「雪」×「山」×「安心できる暮らし」=「富山」だった。多賀野夫妻が富山県南砺市へ移住してゲストハウスを開業するまで

「雪」×「山」×「安心できる暮らし」=「富山」だった。多賀野夫妻が富山県南砺市へ移住してゲストハウスを開業するまで

富山県南西部に位置する南砺市(なんとし)。人口は約5万人で、南部には1,000mから1,800mの山々がそびえ、平野部には水田地帯に集落が点在しています。

このまちを流れる庄川沿いに、日本の原風景を感じる小さな山里、五箇山(ごかやま)があります。昔と変わらない小川の流れや田んぼのあぜ道、合掌造りの家々。相倉(あいのくら)集落と菅沼(すがぬま)集落は、岐阜県白川郷荻町集落とともに「世界遺産」に登録され、五箇山は金沢、白川郷といった美しい北陸の情景を巡る旅のスポットとして、国内外を問わず、古くから多くの人が訪れています。

今回は、そんな五箇山でゲストハウス「タカズーリ喜多」を営む多賀野公太さん、伽菜子さんご夫妻を訪ねました。

千葉県印西市出身、市内でアウトドアショップに勤務していた公太さんと、都内に通勤していた伽菜子さんが一転、山深い五箇山に移住し、ゲストハウスをオープンした背景には、どのような思いがあるのでしょうか。

五箇山に降り積もる雪の美しさと宿の暖かさを感じながら、「南砺市の暮らし」に触れてみてください。

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「雪」×「山」×「安心できる暮らし」=「富山」だった

2015月4月、千葉県から富山県南砺市・五箇山に移住してきた多賀野夫妻。移住のきっかけを伺うと、2011年3月11日に発生した東日本大震災のお話から始まりました。

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キッチンに立つ多賀野夫妻。ゲストハウスでは地物の野菜をつかった料理や名物・五箇山豆腐、公太さんが狩猟した「いのししカレーライス」やこだわりの珈琲が堪能できる。

公太さん「結婚を前提にふたりで暮らそうというタイミングであの地震が起きたんです。その後、千葉県八千代市に新居を構えたんですが、安心できる暮らし、安心な食べ物ってなんだろうって、いろいろと考えるようになって。そのうちに、だんだんと安心できる食べ物を探すことや情報を調べること自体ストレスになっていきました。アウトドア好きでアウトドアの仕事をしているのに、休みのたびに山に向かう生活も、暮らしと山が離れすぎていてなんだか違うなと。最初は移住を意識していたわけじゃなかったけど、このままでいいのかなという疑問が大きくなって、徐々に移住を考えるようになりました」。

そんな公太さんの想いを聞いた伽菜子さんは、「頭がおかしくなったんじゃないかと思った(笑)」と当時を振り返ります。

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奥さまの伽菜子さん。美術大学で鋳物を学び、都内の鋳物を扱う住宅設備系企業に入社。ゲストハウスのドアノブも伽菜子さんデザインの鋳物製。

伽菜子さん「驚きましたね。食べ物も行き先もとにかく気にする、それがストレスで喧嘩もしました。ただ、理解できなくはないと。それに、彼は平日、私は週末が休みでつねにすれ違い。結婚の意味ってなんだろうと感じてはいて。これを機にちゃんとふたりの生活に重きをおいた生活をしたいなと。そう考えが至るまでに2年くらい掛かりましたけど」。

公太さんの移住先の条件は、雪、山、安全な場所。この3つさえ揃えばどこでもいいというプレゼンのもと、伽菜子さんもだんだんと移住を意識するようになったと言います。

伽菜子さん「長野や岐阜も考えたんですが、ぽんと出てきたのが富山なんです。もともと鋳物関係の仕事をしていたんですが、富山は鋳物のまちなんですね。大きな案件で富山の工場に行く機会があって。高岡伝統産業青年会の方と親しくなって、美味しいお酒とご飯を食べて。もうびっくりしたのが魚。こんなにおいしい魚があるんだって、心をわしずかみにされていたんです(笑)」。

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夫の公太さん。趣味で始めた雪山でのバックカントリーがライフワークに。移住の条件に雪は外せなかったそう。

公太さん「これまで移住にポジティブではなかったのに、「富山ならいいかも」って。もうその瞬間、その言葉いただきました!よし富山!みたいな感じでした(笑)」。

その後、東京・有楽町で富山の移住者向けセミナーがあることを知り、早速参加されたおふたり。

南砺市で林業に従事する先輩移住者の「遊びに来なよ」の言葉に背中を押され訪れた五箇山。何度か通ううちに、景色の美しさ、五箇山で暮らす人にどんどん惹かれ、移住を決意したと言います。

「若い人が来てきてくれるのは嬉しいから、この土地においで」

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2018年1月にオープンしたゲストハウス「タカズーリ喜多」。地名の「高草嶺」がなまって「タカズーリ」呼ばれていたことと、屋号の「北」をもじり「喜多」と名付けたそう。宿泊するゲストの5割くらいが海外からの訪問者。

移住を決めたものの、家探しは難航したという多賀野夫妻。空き家バンクには賃貸物件の選択肢があまりなく、市営住宅は市内に居住、もしくは勤務していないと入居不可と、住居という壁にぶつかりながらも、なんとか見つかった家にはハクビシンが棲み着いていたとか。でもそんな始まりがあったからこそ、今に至ると公太さんは言います。

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公太さん「移住して2ヶ月くらいの頃、どうにかハクビシンを捕まえて、さてどうしようかとなったとき、地域の熊料理店に持っていったら買い取ってくれたんです。そこでオーナーに五箇山弁で『ところで、あんたらち誰け?』と聞かれて(笑)。あそこの家に移住してきたけど、ハクビシンが棲み着いていて困っていると話をしたら、『俺の集落に空き家がある。地区の総代にも話しておくから来い』って。それで、この家を紹介してもらったんです」。

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ゲストハウス内の広々としたリビング。元々あった家具も生かした心地よい空間に、滞在者も地元の人も自然と集まってくる。

2015年、田植えを終えた頃。「来い」と呼ばれた地域で30〜40人が集うバーベキューに参加したときの光景が、今も忘れられないと言います。

公太さん「総代が、大勢の地域の人の前で『若い人が来てくれるのは嬉しいから、この土地においで』って言ってくれたんです。自分たちが一気に受け入れられた気がして、それがすごく嬉しいなと思いました」。

土地の売買にあたっては、相続など複雑な手続きもあり、正直、家を手に入れるまでは「長かった」との本音も。家の持ち主に「冬の雪を体験してからではないと譲渡はできない」と言われ、最初の冬を乗り越えたものの、「今年は雪が少なかった、本来はこんなものではない」と、契約までもう一年伸びたというエピソードも笑いまじりに教えてくれつつ、ここでずっと暮らしてきた人だからこそ、冬を甘く見ず、真剣にここでの暮らしを考えて欲しいという想いが伝わってきたと言います。

そして、ようやく五箇山の一軒家のオーナーになったおふたり。ゲストハウスにするという構想は、自然な流れすぎてきっかけは忘れたと笑います。

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季節の野菜はご近所から山ほどいただくこともあると伽菜子さん。地域のお母さん直伝、保存食つくりの知恵に毎回驚きつつ、習うのが楽しくて仕方がないそう。

伽菜子さん「確か、元民宿の建物だし、地域のお父さんの『民宿やっちゃえよ』という話から『やっちゃうかー!』って感じだったような(笑)。でも、五箇山は立地としてもいいんです。五箇山だけ見てももちろんいいけど、北に金沢があって、南に飛騨高山がある。それぞれ1時間圏内だし、なんかいけそうな気がしたんです」。

千葉にいた頃よりも、世界がぐっと近くなった

南砺市・五箇山に移住して今年で5年。安心できる暮らし、ふたりの生活に重きをおいた生活というビジョンから始まった多賀野夫妻の移住ですが、今何を感じているのか伺ってみました。

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公太さん「移住して変わった、というより、取り戻したという感覚です。特に彼女は好きな鋳物の仕事していたはずなのに、会社の組織の枠に当てはめられて、無理をしていて大変そうだなと思っていました。お互いアウトドア好きで結婚したのに、すれ違っていたのもおかしな状態。ここでの暮らしで、ふたりとも本来を取り戻したんじゃないかなと」。

伽菜子さん「例えば、今までは家を探すっていうと、病院やスーパーの近く、駅近、そういう考えで探していたんですが、全然ピンとこないんですね。五箇山に出会って、思い切って移住してみたら、“ハクビシンハウス”でもときめいたんです。ああ、こういうことかって。不便でも大好きな山の風景に囲まれて、歴史があって、そこに暮らす人たちがいて。“駅近”などといった今までの常識を取っ払い、自分本来の価値観を取り戻した気がします」。

自分本来の価値観を取り戻す。さらに得たものは大きいと続けます。

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公太さんが以前から大好きだったという千葉県八千代市の自家焙煎珈琲Cafe「ふくろう」にお願いをして誕生した「タカズーリオリジナルブレンドコーヒー」。公太さんのこだわりぬいたネルドリップで味わう珈琲は格別。公太さん曰く、「五箇山の水との相性が抜群。毎日自分が飲んで幸せを噛みしめてます」と至福の笑顔。

公太さん「アウトドアショップって、遊びに行くことを褒められる職場で、スタッフが遊びに行くとその話をシェアするんです。聞いているだけでも面白いから、お客さんにもシェアできればって以前から思っていました。ここには世界遺産もあるため、海外を含めていろいろな地域からお客さんが足を運んでくれます。だからゲストハウスを始めた当初から「旅シェア」というイベントを不定期で開催してきました」。

「旅シェア」とは、ゲストハウスに宿泊しているゲストや地元の人が「タカズーリ喜多」に集い、お話やスライドで旅をシェアするイベント。最初はお客さんが少ないから始めたと笑うおふたりですが、このイベントで広がる光景は、なかなか感動すると言います。

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「旅シェア」の様子。(写真提供:ゲストハウス「タカズーリ喜多」)

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「旅シェア」の終了後、集まったみんなで。(写真提供:ゲストハウス「タカズーリ喜多」)

公太さん「ゲストさんと地域の若い人が一緒にお酒を飲む光景がこの家に広がるって、じつはすごいことだなって。そういうのを見ると、ゲストハウスをやってめちゃくちゃよかったって思うんです。海外からのゲストさんも多いけど、五箇山弁と英語で普通に話していたり(笑)。それでもなんとなく意思疎通ができていて、面白いというか、よかったなって。日本の中でもかなりディープな田舎に移住したのに、ここでゲストハウスをすることで、世界がぐっと近くなったんです」。

「田舎に来たはずなのに、千葉にいた頃よりも英語を使うし、世界中に友人ができた」と話すおふたりの言葉から、都市か田舎か、ということではなく、どこで、どうやって、どんな人たちと暮らすのかということなのではないか、と感じた時間でした。

食べるもの、水。生きていくために集落で助け合うことの強さ

移住後に、狩猟の免許を取得した公太さん、生花を始めた伽菜子さん。今の暮らしがすごく楽しいと話すおふたりに、改めてこの地域の魅力を伺ってみました。

伽菜子さん「35年前に五箇山トンネルが開通したんですが、それ以前は雪が積もれば閉ざされてしまうような場所だったそうです。出産をする時には、家の人も仕事でいないから、自分ひとりで産んで、へその緒を切って赤子を洗ったという話を聞いて。こんなことを自身の経験として語れるのは、この辺りのおばあちゃんだけだろうなって」。

そんな“陸の孤島”だった五箇山で生きてきた人たちが今も暮らし、その精神を今なお継いでいることがこの地域の凄さであり魅力だと言います。

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集落を繋ぐ長い橋。昔は冬場にまちへ降りるのも命がけだったそう。

公太さん「不便だからこそ、集落内でまかなう、助け合う力をこの地域の人たちは持っていて。例えば道具もそうで、買うよりつくる、なおす。百姓は百の仕事ができるから百姓だといいますけど、なんでも自分でできるって強いなって。東日本大震災で、都市部の暮らしの“弱さ”を痛感したんですよね。とにかくなんでも、食べるものも水もエネルギーもお金を介して買っていて。それがどこでつくられてどう運ばれてきたかを知らない危うさに気づいた。五箇山に来てみたら、当たり前に暮らすこと、生きることの強さが備わっている。そこがすごいと感じたし、ここで暮らす安心にもつながっています」。

ここでの暮らしで重きを置いているもの、それはお金ではなく、みんなが楽しく暮らしていけること、と公太さん。

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朝食はホットサンドか酵素玄米のおかゆが選べる。冬の朝のキッチンは部屋が暖まるまでがつらいというが、お客さんが顔を出す時間には暖かいリビングに料理と珈琲の香りが広がっている。

公太さん「ここでは、自然環境が厳しいから助け合うしかなくて。そうしないと冬も超えられない、結束せざるをえなかったんだと思います。それを知っているじいちゃんばあちゃんが未だに生きていて、結束を保っているから、心強さがあります。田んぼの用水路をみんなで管理しているけど、冬はその水で雪を溶かすので掃除が欠かせない。家から2時間も掛かる道を歩いて掃除をするのも、みんなのため。

野菜も、みんな同じものをつくるから収穫の時期は同じ野菜が溢れるんですよ。分担したら効率がいいと思っていたけど、ある日、もしあの家の出来が悪くても、他の家で収穫できるからいいと言われて、ああ!ってなったんです。集落で飢える人を出さないために他の家の分まで多めにつくるんだって。分担って、効率はいいけど現代的な考えで、ここはそういうマインドではない。本当の意味で助け合う。みんな普通にやっているんだけど、自分たちにとっては衝撃でした。そこがいいなって思います」。

移住をしてから、もともと興味のあった畑仕事も始めたそう。そこにも、「安心」というキーワードがありました。

公太さん「畑って、食べ物があるという絶対的な安心感があるんですよね。買わなくていいっていう安心感があるから、お金とちょっと距離を置くことができた。もちろんお金は必要だけど、必要性がぐんと下がったのはメンタルにもいいなと感じています。資本主義の中で生きてはいるけど、でも誰かが決めた枠みたいなものをちょっとずらしてみると余白ができて、じつはそこが楽しいなって思えるようになったんです」。

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常に笑顔の絶えないおふたりに「また会いたい」と心から思った今回の訪問。

南砺市にUターンして、まちと人をつなぐ

南砺市・五箇山へ移住して、ゲストハウス「タカズーリ喜多」のオーナーとなった多賀野夫妻。南砺市に興味を持った、という人に、ぜひ会いに行ってみてほしい人たちがいます。

一人目は、南砺市城端で移住相談などを担う、株式会社「まとめる専門家」代表、松本八治(まつもとはつじ)さんです。

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松本八治さん。南砺市出身。富山市内で就職後、転勤で東京へ。約2年間勤務したのち、自身のキャリアを地元に生かした事業を立ち上げたいとUターン。コンサルタント業務のほか、南砺市への移住に関する相談・コーディネートを行う。まちの細かいところに手が届く南砺市のキーマンのひとり。

松本さん「僕は今年度(平成31年度)、移住コーディネーターとして、南砺市での暮らしを体験できる「体験ハウス」2棟の管理運営や、移住希望者が実際に足を運んでくださるときの地域の人とのつなぎ役をしています。人によって見たい、知りたいことが違うので、事前にお聞きしておくんです。お子さんの教育面での興味関心が強ければ学校関係を案内したり。でも、一番力を入れているのは、人生のキャリア相談ですね」。

多くの移住の目的は、「どういう生活をしたいか」に紐づいていると松本さん。

松本さん「じつは、どういう生活をしたくて移住をしたいのかが、ぼんやりとしている人も多くて。そこを一緒に考え、とことん話すんです。あとは移住後に、その人のやりたいことに対してのリスクをどう下げてあげられるか、持続性についても相談に乗っています」。

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土蔵4棟が今なお残る、城端エリアの路地を案内してくださった松本さん。機織りの里でもあり、ユネスコ無形文化遺産登録の「城端曳山祭」には毎年多くの人が訪れる。

また松本さんは、Uターンで起業したご自身の経験もひとつの事例になればと話します。

松本さん「僕はすべてのいわゆる“田舎”に可能性があると思っていて。今はインターネットもあるので、自分の仕事を持って移動する、そんな働き方もできる時代ですよね。僕は、自分自身を殺して人生を過ごすような人がいたとしたら、解放してあげたいんです。実際に、移住者だけでなく、なんとなく地元の大企業に就職して、しがらみだらけで何か違うと相談に来る方もいます。どこかへ移り住むことを、自己実現というか、自分を変える機会と捉えて伴走したいんです。

南砺市は、市内の中心地であれば車もいらないくらいで、山を越えれば金沢、高岡、富山といったまちがあり、日本の原風景が残り、世界遺産もある、選択肢が多いまちです。相談窓口は南砺市役場の「くらしません課」ですが、東京・有楽町の「ふるさと回帰支援センター」を通じての相談もあります」。

「どの地域でもいいけれど、「ちゃんと自分らしく生きる」ことができるか」。そう話す松本さんの存在に心強さを感じました。

もうひとり、会いに行ってみてほしいのは、南砺市「暮らしません課」の池田祐悟さんです。

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池田祐悟さん。南砺市出身。一旦はまちを離れたのち、改めて富山、北陸エリアの魅力、人のよさを感じ4年前にUターン。「暮らしません課」で移住定住業務を担当。

池田さん「移住定住の決め手って、人との関係性だなと感じていて。結局、この人がいるっていう理由は大事なんだなと思います。なので、例えば自然や世界遺産、移住や子育ての援助金などをアピールするのではなく、まずは南砺の人たちと関係づくりをしてもらえるようなアプローチを心掛けています」。

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南砺市の「暮らしません課」は市民や地域おこし隊との共働でもあることから、役場内ではなく、市内のスーパーの一角に事務所兼窓口が。ユニークかついつでも相談できる身近さ、安心感が嬉しい。

池田さん「南砺市は、雪深くて助け合いの精神が継がれている土地。一方で僕もそうですが、人見知りな人も多いんです。でも、内側の人になると本当に助けてくれる人ばかり。だからこそ、顔と顔がしっかり見える関係つくりからお手伝いできればと思います」。

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南砺市の集落が一望できる閑乗寺公園からの風景。

北陸ならではの自然が色濃く残り、それゆえの不便さが「助け合う」暮らしを自然と生み出してきたまち、南砺市。ちなみにゲストハウス「タカズーリ喜多」では今後、宿の手伝いをしてくれる代わりにベッドを提供する“フリーアコモデーションスタッフ(ヘルパースタッフ)”を募集しようと思っているのだとか。

これは「移住者から地の人間として、次の若者をまちにつなげたい」という多賀野ご夫妻の想いから。みなさんも、南砺市で暮らす人たちに会いに行ってみませんか?

富山県南砺市で募集中のプロジェクトはこちら >>

文 たけいし ちえ
写真 池田 礼

※この記事は、富山県南砺市のご協力により制作しています。