地域にお金を回すために必要なことって? ポートランドのまちづくりを日本に紹介した第一人者・山崎満広さんに聞いてみた

地域にお金を回すために必要なことって? ポートランドのまちづくりを日本に紹介した第一人者・山崎満広さんに聞いてみた

ポートランド市開発局勤務時代に『ポートランド・メイカーズ』や『ポートランド 世界で一番住みたい街をつくる』という書籍を出版。ビジネスストラテジストの山崎満広さんは、革新的なポートランド流まちづくりの手法を日本に紹介し、まちづくりに関わる人びとに衝撃を与えてきました。日本では千葉県柏市や和歌山県・有田川町のまちづくりにも関わっています。

そんな山崎さんが、24年のアメリカ生活を終え、この夏から拠点を日本に移すことに! そこで、偶然にも同時期にポートランドへ移住するカヤックLiving代表の松原佳代が、山崎さんにポートランドでの経験や地域の考え方、また今後の活動について伺いました。

山崎満広さん
1975年東京生まれ、茨城育ち。高校卒業後、95年に渡米。南ミシシッピ大学にて国際関係学と経済開発を専攻。在学中にメキシコ、ユカタン大学へ留学ののち、修士号取得。建設会社やコンサルティング会社、経済開発機関等を経て、2012年3月よりポートランド市開発局に勤務。2017年6月独立。持続可能な社会の実現を目指し、民学産官を繋ぎ、国や文化の枠を超え、さまざまな問題解決戦略に従事。著書に『ポートランド-世界で一番住みたい街をつくる』*(学芸出版)、『ポートランド・メイカーズ クリエイティブコミュニティのつくり方 』(学芸出版社)。*第7回不動産協会賞を受賞

「ポートランド流まちづくり」を売り込んだポートランド開発局時代

松原:アメリカには何年間いらっしゃったんですか? 

山崎:24年です。1995年に行った時はこんなに長くいるとは思わなかったですけどね。最初は6カ月の短期留学だったのが3年半になり、3年半がいつの間にか24年になって。 

松原:ご自身としてはあっという間、だったのかもしれないですね。これからは日本に拠点を移されるとのことで、ポートランドの最先端のまちづくりに長く関わってきた山崎さんを、SMOUTユーザーと地域のみなさんにご紹介できればと思いました。まずは、ポートランド時代のお仕事を教えていただけますか。

山崎:ポートランドに住んだのは、2012年3月にポートランド市開発局(以下、PDC)に入った時です。住む前の憧れが大きかったし、開発局の官僚的な公務員仕事に慣れるのと、家族がまちの暮らしに慣れるのとで、最初のうちは相当大変でした。仕事の裁量は、上司によってもずいぶん違うんですよね。2年経った頃に上司が変わって、好きなことが徐々にできるようになりました。「ポートランド流まちづくり」を紹介するため、よく日本に出張していましたね。マーケティングから地元クリエイティブチームの編成、営業や海外出張の引率も担当し、半年ほどで手応えを得るようになってだんだん結果が伴うようになりました。

たとえば大手マンションデベロッパーのまちの開発では、「雇用は、人が住みたいと思うまちにこそ生まれる。」とポートランドの話をしたり。そして、ポートランドのまちが再生できた理由や手法を伝えたこと、まちは人ありきだと改めて伝えたことなどから契約が決まり、2014年から僕らの初のポートランド流まちづくりを海外のまちに導入するプロジェクトが始まりました。

アメリカで24年暮らし、この7月に日本に拠点を移した山崎さん。「高校を出てすぐアメリカに行ったので、帰国というより移住の感覚なんですよね」

松原:その時はPDCの職員でした? 

山崎:そうですね。PDCでは、地元のクリーンエネルギー企業を海外に売り込んで輸出を増やす仕事を任されていました。なので、その仕事の合間にこのプロジェクトを進めるイメージです。でも、制度の調整など面倒な雑務も全部やって、ようやく外貨を稼げる状態になり、プロジェクトも回り始めた途端、新しい市長から「自治体職員が外貨を直接稼ぐのは聞こえが悪いから活動をやめろ」と。その頃には日本のいくつかのまちづくりにも関わっていたし、まちづくりの本も出版したところだったので、2017年にPDCを辞めました。仕事は存分にさせてもらったし、いろんな機会をもらっていろんな人にも会えたから、あとは自分でやりたいことをやろうと思って。 

業界を越えて、点と点を結んで線にするプロデュース業へ

松原:それは、ポートランドのまちづくりを日本につないでいこうという思いもあって? 

山崎:それも一つですが、まちづくりにこだわらずもっと新しい分野で、いろんな事業のプロデュースを手伝いたかったんです。実際、辞めてからは企業の経営コンサルの受託が多いですしね。大手自動車・家電メーカーのプランニングやプロダクト戦略、それからポートランドの地場産品企業が日本で展開するためのブランディングやプロジェクト戦略作りに携わっています。いくつかテクノロジーをベースにしたスタートアップ(起業)も計画中です。まちづくりもご依頼があればもちろん考慮しますが、僕の中では土地に依らない戦略もたくさんあるので、それらをいろいろカスタマイズして提案したいと思っています。

松原:山崎さんがプロデュース業を行う場合に、大事にしている軸はなんですか。

山崎:僕の得意分野が、全く別ものだった点と点を結んで線にすることなんです。それを業界を越えてやるので、ポートランドでは、デザイン業界にいながら都市計画や経営の手伝いもしていました。ちなみに最近は、建築資材企業のコンサルタントをしていて、次の一手を打つための新規事業を考えているところです。社長さんは資材を活用するアイデアはあっても空間デザイナーは抱えていないから、僕が入って要望に沿った企画からコンセプト、デザインやデザイナー選び、資金調達の方法までいろんな仲間とコラボしながらプランを立てて提案したり。

松原:なるほど、トータルしていろんなものをつなぐことが強みだと。

山崎:そう。地場産業のブランディングに特に必要なのはクリエイティブディレクションなので、完全にデザイン業の範疇です。日本語だとデザイナーは装飾や広告系と捉えられることが多く、クリエイティブディレクターもその認識でしょうけど、本来はまちづくりやものづくりを行うために必要なトータルのデザイン、たとえば市長に必要なスキルのことを指すんです。

ビジョンを自ら実践し、同じ意識の人を増やす

松原:昨年くらいから、日本でもビジネスの現場でデザインが見直される流れが来ていると思うので、すごくいいタイミングで戻って来られたのでは? 移住スカウトサービス「SMOUT」の運営をしていると、地域でもそういう人材不足の話をよく聞くんですが、今後まちづくりにクリエイティブディレクション的なアプローチをされたいと思いますか。

山崎:ありますけど、一人だから複数はできないんですよね。逆に言うと、たくさんコミットしてもよくない。つくば市のアドバイザーとしてクリエイティブディレクションをしていますが、つくばは「明日の見える科学的なまちをつくりましょう」というビジョンなのに、コミットした他の町で「科学や人工的なものを削ぎ落として環境的なサスティナビリティを追求しよう」って言うのは、一人の人としてチグハグじゃないですか。なぜ(包括的な)サスティナブルがいいのか、なぜ持続可能なほうがいいのか。僕はビジョンを自分の生き様で伝えたいんです。ポートランドでもそうでしたが、自分でその暮らしを実践しない限りは苦労や大変さもわからないし、思いは相手に通じません。だから東京に住んだ以上は、日本型でどこまでサステイナブルな生活ができるのかも知らないと。その上で実践して見せて「あなたもどうですか」と丁寧に伝えれば、行政の人だって頑張らなきゃと意識を変えてくれるかもしれないですよね。地道な啓蒙こそが、僕が目指すアドバイザーの形です。 

松原:山崎さんのようなスタンスの人を増やす、という考え方もありそうですね。 

山崎:僕はまちを変えられません。まちは時間をかけて人がつくったものだし、そこに住む人の選択もあります。方向性を整理して向かう道をつくることはできるけど、それ以外の側面は人の意識を育てることが大事。彼らが「まちって自分たちでデザインしていいんだ」と気づき、自発的に変えてもらうほうが早いからです。僕が突然入ってアイデアを伝えようとしても、実現する土壌ががないまちでは変化を起こすのは無理だと思います。先ずはカタリストとなる人材を育ててサポートしていくために官民や産業の垣根を超えたチームを作りをしなくてはいけませんし、トップもまちの変化の方向性とサスティナビリティーにコミットしなくてはいけません。

地域にお金を回すために必要なこと

山崎:日本は経済が東京に集中しすぎですよね。地方にお金が残らないのは大都市資本の企業が経済的な恩恵を地方に残してないってことだけど、それを解消する一番の方法が、地元企業を育てて地方に資産と雇用を増やすこと。でも企業の資産ばかり増やされると一過性の雇用になりやすく、経済や産業の変化によって数年で大都市へ移転しまうことがあります。国策である地域おこし協力隊も3年後にまちに残らないことが多いですが、いなくなる時のほうが損失が大きいんです。だから地方でお金と雇用をつくって増やしていく仕組みづくりが重要です。

松原:純資本と雇用を生むには、そこでしかできない産業や事業じゃないとだめですね。でないと、スタートアップもその土地にいる必要性がないから、成功するとすぐ東京に移っていく。だからこそ、まち固有の雇用や産業をつくらないといけないと思うんです。

山崎:日本の雇用文化もありますね。無難に就職して、長年勤めて円満退職する、誰も成功しないやり方を望む文化が根強いでしょう。若者が夢を見られないって怖いですよ。僕が日本を出た1995年と全然変わってない。 

時々、大学生にアドバイスをくださいと言われるけど、就活ってどうかと……って話から入らないといけない。まず(リクルートスーツを着てする典型的な)就活をやめて、何でもいいからやってみたい事を見つけて何らかの社会経験を積んで、ちゃんと一回や二回失敗も経験した後で就職したら? と言ったりね。10人のうち9人は就活という「保険」なんです。でも面白い子もいて、大学在学中から会社を4つ運営して、就職に失敗したり就職後にめげたりした同級生とワイワイやってる。崖っぷちだからみんな積極的だし盛り上がってる、と。こういう活動がもっと増えるべきだし、地方にあってほしいんですよね。 

松原:都会だと10人に1人だけど、地域は30〜40人に1人、といった感じでしょうか。そこをどう変えるかが今後の課題でしょうね。

山崎:彼らのような人が成功すれば、10年後はこの選択もアリになると思います。テクノロジーが進めば会社を経営する中高校生が出てもおかしくないし、地方なら家賃や光熱費も安いから、余裕分で投資しながら会社を回す人も出てくるかも。そうなれば地方のほうが面白くなりそうでしょう?

松原:ポートランドだと、その辺の文化基盤もまったく違いますか。

山崎:サイドビジネス、やってないの? ってぐらいですからね。サイドビジネスや趣味でいきいきしてない人は、あんまり支援されないです。夫婦も家事や子育てや稼ぎは折半。男性しか働いていなくても、女性には女性にしかできないことがあるから、各自に役割があって自発的にやるルールです。日本の男性は、そのスキルやメンタリティが抜けてますよね。でも若い頃からそういう生活をすれば、日常のアイデアづくりもするようになるし、親を見て子どもも真似するようになるはずです。

松原:ポートランドの暮らしに注目が集まったのは、日本人もそれをいいと感じはじめているからでしょうね。

山崎:他人のライフスタイルも認めながらも、こう変えた方がいいのではという提案を、僕自身のライフスタイルを通じて丁寧に提示したいですね。立場とか権力で指揮を取るスタイルのリーダーシップには限界がありますよね。だから長所・短所を含めお互いのスタイルを尊重し合いながら個々のリーダーシップを育てていくのが良いと思うんです。僕は一番良いと思うものを信じて進んだらフォローする人が現れて自ずとリーダーになっていた、くらいでいいんじゃないかなと。

単一民族国家だからこそ必要な多様性の意識

松原:それぞれの価値観を認めつつ、自分の価値観を大事に進んでいく感じ。

山崎:多様性が大事ですからね。一つの価値観にこだわってきた昭和の時代があり、平成でうまくいかずに今があるわけです。みんなもう十分に練習は積んだはず。

松原:地域の多様性を考える時、日本は単一民族国家だから多様性をあまり認めない文化なんじゃないかなと。だから本当の意味での多様性の中に身を置きたいというのが、私が日本を出ようと思った理由でもあります。お互いに理解し合うことや、多様性っていいねと地域の人に思ってもらうきっかけを、事業の中でどうつくるべきかでずっと悩んでいて。

山崎:外に出たら、日本の単一文化が世界ではいかに稀かを認識すると思いますよ。そしてそれは、日本の強みでもあり、弱みである。「日本なりの何か」をすごくつくりやすいことが強みだけど、本質的にいいかどうかを見極めるには多様性が大事です。単一国家でいると、勝手な文化の押しつけを暗黙の了解でしてしまう恐れがあるから。

たとえば、電車に乗る時の整列って自然発生なことですよね。整列乗車位置をつくった段階でルール化されたけど、何千人が一気にあの動きを自然にできるなんて、世界的にも奇跡です。でも、海外から初めて来た人にとっては、単なる文化の押し付けなわけです。日本なりの何かは強みだけど、それを当然だと考える人ばかりだと新しいものも生まれません。だから日本は多様性は意識したほうがいいし、多様性を認められる文化にならないといけないと思うんです。 

松原:そうですよね。まち、あるいは自治体でも同じで、先ほどまちは変化するとおっしゃいましたが、何かを取り入れるにしても、どのまちでもうまくいくわけではない。変化についても、立ち止まって考える必要があるのかも。 

山崎:東京にいると素晴らしいと思いますよ。どんどん新しいお店ができて、いろんな人が入ってきて、当たり前にいろんなことができる。デザインもさまざまなものを認めて楽しむ力がありますよね。ゆるい雰囲気の場所もあれば、正装して行く場所もある。その両方を使いこなせるかどうかで全然違うんです。使いこなす器用さがある人のほうがいいけど、その一方でこだわり続ける人も存在することを認める。それが本当の多様性だと思います。

松原:それができたら素敵な社会になりますね。

山崎:ポートランドや東京に限ったことではなくね。いろんな土地に住んで知ったのは、富裕層や地位のある人とそうでない層の人がかたを並べて酒を飲んでるようなまちは幅広い層が話す機会が生まれ、社会の流動性も生まれるってことでした。今のアメリカは激しい階級社会になっているから、ニューヨークやロスでは富裕層とホームレスは相容れないけど、ポートランドのダウンタウンにあるパール地区だといかにも裕福そうな銀行員と公園でなているホームレスの人が天気や地元のサッカーチームの話をしていることが多々あるんです。それがクールだと地元の人もわかっているから、僕らも困っている人をなるべく助けるし、お金があるからって特別扱いしないでくれという気質がある。そこはすごいと思いましたね。

松原:そういう文化は、何がきっかけから生まれたんでしょうか。 

山崎:自分たちの活動じゃないですか。木材と鮭や毛皮を売るくらいしか産業のない貧乏なまちが、だんだん裕福になって今のポートランドがある。だから波に乗って裕福になった人も、よほどじゃない限りは金持ちらしさを出さないんです。金持ちっぽく装ったり見せびらかす事は格好悪いんです。ポートランドで企業を経営する社長も、僕と一緒にエコノミークラスで東京に来るし、着いて先ず食べたいものを聞いたらラーメンと言うし、普段着はTシャツとジーパンで出社する。でも、資産価値は普通の人の何千倍もあるみたいな世界の人なんです。裕福だろうがなんだろうが、同じデザイン業界の一員であり、同じポートランドの住人であり、同じ人間だって気持ちが根っこで繋がってるんです。

松原:その風土は、元々の住人たちがつくったんでしょうか。 

山崎:どうだろう、昔求めていたものとは変わってきたかもしれないですね。昔頑張ってきた人たちが歳を取り、次の世代に引き継ぐ中で形が変わることもあるから、方向性はある程度一緒だと思いますけど。ただまちが大きく変わり始めた当時(70年代)は、公害をなくして環境をを復活させてとにかく生き残ることが目標だった小さなまちが、公害がなくなって環境先進都市になった今や、コペンハーゲンが一つの目標ですからね。求める変化にも上があるんだと思います。

松原:変わり続けようという意識をみんなが持ち続けているまちということですね。

山崎:まだ64万人の都市だから、伸びしろはいくらでもね。でも「変わるのが当たり前」な空気は昔から強いですよ。ポートランドみたいに変化意識がある文化は革新的だけど、ちょっと田舎に行くと保守的。政治的には民主側に近いほど変化率が早くて、テキサス州のオースティンなんかはまさにそうですね。逆にテキサスはオレゴン州より田舎に行くと代々農家のコンサバなまちが多い。変化して当然という文化や価値観で新しいものを受け入れるクリエイティブで起業家気質の都会に較べると、田舎は守るものが多いから保守的な人も多いです。

ただ、ダウンタウンに割と近い郊外に住む人がデリバリーアプリをつくって傷物の野菜をダウンタウンに宅配したり、オースティンの郊外でオーガニックコーヒーの小商いを始めたりと、田舎と都会の間で上手にビジネスをする人たちも増えています。

「移住は一度はするといいと思います。殻が破れますから」

松原:日本の地域にも活かせそうですけど、何かやりたいと思いませんか?

山崎:大人の人生をアメリカで過ごした僕にとっては、今回は帰国じゃなく移住なんです。新しいことを始める感覚なので、まずは日本の文化とルールに則って何ができるか把握しなければなりません。住む場所の状況を踏まえて東京できちんと暮らせるか、暮らせるならどこが自分の地域で、どのくらいやれば自分の生活として腑に落ちるか。そこまで行けて、ようやくどんな事業を始めるか考えられるんです。

松原:山﨑さんの移住者としてのマインドがお聞きできるとは!

山崎:場所と自分の関係は大事ですからね。ポートランドでは自分の立ち位置がしっくり来ていたんです。ここに住んでここに働き、こんな仕事をする人だと周りも知っていて、そのことに自分もしっくりきている。だから世の中のこの課題に対して僕はこれをすべきだと、明確にわかっていた。でも今はまったく新しい場所なので、隣の人すら知らないんです。役割もないし、周りの人も自分を知らないから、床屋に行っても自己紹介からしなくてはいけない。でもこの作業を急ぐと変に期待されて疲れるので、今は立場がない人として地道に自分の居場所づくりをしていこうと思ってます。 

松原:場所と自分の関わり方や立ち位置を考えることから始めるって、移住には必要な意識だと思います。

山崎:自分の居場所や居心地は、地域経済に反映されるんです。みんなが居心地よく、みんなが頑張れる場所なら地域は勝手に伸びます。住民たちが充実してるんだから。人間の欲求って最低限食べていけるかどうか、マズローの5つの欲求のピラミッドの上に上がることでしょう。そこに流動性があるまちは自ずと良くなります。ただ、そのピラミッドに外から無理に影響を与えて動かそうとしても、短期的な成功に終わる。下からだとしても、みんなが着実に上がっていける地域なら世代を超えて伸び続ける。そういう形にするためにも、一人ずつに向き合い、今どの段階にいて、どう思っていて、何をしたいのかを聞き取り、そこで何をすれば解決するか探るのが僕の仕事です。そこまでできれば、良いリーダーがいて(または現れて)方向性を示せて変革を起こすチームを作った時点で動き始めますしね。

一方で、自治体と住民の繋がりがない地域、あるいは自治体職員が住民に垣根を持っている地域はどうにもならないので、少しずつでも状況を変えないといけません。中にいると気づかないことも多いから、第三者を加えつつ新しいアイデアを取り込むのがいいかもしれない。官と民のバランスが重要なので、垣根を超えて関わりつつ、時には第三者の意見も聞きながら進めることが大事です。あとは、なるべく地元資本の雇用でお金を生む適切な仕組みをつくること。組織への助成金なども継続するものか、最初だけならいかに原子を増やし続けるかを明確にし、雇用の開発や維持を目標にするとうまくいくんじゃないかと思います。 

まずは、じっくりと住む地域と住処と自分の関係性づくりを進めていきたいと語る山崎さん。人に提案することは自ら実践し、体現することで伝えていくという手法を伺い、その言葉の重さが感じられました。日本での暮らしを始められたばかりですが、「移住は一度はするといいと思います。殻が破れますから」とのこと。帰国前から継続されているまちづくりはもちろん、さまざまな分野でのコンサルティング活動やプロデュース活動から目が離せません。

文 木村 早苗
写真 池田 礼

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