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自分の「好き」を追求した結果が、次の地域への移住だった。「お風呂」好きな門田和也さんが、新潟県・湯沢町へ移住をするまで

作成者: 木村早苗|2020.3.16

新潟県南魚沼郡湯沢町は、人口約8,000人。越後湯沢と呼ばれ、スキー客を始め多くの観光客を古くから迎えてきました。近年は音楽フェスの開催地としても有名で、主要産業は今も昔も観光業。ただ、来訪者は多いものの若い世代は町外に出てしまい、他の地域と同様に少子高齢化が進みつつある状況です。

そんな折、移住スカウトサービス「SMOUT」に湯沢町のプロジェクト「町民の憩いの場、江神温泉を盛り上げ、運営管理をしてくれる温泉好きさん募集!」が立ち上がりました。先日、無事に運営管理者が決定し、歓迎会が行われるとのこと。そこで湯沢町へとお邪魔し、スカウト側の移住者コーディネート会社きら星代表の伊藤綾さんと、新たな運営管理者となる門田和也さんにお話を伺ってきました。

銭湯」に惹かれて田舎暮らしを始めた

江神温泉(江神温泉第一源泉組合江神共同浴場)の運営管理者となった門田和也さんとスカウトした伊藤綾さんは、そもそもTwitterを介した知り合いでした。きっかけは、門田さんが運営する田舎暮らしやお風呂という2つの情報アカウント。そこでまずは、埼玉県生まれだという門田さんが、なぜSNSで情報発信を始めるほど田舎暮らしに惹かれたのか、その理由から伺いました。

門田和也さんは、地域の人から「カンタさん」と呼ばれている。

門田さん「一番はお風呂が好きだったことです。温泉ってだいたい田舎にあるので、そこを巡るうちに田舎暮らしにも憧れるようになりました。ただ具体的な方法は当時わからなかったので、ひとまずお風呂に関わる仕事がしたいとスーパー銭湯の企業に就職したんです。でも、実際は店舗だとホールやキッチン作業が中心でしたし、本社の総務も事務所にこもりきりで、自分がやりたかった仕事とは違うなと。もっと人と交流できる仕事をしたいと思い、本格的に田舎暮らしについて調べ始めたんです」。

それが2017年1月のこと。一般社団法人移住・交流推進機構が開催した「移住・交流&地域おこしフェア」を訪れ、そこで偶然話を聞いたのが福井県南条郡南越前町でした。南越前町は、2015年から多拠点居住や流動的な暮らし方を勧める「流動創生」を掲げてきたまち。そのスタンスはもちろん、業務の柔軟さや自由さを知って一気に心を掴まれたそうです。お風呂関連の仕事はなかったものの、やりたいことをやらせてもらえそうだと移住促進担当の地域おこし協力隊に応募し、採用に至ったのでした。

門田さん「指定があったのはパンフレットの制作だけ。それ以外は移住促進の企画なら自由にしてよかったので仕事はやりやすかったです。人との出会いがとにかく多くて、自分の知らない世界に触れることができました。それまで一つの会社に勤務し続ける働き方が普通だと思っていたので、こんなにいろいろな働き方があるのかと。刺激を受けつつ僕ならこの形がいいかなと考えたり、選択の幅が増えたことでより自分らしい暮らし方や働き方が見えてきました」。

南越前町は、車で5分の所に日本の原風景のような場所からスーパーやコンビニまでがあり、30分も行けば大型チェーン店のある比較的便利な田舎。福井県の中央部にあり、県内はもちろん大阪や名古屋にも出やすく暮らしやすかったと言います。

 

門田さんのブログ「OFF LOCAL」のトップページ。この田舎暮らしの中で始めた情報発信活動は、いわく「ごく個人的なもの」。約3カ月で移住してしまったために起こった苦労や失敗点、実際に住んでみての気づきや発見などを伝え、移住希望者の参考にしてもらおうと始めました。現在も田舎暮らしにまつわる情報を毎日収集し、発信している。

門田さん「SNSでの発信を始めたことで、移住関連で困っている人の生の声を聞けるようになりました。移住フェスなどのブース担当として相談や悩みを伺う機会はあるのですが、対面だとオブラートに包んだ形になりがちです。でもTwitterは匿名性があるためか、よりストレートな意見がたくさん届きます。それはすごくいい経験になりました」。

「この仕事を選ばなければ絶対に後悔する」

移住者コーディネート会社、きら星代表の伊藤綾さん

そんな活動を続けていた門田さんを湯沢町へと誘った、移住コーディネーターの伊藤さん。普段は湯沢町に拠点を構える移住者コーディネート会社きら星の代表として、役場からの紹介はもちろん移住を希望する人たちの相談や仕事の斡旋、まちづくりの活動を行っています。じつは自身も移住者です。子ども時代にスキーで訪れた時の煌びやかな観光地の記憶があった湯沢町に、フジロックフェスティバルで再訪。閑散とした様子に驚いてまちおこしに関わりたいと思ったことが、現在の道に進むきっかけとなりました。前職でデベロッパー経験を積み、第二子出産を機に独立。人生に影響を与えた地で第一歩を踏み出したいと、2019年3月に湯沢町へと移住したのです。

伊藤さん「みんなが好きな場所で暮らせることが私と会社の夢なんです。湯沢はもちろん各地に移住する人の応援を事業の核に据えていますが、普段は“勝手に移住相談”をしています。湯沢町は交通の便がとてもいいのに可能性があちこちに埋まっている、少しもったいない場所。だから、新しい風を吹かすことができれば、まだまだ発展できるはずなんです」。

過去、湯沢町ではシニア層の移住が中心でしたが、2017年頃から20代、30代が急増していると言います。伊藤さん家族もその一組ですが、なぜ若い世代が増えてきたのでしょうか。

伊藤さん「活動する人が目に見えてきた結果なのでは。動きが一つ起こると人が増えて地価も上がります。それと近い形で、湯沢町にも面白そうな人が集まっているという空気が徐々に伝わってきたのではないかと思います」。

江神温泉浴場の外観。(撮影:門田和也)

湯沢町の可能性に気付いて関東近郊からIターンしてきた起業家たちを中心に、新しい事業が広がっているとも。内容は旅館やゲストハウスの運営、レンタル業などが中心ですが、今回の銭湯の管理人は職種という面では少し独特です。勤務地となる「江神温泉」は温泉組合が運営する銭湯で、長年ご夫婦が住み込みで管理してきた場所でした。

伊藤さん「組合の理事さんから、今の管理人さんが辞めた後、継ぐ人がいなくて困っていると相談を受けたんです。『夫婦』が条件だったのでその条件でいろんな人を考えたんですが、カンタさんに勝る人はいないなと。そこで、こんな若者がいるとお話し、夫婦という条件をなくしてほしいと交渉してみました。今までは決まった作業だけをやる仕事だったけど、新しいことをして盛り上げてくれるならとOKをいただけて。それで改めて、彼をスカウトさせてもらいました」。

門田さん「伊藤さんとはTwitterで発信されていた別の仕事を見てご連絡したことで交流が始まったんですが、その時にお風呂の仕事をしたいと伝えたら募集があるよと。でも、条件が条件だったので諦めていたんです」。

依頼側の条件を覆してもらってでもお願いすべきだと思う魅力があった、と伊藤さんは語ります。

伊藤さん「企画力と行動力がすごいと思ったんです。情報を発信している人はいても実際に実行している人は少ない。南越前町でも、協力隊というある種制約があるにも関わらずいろんな場に出向いて活動されていましたからね。こういう人にこそ来てほしい、きっと自分なりの活動場所を見つけて盛り上げてかき混ぜてくれる。そんな予感がありました」。

念願のお風呂の仕事にやる気十分だった門田さん。ただ、ほぼ決まっていた協力隊終了後の南越前町での仕事を断ることには、やはり申し訳なさがあったと言います。そこでまず、本当に自分は湯沢町でやっていけそうか、やりたいことができそうか確認したいと江神温泉を訪れ、組合長さんと話をしたのだそうです。

門田さん「そのお陰で『ここなら大丈夫だ、むしろこの仕事を選ばなければ絶対に後悔する』という確信が得られました。だからこそ思い切って、長年の夢だった“自分のお風呂屋さん”の実現を優先したいと説明できたし、南越前町での仕事をお断りすることができたんです」。

自分の思いをお詫びとともにいろいろな人に説明したと言います。実際にはみなさんから「やりたいことをやったほうがいい」と応援されたそう。それだけ周りの人にも、お風呂に対する愛が伝わっていたのでしょう。

門田さん「快く送り出してくださったことで逆に南越前町への愛着が強まり、寂しくなりました。でも、湯沢町でもう一度がんばって、その姿や結果を見せることが恩返しになるだろうと。いつか何かの形で二つの町を繋げることだってできるかもしれませんしね」。

地域から地域へ移り、「ハブ」になる場をつくる

門田さんが湯沢町で受けた印象は「山間のまちだった南越前町とはまた違う、平地が広くて温泉の数が圧倒的に多い」場所。駅構内の発展ぶりに観光地であることを実感させられたとも言います。このまちで暮らしていく中でどんなことを大事にしたいか、という質問にはこんな答えが返ってきました。

 

門田さん「一番は人間関係です。人との交流や会話がつくる密な人間関係って都会には少ないと思うんです。そこを大事にしながら自分ができることを地域の人や外から来た人たちと一緒に進め、まちを盛り上げていければと思います」。

商店街にある温泉の立地を活かして、いろいろな店とコラボレーションしたい、銭湯でのイベントを開いてお風呂のよさや入浴以外の楽しみも伝えたい。商店街全体も活性化できたら、といろいろな構想がある様子。

伊藤さん「他の町営温泉は観光客が多いのですが、江神温泉は地元の人による地元の人のための銭湯です。80代くらいの人は家風呂代わりに毎日来るけど、60代ぐらいは『昔は来てたよ』という人が大半、その次の世代はもはや町内にいない。この『昔は来てたよ』という層を彼がどれだけ引き戻し、来る人の世代を下げられるかが鍵だと思っています」。

門田さん「南越前町でも個人で銭湯の手伝いをしていましたが、テレビでイベントを告知したら『ひさしぶりに来た』という人が増えました。何か面白そうなことをやっているから行こう、と思ってもらえるような企画を考えたいですね」。

個人的に手伝っていたという以前の銭湯でも、DJイベントや落語会、三味線会や写真展と、これまでの銭湯ではあまりない企画を行ってきたというから驚きです。

伊藤さん「田舎はエンターテインメントが少ないですし、気軽に来られるカルチャーセンター的な機能が加わるとよさそうです。彼には、銭湯という場をきっかけに人と人の縁をつなぐハブ的存在になってほしいです。それに、そうなることが彼自身の望みじゃないかという気もしています。私たちの期待と彼自身のやりたいことが非常にマッチしたという確信がありますね」。

門田さん「本当にそうですね。仕事が決まるまでに不安面をすべて解消して、僕がやりたいことだけをうまく残してくださったんです。不安要素がなさすぎて逆に不安になるというか(笑)」。

幸せな移住のために、地域だからこそできること

まちに入る前の段階で、これほど安心感に包まれた会話ができる関係は珍しいのではないでしょうか。まさに、幸せの予感がする移住。でも、こうした受け入れ方が実現できたのには、いくつか理由がありました。

門田さん「一つはおそらく、SNSの力だったのか、初めて会った感覚がしない間柄があったからかなと。お互いにどんなことをしているか、ある程度わかった上での信頼があったからこそ実現した気もします」。

伊藤さんは、これまでにも多くの移住希望者の夢を叶えてきました。移住を希望しても実現しないケースも多いですが、今回の門田さんが着任したプロジェクトの例をはじめ、その紹介や調整の方法にはなんだか独特な印象を受けます。

伊藤さん「スキルや経験だけでマッチングする普通の人材紹介とは違う方法だからかもしれないですね。私はまず、移住希望者さんがその土地でやりたいことを伺うんです。住む場所を変えることはライフスタイルを変えることになるので、どんなライフスタイルを送りたいのかしっかり深掘りします。その要望に添う仕事があれば繋がりがなくても営業に出向き、希望の形で働けるよう業務の提案も含めて新たにポジションをつくってもらったりもします」。

とにかく“その人が望む暮らし”を実現できる仕事が提案できるように、または実現できる仕事をつくっていくのがポリシーです。

伊藤さん「だからミスマッチが比較的少ないのかもしれません。もし紋切り型で組合の希望に沿った求人活動だけをしていたら、今回のカンタさんの着任もなかったわけです。ただこれは地域だからできる形なのかもしれませんね。湯沢町の規模だからこそ、これだけ一人ひとりに寄り添ったマッチングやお手伝いができる気もします」。

一方で、湯沢町は職種の少なさがハードルでもあると伊藤さん。観光業4割、建設業3割、他業種が残り3割に凝縮しているという独特な産業構造があるからです。

伊藤さん「ものづくりや農業など、湯沢で探しにくい仕事は南魚沼市や津南町まで広げて紹介します。私の拠点は湯沢町ですが、南魚沼市からお声がかかる時もあるし、近隣地域の移住中間支援組織とも協力体制を結んでもいます。一見競合関係にも思えますが、この周辺はどこも移住者に来てほしいので、連携したほうが可能性も広がりますよね。うちが民間だからできることでもあります」。

依頼者のためならどこへでも、のポリシーは企業にも自治体にも同じ。周辺市町村の移住関連情報も集めて、より適した地域を紹介しています。ただ、こうした手厚い対応や思いが迎え入れる側にあっても、やはり必ずしも全員が成功するわけではありません。門田さんのような未来ある移住を実現するには、向かう側にどんな心構えが必要なのでしょうか。

伊藤さん「オープンマインドですね。移住後に孤独になると本当に孤立してしまう。無理に溶け込めとは言いませんが、何かしらのコミュニティに繋がっていてほしいですね。その数が多いほど頼れる先も多くなりますから。地域に気軽な拠り所をたくさん持とうとする気持ちが大事だと思います」。

門田さん「同じく僕も、地域の人との交流を大事にすることだと思います。あと、地域を決める前なら、自分がどんな場所なら許せるか、許せないかを書き出した上で、必ず現地に行ってみること。我慢できる点とできない点を整理してから現地に行けば、条件と自分の関係や地域の人と合うかどうかが見えやすくなるからです」。

自身も、南越前町に行ったことで譲れない基準が固まったのだとか。いろんな土地を見れば、自分に合う場所を見つけられるはず、と門田さん。湯沢町に来ることで、田舎暮らしへの思いはさらに自由になりつつあるようです。

伊藤さん「湯沢町はもちろん全国の人が、自分の住む土地に愛着を持てるようになるといいですよね。『何もない田舎だから』という言葉をよく聞きますが、中にいるから気づかないだけ。外から見るといいものがあるのにもったいない。変な謙遜をせず誇りを持つのが一番です」。

門田さん「活動はまだこれからですが、今の湯沢町ってスキーや観光など何らかのアクティビティを求めて来る人が大半だと思うんです。でも僕らの活動によって『あの人に会いたいから湯沢町に行こう』って人が増えるといいですよね。観光とはまた違う目的で訪れる人が増えるようにしたいです」。

面白い人が集まりつつある湯沢町で

歓迎パーティの会場となった、「Sansan Yuzawa」

取材後は、門田さんの歓迎パーティにお邪魔しました。この日は、暖冬の中でようやくという大雪でしたが、会場の「Sansan Yuzawa」には、主催の伊藤さんを中心に、周辺市町村から縁のある人たちがたくさん集まっていました。

 

伊藤さんは一家で歓迎会に。

移住先の検討のため湯沢町に滞在中の女性や、門田さんのお風呂好きを知る南魚沼市で地域活性に携わる男性、大学を休学しきら星でインターン中の学生さん、日本酒への興味から移住して造り酒屋に転職した男性。そして、つくば市に遠隔勤務中の伊藤さんの夫の亘さんや子どもたちと、冒頭の自己紹介だけでも興味深い人たちがずらり。

カンタさんと、銭湯組合に会計として関わっている南雲正明さん(右)

組合の一員である南雲正明さん以外に湯沢町の出身者がいないのも、今のまちを象徴しているかのようで独特です。でもこの地域に惹かれてきたという思いは同じ。たこ焼きを中心とした食事を楽しみながら、思い思いの会話を交わしていました。そんな参加者の数人に、湯沢町に来たきっかけや土地の魅力などを伺ってみました。

まずは、ゲストハウス「Sansan Yuzawa」オーナーの三浦香織さん。4年前にリゾートバイトで初めて湯沢町を訪れ、現地の老舗旅館で働いた経験が2018年夏に現在のゲストハウスを始めるきっかけになったと言います。当時100人ほどいたスタッフの中で英語が話せたのは三浦さん含め2人ほど。外国人観光客とコミュニケーションが取れないことや湯沢町の魅力を伝えきれないのはもったいない、もっと湯沢町楽しんでもらえる拠点をつくりたいと一念発起したのだとか。その結果、今では国内外からのお客さんで常にいっぱいという人気ぶりです。

ゲストハウス「Sansan Yuzawa」オーナーの三浦香織さん

三浦さん「湯沢の人はとにかく優しいです。実は開店後1カ月で当時の相方が辞めてしばらく休業したんですが、たくさんのお客さんが、ずっと訪ねて来てくれたんです。親族のように『辞めたらもったいないよ』と気づかってくれて。それがなければ辞めていたと思います。南雲さんも『俺が行かないと店が潰れるから』って毎日のように来てくれますしね。毎日人の温かさに助けられてばかりです」。

お年寄りが集まる江神温泉を若い人が管理するなんて面白くなりそうですよね、と移住組の先輩としても門田さんの活動に期待を寄せていました。

そして、当日お店の厨房で三浦さんを手伝いにきていた末房亮さん。普段は湯沢町地域おこし協力隊として観光協会で働いています。大阪で生まれ、スノーボードの専門学校を卒業後は、国内のスキー場を転々としてきた末房さん。観光協会の地域おこし協力隊の仕事を見つけたことがきっかけで、3年前に湯沢町にやってきたそうです。時間がゆっくり流れるし、自然に囲まれてとても暮らしやすいですよ、とのこと。

湯沢町地域おこし協力隊の末房亮さん

末房さん「湯沢町ではスキー場と温泉街が好きですね。江神温泉にもよく行きます。地元の人が世間話をしに集まるような場所なので、門田さんにはこれからまたいい形にしてほしいです。観光地ですがオーバーツーリズムにはならないよう、地元の人と外国人や日本人の観光客がうまく共存できるまちになるといいなと思います」。

この日はTwitterで情報を見つけたという株式会社ゼノメディアブレンド代表兼YouTuberの池辺政人さん。普段は映像制作会社を運営する傍ら、YouTuberとして二拠点生活情報や湯沢町の魅力を配信しています。松戸市と湯沢町2カ所での子育て実験をしたいと、冬の3カ月だけ湯沢町に家族で移動。子どもは3学期のみ湯沢町学園小学校に転入し、自身は必要な時だけ上越新幹線で上野の会社に通っているそう。2020年はリモートワークも推進されるので、こうした暮らし方もより実行しやすくなると思う、と話していました。

株式会社ゼノメディアブレンド代表兼YouTuberの池辺政人さん

池辺さん「子育て中の家族が全員で二拠点生活をするポイントは『就学』だと思います。文科省の区域外就学制度を使っていますが、湯沢町は特にオープンなのでずいぶん助かりました」。

荻ノ島ふるさと村組合事務局長の橋本和明さんは、この日地元の手漉き和紙に「ようこそ新潟へ」と認めた横断幕とともに登場。自身も大阪府から柏崎市の荻ノ島集落に移住し、荻ノ島ふるさと村組合事務局長としてPRや8棟の茅葺き住宅の保存活動を行っています。門田さんとはTwitterで知り合い、地域おこし協力隊の会合でも交流していたこともあり、「これは迎えねば」と車を飛ばしてきたそうです。

荻ノ島ふるさと村組合事務局長の橋本和明さん

橋本さん「カンタくんは話ぶりも真摯ですし、年配の方々とも対話できる人なので、地域にうまく入っていける人だと思います。地域を盛り上げるために必要なのは仲間づくりだと考えているんです。うちの集落も結構有名な観光地ですが、やはりエリアを限定すると生き残りは難しいので湯沢や南魚沼とも連携して、広く巡ってもらえるような仕組みづくりができたらと思っています」。

最後はみんなで一枚。4月からはカンタさんの新しい湯沢暮らしが始まる。

南雲さん曰く、ウインタースポーツで盛り上がる冬も、フジロックフェスティバルが始まった夏も、季節が終われば閑散とする状況は変わらなかったそう。若い世代が移住し始めたのは、ここ数年。会話中にふと出てきた「若い人が飲んでいたりしても地元にはなかなか伝わらない。新しい活動も外から覗くだけで接点が生まれてこなかったから、江神温泉がこれから一つの接点になるといいと思う」という言葉こそが、門田さんが今後解決していく課題であり、担う使命なのかもしれません。でも、江神温泉に再び訪れる人が増え、新しい世代を惹きつけ、まちを繋ぐ場となる未来はそれほど遠い話でもなさそうです。

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文 木村 早苗

写真 池田 礼