなくて。田舎では当たり前にあった近所付き合いが当たり前のものではないと気づいたし、当たり前にあった自然も恋しくなりました。

地元にいたころは、羽咋なんてなにもないし可能性もないと思っていましたが、一度外に出てみて、ないならつくればいいし、課題があるならそれを解決すればいいと思うようになったんです。それでまちづくりに携わりたいと思うようになりました。

今はプライバシーがないこともあまり気にならなくなりました。むしろそのおかげで助けられることのほうが多いですし、強さも身についてきたので」。

学生の頃は息苦しさの素だと感じていたものが、実は地域の人々を支えていることに地元を離れて初めて気づいたという圓山さん。今は、地元の若い人たちに地元の可能性を感じてもらいたいと活動をしているそうです。

子どもたちも参加した田植え体験

圓山さん能登の子どもたちは地元を離れるものだし、私も一度は出ていっていいと思っています。ただ、そのときにたくさんの気づきが生まれるためには、地域と関わる経験が必要だと思うんです。高校生活ってほとんど学校と家の往復で終わってしまって、地域と触れる機会があまりないですよね。だから、地域で学ぶ場をつくりたくて母校でプロジェクトを始めたんです。地域の人も出入りするコワーキングスペースを教室に見立てて高校生を学校から引っ張り出して、地元の人や能登留学に来ている学生さんたちと話す機会をつくったり、地域情報誌をつくって、その過程で地域の人にインタビューをしたり。

どこで暮らすかを選ぶのは彼らの自由ですが、地元の可能性は感じてもらいたいし、ひとりでもふたりでも、地元を盛り上げたいと思ってくれる人が出てくれたら嬉しいなと思っています」。

「能登の人事部」も、能登での仕事を紹介することで地域の可能性を発信する仕組みでもあると思います。中には、能登の魅力を支えている産業を支えるために必要な人材を募集するものも。そのような仕事に就いてくれる人が見つかり、産業が継続していくことで魅力的な地域で有り続けられるようにすることが、圓山さんの思いなのかもしれません。

「能登の人事部」が目指すのは、移住者も地元の人も一緒になって暮らしを大切にしながら地域の可能性を高めていくまちづくりです。そのうえで、太田さんが目指すのは「チャレンジする人であふれるまち」なのだそう。

太田さん「移住する人の多くは、こんなことをやってみたい、こんな人生を送りたいという夢を持って移住してきます。そのチャレンジをサポートする体制を地域が用意することで、チャレンジする人であふれるまちをつくりたいんです。

今後、いくつかの仕事を組み合わせて、能登らしい暮らしができるような働き方の提案もしたいと思っています。たとえば、移住して農業をしたいけれど、農業だけではすぐに食べられないので、他の仕事もしたいという場合に、単純にお金を稼ぐためのアルバイトではなく、それをすることによってやりたいことに近づけるような何かが身につく仕事を紹介するとか。

さらに、「能登の人事部」に続いて、「能登の総務部」であったり、「能登の経理部」であったり、同じような名前で立ち上げることも考えています。それぞれの会社が雇用していくのは大変なので、人材をみんなで共有してすることで、チャレンジしやすい環境をつくることができると思うんです」。

何か新しいことにチャレンジするための一歩を踏み出すのは勇気のいることですが、おふたりの話を聞いて、能登には、そんなチャレンジを受け止めてくれる舞台が用意されていると感じました。能登でなにか新しいことにチャレンジしたい人は、ぜひ「能登の人事部」と「能登半島・七尾移住計画」を覗いてみてください。

※この記事は、石川県七尾市のご協力により制作しています。

文 石村研二

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ABOUTこの記事をかいた人

石村研二

ライター/映画観察者。東京生まれ東京育ち。大学、大学院と映画を観ながらぼんやり過ごし、2000年にサイト「日々是映画」を作って映画についてひたすら書き連ねる。2004年頃からライター業に勤しむようになり、暮らしと社会の間の様々なトピックについて記事を執筆。2016年には「ソーシャルシネマを楽しむウェブマガジン“ソーシネ”」を立ち上げ。最近は縄文にハマり、縄文的な生き方について考える日々。