たった一通のメール通知から、縁もゆかりもない兵庫県豊岡市へ移住。傳川一美さんが、密かに抱えていた夢をかなえるまで

たった一通のメール通知から、縁もゆかりもない兵庫県豊岡市へ移住。傳川一美さんが、密かに抱えていた夢をかなえるまで

移住への思いを長く温めているとしても、実行に移すには、自分の気持ちや周囲の環境など、諸々のタイミングが合う必要があるかもしれません。“そのとき”が来るのは、きっと人それぞれ。兵庫県豊岡市で地域おこし協力隊として働いている傳川一美さんに“そのとき”が訪れたのは、48歳のときでした。

声を使う仕事をしたいと考えていた傳川さんは、兵庫県・豊岡でラジオのパーソナリティを募集しているという絶好のチャンスに出会い、一度も足を運んだことがない豊岡への移住を決心しました。パートナーと離れ、まったく知らない土地で始めた新たな生活は、いったいどんなものなのでしょうか。

たまたま目にしたSMOUTからの通知で、人生が動き出す

若い頃からずっと音楽活動を続けてきた傳川さん。物怖じすることなく、ハキハキと質問に答える明るさは、舞台度胸ゆえかもしれません。けれども、傳川さんが移住を考え始めたのは、パートナーがコールセンターの管理者という厳しい仕事から、精神的な不調をきたしたことがきっかけでした。自然が豊かな田舎暮らしのほうがいいのではないか、そう考えたときに移住スカウトサービス「SMOUT」に出会ったのです。

ただ実際には、移住という大きな決断をするのは精神的な負担が大きく、すぐには実行に移すことはできませんでした。SMOUTに登録はしたものの、特に注意を払うこともなく放置したまま、時間が過ぎていったのです。

DSC03595大開通りを中心に、大正14年5月の北但大震災後に復興した鉄筋コンクリート造りの建物が数多く残る。 これだけ洋風レトロな建物が残っているのは全国的にも珍しい

傳川さんは、もともとパートナーと同じコールセンターに勤務し、動画配信サービスの顧客対応をするオペレーターの研修業務に就いていました。2014年にサービス提供会社の本社へ転職。研修対象が全国各地のオペレーターたちに広がるなど、ますます人材育成に携わるようになります。顧客満足を上げることを会社として重要な目標に掲げていたこともあり、やりがいを感じながら仕事に励んでいました。

けれども、研修素材を動画にしようとするなど、前例にとらわれず前向きにアイデアを出して業務に取り組む姿勢が、一部の人から受け入れられにくい雰囲気が漂うように。そこで転職を考え始めた傳川さんは、声を使う仕事がしたい、と考えました。子どもの頃から歌が大好きで、CMソングなどを歌っていた時期もあり、一度は音楽から離れていましたが、何かしら声を使って、今度は誰かの役に立てるような仕事がしたいという気持ちが、心に沸き起こってきたからです。SMOUTからの通知を偶然目にしたのは、そんなときでした。

傳川さん「豊岡でラジオの仕事をしませんか?っていうのが目についたんです。ラジオっていう言葉に引っかかって詳細を見てみたら、声を使って、人に貢献できる仕事ができるとわかって。これはドンピシャすぎる!と思いました。これはもう私のためにあるようなものだと思うぐらい(笑)。」

そのとき48歳だったことも、傳川さんの背中を押しました。24歳、36歳と、年女となる12年ごとに人生を変えるような出来事が続いていたこともあり、特別な年だと感じていたからです。そして、少しずつ年齢を意識し始めていたこと、10年以上にわたる不妊治療をやめて夫婦二人の穏やかな生活に慣れてきた頃でもあったことから、新しいことを始めるのならいまだ、という思いが傳川さんの心の中で強くなっていきます。

DSC03493車で20分も走れば海も山も川もあるという豊岡市の環境をおおいに楽しんでいる

けれども、住んでいた横浜から豊岡までは、およそ7時間もかかります。現在の業務から離れることが難しいパートナーと離れて一人で暮らすことには、ためらいもありました。そのとき彼女の背中を押したのは、パートナーの言葉でした。

傳川さん「夫が、“親が元気なうちにやれることをやったほうがいいし、その年齢で受かったらすごいことだよ、それにそっちの生活が良さそうなら俺もあとから行くかもしれないし”と言ってくれたんです。それならば!と決心が着きました。実は、彼も移住の話をしたときはとまどっていたようなんですが、彼の信頼している上司に話したら“それはすごいね、今後が気になるね”って前向きに捉えてくれたようで。彼もすごいことなんだって考えが切り替わったのかもしれません。」

思いがけないところに、移住を応援してくれる援軍はいるものなのかもしれません。そんな後押しを受けて、地域おこし協力隊に応募した傳川さん。見事、合格を勝ち取り、豊岡への移住が決まりました。そして2022年11月、新生活をスタートさせたのです。

ラジオを通して、たくさんの人と一対一で向き合うように、つながっている

現在は、豊岡のコミュニティFMで、月曜日と火曜日の朝、7時から10時までの生放送を担当しています。放送のある日は、午前5時起き。準備だけでなく、番組中のトークはもちろん、機械の操作などもひとりで担うワンオペ体制で、地域の情報や魅力を地元の人たちに届けています。

DSC03444ブースでは一人でも、マイクの向こうには一人ひとりのリスナーの存在がある

とはいえ、パーソナリティの経験があるわけではなく、最初はまったくの素人。特に半年間は修業期間として、地元の地名を覚えることからスタートし、実際の放送を見学しながら、ラジオの仕事を覚えていきました。

一番最初に読んだのは、天気予報。そこから、ニュースを読んだり、少しずつ話すことが増え、ようやく一人立ちして番組を担当するようになりました。最初は、音が止まってしまったことも。「聴いている人もヒヤヒヤしてたかも」と笑いますが、2年以上の経験を経て、いまでは“おっちょこちょいのkazmyさん”としてリスナーに広く知られています。

傳川さん「だんだんラジオの楽しさがわかってきました。ラジオは、テレビよりも親密で、リスナーさんとの距離が近いし、話し手と聴き手が一対一、みたいな感覚があるんですよね。それがラジオの魅力だと思います。」

リスナーとの交流だけでなく、地元で行われるイベントのレポートや、高齢の方に地域の歴史を尋ねる取材、中高生に部活動や学校でのイベントについて尋ねるインタビューなど、豊岡の魅力を発信するコンテンツの作成のために、さまざまな人たちと関わる機会があります。

DSC03521地元の出石酒造酒蔵さんに取材。あちこちに存在する豊岡の魅力をみつけては、ラジオで発信する

車社会の豊岡では運転をしながらラジオを聴く人が多く、より幅広い層の方の生活に、ラジオが溶け込んでいるのかもしれません。傳川さんが移住してきたことを踏まえて、地元のことを教えてくれたり、イベントで声をかけてくれたりするリスナーもいるとか。

傳川さん「私の人生のテーマは“循環”なんですが、コミュニケーションの循環もありますよね。中高生たちは、目をキラキラさせて話してくれるんですよ。心が洗われちゃうような気がします。取材やインタビューは難しいですが、あれこれ訊いてみると面白い話がポロっと出てきます。人の話を聞くのが楽しくなりました。」

新たな生活の中で、“循環”という人生のテーマを発見し、体感する

もう一つ、“循環”を豊岡で感じることがありました。それは自然の循環です。豊岡は「コウノトリの住む町」としてよく知られており、コウノトリが暮らせる環境を保全するための活動が盛んです。傳川さんは、豊岡に暮らすようになって、自然の中にさまざまな循環が起きているという、ある意味当たり前の、けれども都会暮らしではついつい忘れがちなことが、自ずと感じられることに気づきました。

DSC03458ラジオ局のブースはガラス張りで、放送中の様子が外から丸見え。それがまたパーソナリティとの近さを感じさせるのかもしれない

コウノトリは1971年に一度絶滅しましたが、豊岡では人工飼育して繁殖させ、野生復帰計画を推進してきました。絶滅から34年経った2005年にようやく野外への放鳥にこぎつけ、現在では300羽以上が暮らし、豊岡から各地へ生息地も広がっています。

傳川さん「コウノトリって、羽を広げると2mぐらいあるんですけど、そんな大きな鳥が空を舞っているのが見られたりするんです。いつも見られるわけではないので、地元の人もコウノトリを見るとちょっと嬉しくなるんですよね。特に飛んでいるところを見ると幸せな気持ちになります。」

そんなふうに豊岡の暮らしに馴染んでいるコウノトリの餌は、ドジョウやカエルのような小動物。たくさんの生き物たちが棲む田んぼや畑の環境を守ることが、豊岡では当たり前のように実施されています。

学校給食で食べられている白米は、農薬の使用を制限するなど環境に配慮した農法で育てられた「コウノトリ育むお米」。豊岡の子どもたちは、豊かな自然とコウノトリの命と人間の生活の循環を給食を通して感じているのでしょう。高校生が主体となって実施する海岸のゴミ拾いに、約200人も参加するというのも納得です。

でも、傳川さんの人生のテーマは、なぜ循環なのでしょうか。聞いてみると、コロナ禍を機に自然環境について考えるようになったのだとか。そして「人と会えない時間、よくしてたのは多摩川の散歩。自然と植物や生き物に目が行く。でもゴミが目に付いて。一人でゴミ拾いをしてた」と言います。

傳川さん「豊岡へ来て、SDGsという言葉が生まれる前から、こうやって環境とともに暮らしてきたんだなと思ったら、それを伝えることが私の仕事なんじゃないかなと感じるようになったんです。人生のテーマである“循環”とつながって、豊岡という場所に来たことがすごく腑に落ちた感じがしました。豊岡の魅力のひとつとして、コウノトリが暮らす自然環境を守り、共に暮らすための取り組みを発信していけば、もっとやりがいを感じられるかなと思っています。」

DSC03473月に一度の有機農業教室で学んでいる。シェア農園にも参加。畑によっては無料で借りられるところもあるという

さらに傳川さん自身も、豊岡で有機農業を実践するようになりました。「有機農業教室」に通い、農薬のことなどを学び、畑を借りて野菜などを育てることを楽しんでいます。若い頃はジャンクフードも摂取するなど、特に食事に意識を払ってこなかったのだとか。食という大きな“循環”にも気づき、食生活にも変化が生まれています。

こんなふうに、さまざまな“循環”を体感する豊岡の毎日。ラジオの仕事ができるという理由だけで移住を決めたけれども、「豊岡に呼ばれていた気がする」と、豊岡での生活を謳歌しています。

豊岡での何気ない日常で感じる、偶然の結果の必然

豊岡での充実した暮らしを続けてきた2年以上の時間は、パートナーと別々の生活を重ねてきた時間でもあります。物理的に離れて過ごすことは、夫婦の関係にどんな影響を及ぼしているのでしょう。

傳川さん「まさかだったんですけど、豊岡へ出発するときは二人とも号泣しちゃったんです(照笑)。でも、生活が始まるとわりと平気だし、離れたことでお互いを大切に思う気持ちとか絆を感じるようになったし、離れていても私たちは大丈夫だって思えています。すごくいい感じですね。」

距離をとることが、お互いの存在の大きさを実感する機会につながったようです。「いまが一番いい状態かも」と笑顔を浮かべる傳川さんを見ていると、家族そろってで移住するという選択肢だけが絶対ではないのだと気づかされます。

ただ傳川さんの場合は、パートナーのために移住を考え始めたことが、現在の暮らしの発端でした。これまで何度か豊岡に遊びに来ていたパートナーは、在宅勤務が可能になったことから、いよいよ豊岡暮らしを決心し、間もなく移住予定なのだとか。そして傳川さんは、地域おこし協力隊の任期後も、豊岡で暮らすことを決めました。

傳川さん「10月で任期が終わるんですが、研修講師やコーチングといった人財育成の仕事や、豊岡で培った司会の仕事など、さまざまなお仕事のお話をいただいているので、これからも豊岡で暮らしたいと思っています。長年やってきた人材育成の仕事がまた豊岡でできるのは、とても有り難いです。もちろんラジオも続けたいです。」

DSC03606豊岡市を南北に流れ、日本海に注ぐ円山川。ほとりには、スケートやカヌーが楽しめる兵庫県立円山川公苑がある

さまざまなタイミングが重なって、偶然移住することになった豊岡ですが、そこで暮らしてみて、傳川さんにはたくさんの発見があり、“循環”という人生のテーマを改めて実感することができました。パートナーのために移住を考え始めたきっかけを振り返ると、思いがけない展開です。

傳川さん「同じところに住んでいると自分の世界がそこだけに狭まっちゃうんだなと、いまは思います。豊岡で暮らさない人生は考えられないと思うぐらい、来てよかったと思っています。それは何か特別なことがあったときよりも、円山川沿いを走っていて綺麗な夕日を見たときとか、そういう日常の中で感じるんですよね。」

移住を成功させるためには、入念に調べたり、準備したりすることはもちろん重要だと思います。けれども、さまざまなタイミングが合って転がり始めると、思いがけないところに着地することもあるはず。傳川さんのお話から、人生の妙味とでも言えるような、面白さを感じました。

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文 村山幸
写真 トモカネアヤカ