「最も住みたいまち」ポートランドの歴史に学ぶ、まちづくりの秘訣

「最も住みたいまち」ポートランドの歴史に学ぶ、まちづくりの秘訣

こんにちは。北海道にかつてあったローカル新聞社を営む家で育ち、学生時代からずっと地域おこしがテーマの人生を送っています、山中緑です。2018年の夏から、アメリカ・オレゴン州のポートランドに住んでいます。

ポートランドは、アメリカで「最も住みたいまち(※1)」の一つであり、「子育てに優しいまち(※2)」「サステイナブルなまち(※3)」「食のまち(※4)」「おしゃれなまち(※5)」などのランキングの常連です。

アメリカ西海岸のオレゴン州北西部に位置し、人口は約65万人、札幌や仙台、八王子、広島、福岡といったまちと並ぶ規模感のポートランドですが、そのまちづくりの手法や独特の文化が世界中から注目されています。最も移住者が多かった2000年には、月に7,700人もの移住者がいた(※6)というポートランドは、いかにして今のポートランドになったのか、その歴史を探ってみたいと思います。

写真:ポートランド州立大学で毎週土曜日に行われているファーマーズマーケットのワンシーン。生バンドの演奏に合わせて踊る少女と、自然体でそれを見守る人々。マーケットには地元住人はもちろん、観光客も含めて大学生から家族連れ、お年寄りまで様々な人が訪れる。

「物質的豊かさ」よりも、「精神的充足感」

オレゴンの歴史について調べていると、 この話をときどき耳にするのをご存知でしょうか。ヨーロッパからアメリカ大陸にやってきた開拓民たちは、東海岸から徐々に西に向かいます。主要道だったオレゴントレイルは途中で二股に分かれており、南へ向かう道には「金塊の絵」、北に向かうもう一方には「OREGON」と描かれたサインがありました。教養があって文字が読め、物質的豊かさよりも精神的充足感を求めた人々は、農業用地を求めてオレゴンを目指したといいます。一方、一攫千金(ゴールドラッシュ)を求めた拝金主義者たちはカリフォルニアへ向かった、と。

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ポートランドからシアトルに行く途中のドライブインに展示されていた、開拓時代のオレゴンの様子を伝える写真と当時の道具。森林資源と、その豊かな土地を開拓していった人々の様子が伝わってくる。ポートランドを代表するコーヒーロースター「ストンプタウン(Stumptown)」のStumpは「切り株」の意味で、かつてのポートランドは切り株だらけのまちだったことから別名でそう呼ばれていたそう。

これはオレゴンの人が、カリフォルニアの気質を皮肉った伝え話です。私は今、オレゴン在住ですが、かつてはロサンゼルスにも住んでいました。その地域性やカルチャーの違いは、私も感じています。カリフォルニアは、ハリウッドやシリコンバレーを擁する一方で、オレゴンのベースは木こり文化にあるのです。

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お土産やさんにあったマグネット。ストンプタウン(切り株のまち・ポートランド)をそのまま表現。

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ミッドセンチュリーの家具を中心に修理、カスタムメイドからオリジナル商品までの販売、貸し出し、買取などを行なっているTHE GOODMODの店舗兼スタジオに置かれていた素材たち。これらが美しい家具になっていくのを実感できるブランド。

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子ども用の歯固め。メイプル、イチゴノキなど、異なる木材からつくられていて、木のぬくもりと、蜜蝋ワックスで丁寧に仕上げてある表面がスルスルととても気持ちのいい手触り。中がくり抜かれて何かが入っており、赤ちゃんのガラガラ同様、心地よい音がなる。

ポートランドは、西海岸の主要都市としては小さなまちですが、アップル社のスティーブ・ジョブスが在籍していたことで知られる優良校リード大学をはじめとしたリベラルアーツ系の大学や、開かれたキャンパスとして有名なポートランド州立大学など教育・研究機関が多くあります。

また、ポートランドのランドマーク的存在でもある、世界でもっとも大きいとされる書店「パウエルズブックストア」があるほか、日本を含め、他の地域では少なくなっている独立系の本屋や映画館も多く、人口の割に文化度が高いまちとされています。

そして、人々が穏やかで寛容であることにも驚きます。もともとオレゴンに入植した人たちはリベラルな北欧系移民が多く、自由で寛容な地域性を築いていったのだそうです。

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パウエルズブックストアで販売しているスティッカー類。オレゴンやポートランドへの愛情を示すスティッカーのほか、投票を呼びかける「VOTE」や、インターネットから離れて実生活へ意識を向けることを訴える「Get off the internet(インターネットをやめよう)」、反骨精神を呼びかける「Read Rise Resist(読み、高め、訴える)」、読書を啓蒙する「reading is sexy(読書はかっこいい)」など、日本ではあまり見られないものが数多く揃っている。

深刻な大気汚染と人種差別からの脱却

1851年に市となったポートランドの産業は当初、ビーバーや鹿などの毛皮産業や、小麦をはじめとした農業でした。豊かな自然と土壌で、まちは栄えます。そしてアメリカの他の都市同様に、1930年ごろからは工業化がはじまり、製鉄所や造船所が建てられました。そして、太平洋戦争でさらに工業化は促進されました。

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農業は今でも大きな基幹産業のひとつ。一年を通じて開催されているポートランド州立大学でのファーマーズマーケットのほか、夏は各地でファーマーズマーケットが開催され、新鮮な地元産の野菜を直接生産者から購入することができる。なお、前回の記事で紹介したニューシーズンズ・マーケットは、この「ファーマーズマーケットをいつでも市民が利用できるように」というコンセプトからスタートしているそう。

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革製品ブランドも、多く健在。これは、ダウンタウンにあった革の卸問屋さんで見つけた、革のハエたたき!

工場の増加によって、たくさんの労働者が移り住みました。そして人口増加は、住居や生活に必要なサービスを提供するビジネスを呼び込みました。貨物船は、オレゴンで獲れた食料、戦争物資、兵隊などを乗せて出航し、ポートランドは貿易拠点となります。

アメリカの歴史は、ポートランドも例に漏れず、人種差別の歴史でもあります。アフリカ系の黒人たちは奴隷としてアフリカ大陸からアメリカに連れてこられ、長い年月をかけて人権と平等を勝ち取ってきました。オレゴンも、もともとは人種差別の激しい地域で、ポートランド近郊に暮らすアフリカ系移民(黒人)の多くは、この頃に工場労働者としてやってきました。彼らはポートランドの中心を流れるウィラメット川沿いの宿舎に住んでいたため、川が氾濫すると最初に被害を受けました。

その頃のウィラメット川は、工場からの排水などで汚染が進み、自動車や農業機械などからの排気ガス等で、大気汚染も深刻でした。現在、夏は特に賑わう川辺ですが、当時は川で遊ぶこともできなかったそうです。

現在、アメリカの人口全体に見る白人の比率は全米平均が60.7%であるのに対し、ポートランドは71.0%と、白人率が非常に高い地域になっています。白人率が高いというのは、人種の多様性があまりないということであり、一般的には差別の多い地域だとされます。

私が数年前に「ポートランドに暮らそうと思う」と友人に話した際、オレゴン出身でカリフォルニア在住の数名から「有色人種が暮らしやすい場所ではないよ」と助言されました。今、ポートランドで暮らしていてアジア人の私が差別を感じることは全くありません。むしろ、これまで訪れたどの国やどの都市よりも人々はフレンドリーだと感じています。しかし、それも少し前までは違ったのかもしれません。

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現在のポートランドには、まちのあちこちに人権擁護の掲示がある。写真は、アメリカ全土で活動している非営利団体のネットワーク「Showing Up For Racial Justice」が行なっている啓蒙キャンペーンのひとつ。ロサンゼルスやサンフランシスコに比べても、ポートランドではこのポスター「Black Lives Matter(黒人の命だって重要)」を特によく見かける。

工業都市として邁進していたポートランドは、1970年代に大きな転換期を迎えます。この頃のアメリカは国によるトップダウンの政策で、国中に高速道路を建設していました。ポートランドにも高速道路ができ、ダウンタウンから川沿いの緑地帯へのアクセスが高速道路によって断絶されました。

当時のオレゴン州知事トム・マッコールは、市民による特別委員会を発足。委員会は「高速道路ではなく公園を選ぶ」決断をし、アメリカ初となる高速道路撤去を実現しました。その後のポートランド市長選挙でも、高速道路の建設反対を掲げたニール・ゴールドシュミットが勝利を収めました。これにより、高速道路建設の予算は公共交通と主要街路の改善に充てられることに。こうして、全米が高速道路の建設とともに車社会へ邁進している中、ポートランドは他の都市とは違う道を歩みはじめたのです。

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高速道路によって利用できなかった緑地帯を市民の手で取り戻し、トム・マッコール・ウォーターフロントパークと、当時の知事の名前がつけられた公園。今も市民の憩いの場所として、年間を通じて様々なイベントも行われている。

市民と行政がともに考え、つくる「市民参加型のまちづくり」へ

最近、ようやく世界的に環境問題が声高に叫ばれるようになりましたが、ポートランドでは1970年代からすでに様々な政策が行われています。

トム・マッコール知事は、就任直後から環境を守る政策を次々と実現していきます。1971年にはゴミを減らすためにガラス瓶のリサイクルを義務付けた法律を制定、1973年にはオレゴン州の地場産業の基盤拡大を通じて環境保全に努めるための「土地利用計画法」が採択されました。さらに1993年、京都議定書の4年も前に、アメリカ初となる地球温暖化に対する政策も打ち出します。こうしてポートランドは、アメリカで初めて人口と経済を伸ばしつつ二酸化炭素排出量の削減を実現し、環境先端都市となっていきます。

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ポートランドのゴミは、一般ゴミである「ランドフィル」のほか、生ゴミや草木を回収する「コンポスト」「リサイクル(紙、缶、プラスティック)」と「ガラス瓶」に分けられて回収される。「一般ゴミ」は日本とは違い、焼却されるのではなく土に埋められる。ゴミの回収は週に一度だが、一般ゴミは2週間一度だけ。より仕分けやリサイクルを促す仕組みになっている。一番右の黄色のボックスが、1971年に制定されてはじまったガラス瓶回収のためのもの。

ちなみにこの「土地利用計画法」は、ポートランドの市民参加率を大きく引き上げるきっかけでした。ちょうどこの頃、当時のニール・ゴールドシュミット市長は行政と市民をつなぐ、ネイバーフッド担当局を設置。草の根の活動家たちが、ネイバーフッド・アソシエーションを通じて、実際に市の政策に関われるようになりました。

また、州は住民参加を促すために、土地利用のデザインワークショップへの招待状を10万通送付。約1万人が実際に短期集中講座を受講し、市民が行政とともに土地利用の政策をつくり上げました。こうしてともに考え、ともにつくるこのプロセスがポートランド市民の原体験となり、今の市民参加型のまちづくりに繋がっています。活動家から地域のリーダーとなり、政治家として選出される例も多くみられました。

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2020年3月、地域の主要道路の修復工事のために開かれたワークショップ。入り口には「そのストリートの好きなところ」と「望む未来の姿」について参加者が考えて張り出すボードがあった。

私が初めてポートランドを訪れた時、ウーバー(タクシーのようなライドサービス)の運転手さんが「政治家がまちをつくっているわけじゃない、僕たちが政府なのだ」と話してくれた言葉が忘れられません。その高い社会参加意識は、市民参加の仕組みと実感から培われているのでしょう。

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この日の工事計画のワークショップは午後1時から4時まで。1時過ぎに行ったら、すでに大勢の人が参加していた。同内容のワークショップはもう一日、場所と時間を変えて行われる予定。

「本質的」な価値を見失わないということ

2000年代に入ると、2008年のアメリカのリーマンショックや、2011年の東日本大震災など、それまでの価値観を揺さぶられる出来事が多く起こります。健康や、豊かな時間の使い方、豪華ではないけれど丁寧で美味しい食事など、根源的な暮らしの価値を見つめ直し、それを求める流れが世界中で見られるようになりました。

その受け皿のひとつとなったのが、ポートランドでした。アメリカ中が高速道路をつくっていた時代に、高速道路を撤廃して公園をつくったかつての時代錯誤のまちは、「本当に大切なものは何か」を見失わないまち、自分らしく暮らせる場所であると捕らえられたのです。

ネイバーフッドアソシエーションを通じて市民が政策に関われるようになったその仕組みにより、自分たちの暮らしや街づくりに関する対話も多くなっていきました。対話と協働により、相互理解や他者への尊重の気持ちが養われ、ポートランドは高い人権意識を育てていきました。

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店舗はもちろん、住宅街の庭先、学校など、街のあちこちで見かける人権を訴えるポスター。人種、宗教、移民、障がいの有無、性的嗜好、性別に関わらず平等であり、私たちはそれを守り、支持しますと訴えている。

現在のポートランドでは、まちとまちを構成する人々の関係性もまた、サステイナブルです。自然が身近で食も豊かなまちは、創作意欲にあふれたクリエイターやシェフを惹きつけています。そして、人権意識の向上とともに、立場の違いや異なる考えを理解しようと努める姿勢が養われ、若い起業家や女性起業家もますます多く誕生しています。そしてその寛容性と多様性が、さらに魅力的なまちづくりに繋がっています。つまり、人がまちをつくり、まちが人と才能を育て、個々が影響を与え合い、支え合い、さらにまちの魅力となっているのです。

こうして、ポートランドは現在に至ります。注目したいのは、かつてのポートランドには、オレゴンの素晴らしい自然環境以外は何もなかったことです。現在のポートランドの魅力は、人の手による営みと、住人の社会への関わり方や、彼らによってつくられた社会の仕組み、そしてそこから生まれるカルチャーによって生み出されています。

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多くの有名シェフをも惹きつける良質の素材があり、フードカートブーム発祥の場所でもあるポートランドには500以上のフードカートがある。カートがいくつも集まる場所をカートポッドといい、ポートランドのまちの魅力の一つ。カートポッドごとに雰囲気が違うのも、楽しい体験。

私は北海道のオホーツクにある小さなまちで育ちました。冬になると海に流氷が来ることは世界でも珍しい現象で、観光資源となっていますが、ポートランドにはそういった特別なものはありません。京都や鎌倉のように簡単にはつくることのできない何百年、何千年という歴史があるわけでもありません。ポートランドの魅力のほぼすべては、人々の手と彼らがつくる社会によってつくられて来ました。歴史から学び、根源的で本質的な価値を求め続けたからこそ、流行とは一線を画した「住みたくなるまち」を実現しているのです。

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ジンと呼ばれる小冊子もポートランドの名物。さまざまな視点からユニークにポートランドを捉えた内容が、このまちの体験をさらに豊かなものにしてくれる。

私は仕事で、企業や商品のブランディングのお手伝いをしていますが、ブランディングで重要なことは「本質的であること」と「長期的に価値や文化を育む仕組みや活動となっている」ことです。モノやゆるキャラをつくることがブランディングや、まちおこしではありません。サステイナブルな社会を意識して、多くの人が生き方を見つめている今、地域ブランドについても改めて考え直す必要があるかもしれません。

※1 2013年アメリカのベストシティランキングにて第1位になったほか、USニュースとワールドリポートが毎年行なっている「住みたい街」調査にて2018年は6位、2019年は8位。

※2 国勢調査をもとに、レストランなどの評価サイトYelpや土地評価サイトZillowのデータを加味、さらにミレニアム世代の住民の数、保育園/幼稚園の数、賃貸料などをPouchというサイトが総合的に評価。全米47の都市でポートランドは昨年2019年においてもお隣のシアトルに続き2位。

※3 インサイダーがグリーンシティインデックスとWalletHub’s list of the greenest cities in Americaの調査結果をもとにまとめた2019年の調査でグリーンなまちとして紹介されている。

※4 ポートランドは食のまちランキングでも常連。2019年はインサイダー誌のランキングで1位。

※5 2019年5月の「CEOワールド」にてアメリカでのファッションの中心都市として7位。

※6 人口増加の表によると、増加が多かった2,000年には92,000人が移住。2018年には4,485人が移住している。

文 Midori Yamanaka