次のチャレンジは、ふくしま12市町村ではじめる。先輩移住者に聞く、自分らしく暮らす移住ストーリー

次のチャレンジは、ふくしま12市町村ではじめる。先輩移住者に聞く、自分らしく暮らす移住ストーリー

ふくしま12市町村とは、2011年の福島第一原子力発電所の事故により、避難指示などの対象となった南相馬市、田村市、川俣町、浪江町、富岡町、楢葉町、広野町、飯舘村、葛尾村、川内村、双葉町、大熊町のこと。これらの地域では、段階的に避難指示が解除され、着実に復興が進んでいます。

このふくしま12市町村に近年、続々とUIターンの移住者が集まり、暮らしとなりわいをつくり出し、注目を集めています。多様な人々が、自らの挑戦と自分らしい暮らしの場としてふくしま12市町村を選ぶ理由はどこにあるのでしょうか。先輩移住者の言葉から、その魅力と可能性を紐解きます!

地元である浪江町にUターンして起業する

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浪江町出身の栃本あゆみさんは2021年10月にUターン。浪江町の「チャレンジショップ制度」を利用しておむすび専門店「えん」を開業し、2023年8月に独立店舗をオープンしました。

栃本さん「東京で働いているときに、東日本大震災が起こりました。原発事故の影響で浪江町は全町避難になり、家族は県内外を転々としていたんです。私の実家がある室原という地区は、2023年にやっと住めるようになりましたが、地元に帰るという家族の願いは叶わず、悔しい思いをしました。父や祖父母の無念もあり、今も避難先で暮らす町民の方たちの気持ちに寄り添いたくて。浪江町に『ただいま』って、帰ってこられる場所をつくろうと思いました」

東京で飲食の仕事を長くしていたこともあり、浪江町で起業するなら食に関する事業がいいと思ったという栃本さん。ただ、浪江町に戻ってきた2021年時点での町の居住人口は約1,700人。飲食店として経営を成り立たせるには、市場が十分とはいえませんでした。コロナ禍だったこともあり、テイクアウトのニーズに対応できるものを考え始め、行き着いたのが「おむすび」でした。

開業にあたって栃本さんが活用したのが、浪江町の「チャレンジショップ制度」。これは、浪江町役場の隣にある「まち・なみ・まるしぇ」に格安な賃料とリース代で入居でき、1年後の町内での独立を目指して事業にチャレンジできる制度です。厨房機器なども借りられるため、初期投資をかなり抑えることができたそうです。

栃本さん「何よりも、実際に商品を販売し、お客さんのリアクションを見ることができたことは良かったです。電卓を叩きながら事業計画とにらめっこするだけではわからないことだらけ。いざお店を始めてみると、想像以上にお客さまが来てくれて手応えを感じられました。新聞などのメディアで取り上げてもらった効果も大きく、私の名前を見て来てくれる同級生もいて、嬉しかったですね」

その後、福島県創業促進・企業誘致に向けた「設備投資等支援補助金」を活用し、店舗を新築して独立。売上は以前の倍以上となり、経営は順調です。

栃本さん「浪江町は、12市町村の中でもチャレンジをする人が集まってきている町だと思います。個人だけでなく企業も多く入ってきているし、福島国際研究教育機構(F-REI)も立ち上がりました。伝統も大事にしつつ新しいものを取り入れる風土があり、新しいことを始めやすい環境が整っています。小さな町ですが専門知識を持っている方も多いので、本当に困っているときには手を差し伸べてくれる人もたくさんいます」

ふくしま12市町村は、起業したい人にとって、最初の一歩を踏み出しやすい地域なのです。
※ 支援制度については、この記事の下部でも紹介しています。

栃本あゆみさんのインタビュー記事 >>

魅力的な仕事に出会う

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地域おこし協力隊員として、兵庫県から葛尾村に移住し、「葛尾創生電力株式会社」でさまざまな業務を経験した後、村内にある「一般社団法人葛力創造舎」へ転職して、アート事業「Katsurao Collrective」のPRを担っている阪本健吾さん。

阪本さん「学生時代に福島第一原子力発電所について議論されている内容の書籍を読んで、被災地としての浜通りに興味を持ち、福島に通うようになりました。さまざまな意見があるとは思うのですが、被災地を観光地化していく考えに興味があったんです。大学3年生の時には、いわき市で観光戦略を立てるインターンシップに参加したり、卒業研究のテーマにも『福島の観光』を掲げたり、学生生活の後半2年間は、福島に特によく通っていました」

大学卒業後は、大手旅行代理店に就職。営業職として団体旅行の企画提案などを担当していました。しかし、自分が思い描いていた旅の提案はなかなかできなかったそう。さらに、入社1年後にコロナ禍に突入したことで、旅行商品を売る機会は減り、国の支援策などの事務局業務が増えていきました。「このまま働き続けた先に、自分はどんな価値がつくれるんだろう」と疑問を抱き、転職の検討を始めたところ、葛尾創生電力の求人を見つけました。

阪本さん「原発事故の被災地域で、エネルギーの仕事に取り組めるのは面白そうだと思いました」

知り合いは一人もいないまま、転職で移住してきた阪本さんでしたが、「一般社団法人葛尾むらづくり公社」のみなさんが、地域のいろいろな場所を案内してくれたり、各所で「若い人が新しく来たから、よろしくね」と紹介してくれたことで無理なく地域に馴染むことができたそう。

葛尾創生電力では1年半、経理や労務管理などのバックオフィス業務を担当しました。仕事は新鮮でやりがいを感じていた一方で、デスクワークによって首を痛めてしまい、いわき市や福島市まで通院するようになり、働き方を変えたいと思い始めます。

阪本さん「そんな時に、葛力創造舎でコーディネーターとして働いている大山里奈さんが『観光に興味があるなら、うちで働くのも合うかもしれないよ』と声をかけてくださいました。彼女はアーティストでもあり、作品を観に行ったときにいろいろな話をしていたので、私の興味・関心についても知っていました。

葛力創造舎は人口が少ない地域でも、一人ひとりが幸せに暮らせる社会について考え、さまざまな活動を展開している法人です。私は『Katsurao Collective』という、アーティスト・イン・レジデンスやアーティストによるワークショップなどを行なうプロジェクトに所属しており、イベントなどのプレスリリースを出したり、SNS運用、パンフレット制作の発注などの広報業務を中心に担当しています。アーティストのキュレーションなど、企画ディレクションにも携わることもあります。前職では、業務の9割ほどがデスクワークでしたが、今は展示を案内したり、スタッフと会話をしたりする時間が増えました。村民に限らず、社外にいるアーティストやデザイナーなど、さまざまな人と関わり合いながら仕事をすることに、やりがいを感じています」

転職をきっかけに村民となり、人間関係が育まれていく中で、葛尾村ならではともいえるアートの仕事に就くことになった阪本さん。移住してきたことで、人生は思いもかけない方向へ動き出しました。

阪本健吾さんのインタビュー記事 >>

仕事と子育てを両立できる暮らし

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千葉県流山市から田村市船引町へ、小学生のお子さん2人を連れてUターン移住した橋本さん夫妻。現在、夫の吉央(よしちか)さんの実家で、吉央さんの母、弟との二世帯で暮らしています。

仕事をしながら夫婦だけで子育てをすることに一種の「詰み」を感じていたという橋本さん夫妻が両立の鍵として選択したのが、お二人の地元である福島県に帰ることでした。

吉央さん「この家では祖父母と私の父母、弟の5人が暮らしていたのですが、2022年に立て続けに祖母と父が亡くなり、祖父も高齢なことが気がかりになっていました。もともと、夫婦だけで子育てに必要なすべての役割を果たすことが大変だと感じていたんです。子どもにとっても、仕事が忙しく余裕のない両親のほかに、大人が近くにいて何かあったら頼れる環境のほうが良いと思い、福島に戻ることを決めました」

そこで、下のお子さんが小学校に入るタイミングで移住。同居する母や弟、隣町に住むあやさんの両親のサポートもあり、夫婦共働きであるにも関わらず、学童保育を利用せずに済んでいるそうです。

吉央さん「親だけが子育ての責任と実務をすべて背負って抱え込むことは、必ずしも子どもにとって良い影響にはならないと思っていて。だから子育てに関わる人を増やせたのは、家族にとっても子どもにとっても良かったと思います。実家に戻った直後に祖父は亡くなりましたが、にぎやかになった家には笑顔が増えたようでした。そうした意味では、家族孝行もできたと感じています」

一方で、お二人の仕事の環境はどう変化したのでしょうか。

吉央さんは東京にある、障がい児の保育園を運営するNPO法人で管理職として働いています。Uターン後も仕事は変えず、週の半分はリモート、残りの半分は東京都千代田区の本社や運営している園に新幹線で出勤し、ホテルに宿泊しています。

吉央さん「『大変な生活ですね』って心配されることも多いのですが、仕事の時間・家族の時間・一人の時間のメリハリがついて、よりそれぞれの時間を大切にできるようになったような気がしています」

あやさんはフリーランスのまんが家、イラストレーター、ライターとして活動中。家から車で5分ほどの距離にある「田村市テレワークセンター テラス石森」の一室を夫婦で借り、18時まで仕事をしています。

あやさん「千葉に住んでいた頃は自治体や地域の方との直接のつながりからお仕事をいただくことが多く、自分が生活している地域で誰かの何かの役に立つことにやりがいを感じてきました。だから、移住することで仕事がどうなるのかは不安だったんです。福島でも同じように地域で仕事がしたくて、SNSで地域のことをイラストにしたり、地域のイベントに顔を出したりと、とにかく足を止めずに自分のことを知ってもらう努力をしています。インスタグラムの投稿を見てくれた市内の『星の村天文台』からシンボルマーク作成のご依頼をいただいた時は、『やったー!』と叫びました(笑)」

仕事内容や働き方を工夫し、家族の協力が得られたことで、お二人とも移住しても仕事を変えずにより良い暮らしをつくり上げることに成功したのです。

橋本吉央(よしちか)さん、あやさんのインタビュー記事 >>

ふくしま12市町村の充実した移住支援制度

このように、ひと口にふくしま12市町村への移住といっても、動機もライフスタイルもさまざまです。そして、こうした多様な移住のあり方を支えているのが、充実した移住支援制度の存在です。

福島県では、ふくしま12市町村へ移住する人に向けて、単身者は120万円、家族での移住なら最大200万円が受け取れる「福島県12市町村移住支援金」を用意しています。全国的に、移住支援金制度は東京圏からの移住者を対象にしているケースがほとんどです。しかし、本制度は東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故によって大きな被害を受け、多くの職種で担い手が不足している地域へ移住する人を応援する制度となっているため、福島県内を除く全国からの移住者が対象となっています。そのため、幅広い移住希望者をサポートすることが可能なのです。

また、ふくしま12市町村での仕事・物件探しや先輩移住者訪問の際の往復交通費と宿泊費を、1年で最大5回、約半額補助する「ふくしま12市町村移住支援交通費等補助金」もあり、しっかり準備期間が設けられるのも安心です。

このほか、福島県や各市町村には起業支援金や事業補助金、住宅取得補助金など、たくさんの支援制度が用意されています。つまり、ふくしま12市町村独自の支援制度と、併用可能となっている県や各市町村の支援​制度を組み合わせることで、それぞれのライフスタイルや移住の目的に合ったサポートを受けることができるのです。

移住したい、起業したいと思った時、それを後押ししてくれるたくさんの支援制度の存在は、大きな力となってくれます。もし地方への移住を検討しているならば、ふくしま12市町村を選択肢に入れてみてはいかがでしょうか。

ふくしま12市町村の支援制度について >>

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文 平川友紀