「飛んでるローカル豊岡」
こんなキャッチフレーズのもと、移住定住促進に力を入れているまちがあります。
兵庫県の北部、日本海に面する豊岡市。3年半前から始まったという先輩移住者が中心の市民ライター達が発信する、豊岡市移住ポータル「飛んでるローカル豊岡」は、まちの魅力や自分自身の暮らしまわりなどを発信するとともに、まちの読み物の制作や移住検討者、移住者どうしでの交流会などをおこなっています。
そして今、よりリアルにまちと人をつなぐ取り組みが始まっています。その名も「暮しのパーラー」。豊岡での暮らしについて、まちの人たちが、顔の見える関係性で向き合ってくれる移住相談窓口です。5年間の移住定住プロモーションを経て、次の一歩へ。そこにはどんな学びがあるのでしょうか。
今回は、豊岡市にみる、移住相談窓口のつくりかたをご紹介します。
絶滅したコウノトリを、野生に戻す。
はじめに豊岡市について、少し詳しくお伝えしましょう。2005年に1市5町(豊岡市、城崎町、竹野町、日高町、出石町、但東町)が合併し、兵庫県でもっとも広い面積をもつ豊岡市の人口は、約80,000人(2020年2月末現在)。
昔から米どころとして知られ、えさを求めてコウノトリが降り立つのは日常の風景でしたが、戦後の経済成長が自然環境を一変。大量の農薬散布やコウノトリのすみかとなる松の伐採などにより、国内のコウノトリは一時、絶滅してしまいました。
そこで豊岡市は、半世紀以上にわたって保護から人工繁殖、再び野生へと帰すことを目指す、世界で初めての試み「コウノトリ野生復帰プロジェクト」に挑戦。現在では野外に100羽以上のコウノトリが暮らしているだけでなく、その生息地を守るべく生態系に配慮した農業が営まれています。
写真は、豊岡市立コウノトリ文化館館長の高橋信さん。コウノトリの自然観察会はもちろん、コウノトリ野生復帰と並行して、こどもたちの野生復帰を願って続けているプログラム「田んぼの学校」や植物観察会も開催している。また、人工巣塔でヒナが育つ様子をライブ映像で観ることができる。
豊岡市立コウノトリ文化館の館長・高橋信さんに、コウノトリとまちの歴史、コウノトリの生態などをお話いただきました。
高橋さん「豊岡は盆地なのですが、コウノトリに適した自然環境とコウ ノトリを大切に扱う風潮があったため、比較的乱獲されず国内最後の生息地として残りました。市民と行政が一体になって本格的な保護活動をおこないましたが、個体数の減少をくい止めることはできず、旧ソ連から若いコウノトリを譲り受け、人工繁殖に成功。2005年、ようやく最初の5羽が野外放鳥され、現在では自然繁殖も順調に進んでいます。
今、日本には200羽近いコウノトリがいますが、多くはここから巣立っていったコウノトリたちで、豊岡以外の繁殖地も順調に広がりつつあります。また野生復帰のノウハウを学びに視察も多く受け入れています。豊岡はまさにコウノトリの故郷であり、人と自然の共生のまちでもあるんです」。
コウノトリ復活のストーリーに欠かせない「コウノトリ育む農法」では、農薬に頼らないことはもちろん、冬期間も田んぼに水を張る冬期湛水(とうきたんすい)や、田植えの1カ月前から田んぼに水を張る早期湛水(そうきたんすい)などで、ほぼ1年を通して田んぼに水があり、コウノトリの餌となる多くの生きものを育んでいる。ちなみに豊岡市では、学校給食でもコウノトリ米が導入されている。
コウノトリが優雅に舞う姿に感動した農家が、どうしたらコウノトリと共生できる農業ができるか試行錯誤しながら始まった「コウノトリ育む農法」。県や市だけでなく、農協と一緒に経済的に成り立つ仕組みをつくり、今では専業農家のほとんどがこの農法を取り入れ、さらには多くの若手農家にも取り組みが広まってきました。
コウノトリも人も安心して暮らせる自然環境が整いつつある豊岡市。「絶滅したコウノトリを野生に戻す」という強い思いは、行政だけでなく農協や農家、市民、企業までが一体となって大きな地域の力となり、コウノトリを受け入れる文化や土壌が着実に醸成されていったのです。
写真は、近畿最古の芝居小屋、出石永楽館。一度は閉館するも、44年の時を経て復活。歌舞伎俳優の片岡愛之助さんが出演する永楽館歌舞伎はここでの一大イベントですが、同窓会や会社の歓送迎会に使われるなど、市民から親しまれているのが印象的。
豊岡市内の城崎温泉街にある、舞台芸術のための滞在型創作施設(アーティスト・イン・レジデンス)、城崎国際アートセンター。芸術監督は劇作家・演出家の平田オリザ氏が務める。年間を通じて演劇、ダンスなどの舞台芸術作品が生み出されており、滞在アーティストは地域交流プログラムを通じて市民との交流を行なっている。また、市ではコミュニケーション教育にも力を入れていて、市内の全小中学校で演劇の授業を実施、子育て世代に魅力的な教育が移住につながることも。
カバンのまちとしても有名な豊岡市。2013年に開設されたToyooka KABAN Artisan School(トヨオカ カバン アルチザン スクール)。ここで1年間カバンづくりを学び、その後は地元の鞄メーカーへ就職するなど、若者の雇用を生み出し定住につなげている。
挑戦を続けるローカル=「スピードや大きさ」とは別の道を進むこと
「飛んでるローカル豊岡」Webサイトより
さて、ここからは兵庫県豊岡市移住ポータル「飛んでるローカル豊岡」の話に移りましょう。
まずご紹介したいのは、移住定住プロモーション「飛んでるローカル豊岡 ~Think Local,That's Global~」動画です。
「飛んでるローカル豊岡」移住定住プロモーション動画
前述のとおり、コウノトリの野生復帰、近畿最古の芝居小屋の復元、演劇を通した子どもたちの学び、日本一のカバン産業などたくさんの地域資産を持つ豊岡市ですが、動画では世界から尊敬されるまちになるために、豊岡にしかない資産を活かし、また新たな価値を生み出していく、「ローカルをつきつめた先にグローバルがある」と信じて取り組んでいく、ということを言っています。
「ローカル」は、地方と都市とを比較するのではなく、このまち固有の価値や魅力があることを表した言葉。そこに、コウノトリが悠然と羽ばたいている様子と、とがっていて他とは違う“ぶっとんでいる”の意味を掛け合わせた「飛んでる」を組み合わせてできたのが「飛んでるローカル豊岡」。そしてそのキャッチコピーがそのまま、先輩移住者が中心の市民ライター達が発信する、豊岡市の移住・定住ポータルサイトにも使われています。内容は、豊岡での暮らし、まちの魅力紹介やイベントのレポート記事、住まい・仕事の紹介など。市民ライターが自らネタを探し、写真を撮影し、記事を書いています。
「飛んでるローカル豊岡」Webサイト
はじまりは2015年、移住促進プロモーションの一環として、まずは市民がまちの価値をみつけるためのワークショップを開催。100名以上の参加者の中から市民ライターを募り、「colocal」編集部(株式会社マガジンハウス)、「雛形」編集部(株式会社オズマピーアール)を交えながらライターを育成したそう。市役所の移住促進担当課と市民ライターが一緒になって市民編集部を立ちあげ、2016年9月から本格的なメディア運営がスタートしました。
立ち上げ当時は13名だった市民ライターも、現在(2020年3月)は約30名に。会社員はもちろん、カメラマンや彫刻家、主婦や大学生、地域おこし協力隊など、いろいろな肩書きを持つ人によって構成されています。
あえてまちの課題も載せることで「移住してみたもののなんだか違った」というミスマッチを減らし、まちと人との関係づくりもよりスムーズに。また、豊岡市には大学がないため市外への進学が多いものの、「こんなに面白い大人がいて、まちにはこんな仕事があるんだ」という発見は、一度まちから離れた子どもたちのUターン、その後の定住にもつながっているそう。
まちのプロモーションを超えて豊岡市に人の流れをつくる、それが「飛んでるローカル豊岡」なのです。
JR豊岡駅で見かけた「飛んでるローカル豊岡」のポスター。いろいろなバリエーションがずらりと並び、目を惹いた。
Webサイトだけでなく、ガイドブックも。
子どもたちが市外に進学・就職してしまうという現状を悲観せず、あえて「頑張っておいで」という想いをこめて、7高校合同の卒業アルバムを市が制作。まちの大人たちの応援メッセージが詰まっている。
市民目線のリアルな「豊岡」を伝えたい
「飛んでるローカル豊岡」は、これまでどのような歩みがあるのでしょうか。大切にしていることや、その運営について、元編集長で「カミノ珈琲」の店長でもある神野利江さんと、市民ライターの中原大輔さん、小谷芙蓉(ふよう)さんにお話を聞きました。
(写真左から)市民ライターの小谷芙蓉さん、中原大輔さん、元編集長の神野利江さん。
神野さん「私は立ち上げの少しあとから、主人と一緒に編集長を担当させていただいたんです。豊岡にはガイドブックに載るような観光地的要素もたくさんあって、わりと同じ情報が紹介されがち。でも、「飛んでるローカル豊岡」では移住したいと思ってもらえるような記事じゃないと意味がないよねと。だからあえて生々しい部分、デメリットとなるようなリアルな部分も記事の中で伝えていくことを意識しました。編集チームでも、「暮らす」には避けられないことをちゃんと伝えていこうと。
たとえば、豊岡市には大きな病院がひとつあるんですが、出産はここでしかできないんです。選択肢が少ないことは、マイナスな情報かもしれません。でも、大事なことなのであえて伝えようと。
取材でお邪魔した「KAMINO COFFEE」の店長でもある神野さん。豊岡生まれ、豊岡育ち。Uターンでコーヒースタンドをオープンし、のちにカフェをオープン。
基本的に、Web上に配信される記事は市民ライターの書きたいことを自由に書くスタイル。大前提として、豊岡が好き、豊岡のここがいいよね、というライターの思いや気持ちを大切にしていると神野さんは続けます。
神野さん「具体的な作業としては、投稿ツールにログインしてもらって直接入稿してもらいます。その後、市役所の担当者と編集長、校正担当が記事を確認し、校正などを経て記事を公開。デメリットも含めて、生々しくてもいい。宣伝っぽくならないこと、それから市外の人が読んでも分かることを意識しました。1カ月で平均5本くらいの記事が掲載されますが、中にはバズったものも(笑)。そこからライターとして新しい仕事が舞い込んだりして、自身のポテンシャルを高めることにもつながりますよね」。
豊岡市の職員、定住促進係の濵田さんからは「飛んでるローカル豊岡」の市民ライター制度について、「リアリティこそが魅力」というお話が。
神野さんと同じく、豊岡生まれ、豊岡育ちの濵田由佳さん。一旦はまちを出たものの、同級生たちがUターンしないことに「誰がまちをつないでいくのか」と不安を抱き、Uターンで市職員に。
濵田さん「市民ライターさん向けの研修をすることはありますが、書く力をつけるというより、モチベーションをあげてもらう方が大事だと思ってます。その上で行政では伝えることが難しいような豊岡のリアルさを伝えていただく、そして、市民のみなさん自身がここでの暮らしの幸せだったり楽しさを発見するきっかけになればと。私たちはそこに伴走しているという感じです」。
まちの小さな商店街の魅力など、市民のリアルな目線から届く暮らしの情報を大切にしているのだそう。写真は木造建築の屋根が特徴的な「ふれあい公設市場」内。花屋に魚屋、総菜屋や居酒屋など魅力的なお店が今も現役で営業している。
豊岡駅前から街の中心を横断する駅通商店街は、ふつうに歩くと気づかないものの、上を見上げるとアーケード越しで見えなかった昭和初期のモダンな建築群に目を奪われる。1925年の「北但大震災」の後に一斉に建てられたコンクリート建築は「豊岡復興建築群」と呼ばれ、ここまでまとまって残っているのは珍しいのだとか。(写真:中原大輔さん)
行政と市民がほどよい距離感を保ちながら進んできた「飛んでるローカル豊岡」の取り組み。とはいえ、うまくいかない現実もあったそう。
神野さん「市民ライターといっても、温度差はさまざまです。全員が同じ方向を向いて記事をつくっていくのはやはり大変なこと。持続の鍵は、個々が「飛んでるローカル豊岡」とのバランスのいい関わり方を見つけていくということかなと思います。ただ、市民ライターになって思うことは、チャンスをもらっているということ。市役所の担当の方も市民寄りで話を聞いてくれて、冊子をつくる機会だったり、ワークショップで新しい人とつながる機会があったり。
市民ライターが集まって飲み会をすることもあるし、そこから子ども向けのお絵描きワークショップをひらくことになったり、柿の葉寿司のワークショップが開催されたり。記事を書く、表現をする場というだけでなく、市民ライター同士や地域とのつながりから関係性が広がって、交流の場になりつつあること、新しい価値が生まれつつあることが嬉しいですね」。
2013年に建てられた豊岡市役所。旧庁舎は移設保存され、耐震補強を加えた上で議場および市民交流スペースとして使われている。子どもが遊べる広々とした庭があるのも印象的。
市民と移住希望者が最初に会える場所、「暮しのパーラーTOYOOKA」
そして2019年10月に開設されたのが、市民と移住希望者が出会える交流窓口「暮しのパーラー」です。運営をするのは、地域の観光PRや地域ビジネスを手掛けてきた、地域プロデューサーの中原大輔さん。岐阜県出身で、現在は豊岡市で暮らしています。
地域プロデューサーとして豊岡市の地域マルシェやイベントの企画など3年の業務を経て、移住希望者の交流窓口を務めることに。
「暮しのパーラー」の拠点となる「KAMINO COFFEE」。ふれあい公設市場内にある自家焙煎のコーヒーや焼き菓子が楽しめるカフェとして、近所のお年寄りから高校生まで幅広い年齢層に親しまれている。カフェの定休日には、2階の「くまき写真館」で移住相談を受けつけている。
「暮しのパーラー」には、二つの機能があります。一つは、まちの暮らしや魅力を市民が伝えること。もう一つは、魅力的なまちの人と出会えることです。
中原さん「ただ単純に移住窓口が市役所ではなく外部委託になった、豊岡市に足を運んでくれた移住希望者や観光客のコンシェルジュをするということではなくて、暮らしのリアルな情報は、そこで暮らし、活動している人たちが話すのが一番説得力があるし、まちの人と出会うことこそが魅力になるんじゃないかと思うんです。オープンなカフェでさまざまな人が集って、魅力的な人、魅力的なコミュニティとつながりが生まれる、そんな場所が必要だということで動き出したんです」。
移住相談窓口を市役所の外に出すことで、さまざまな可能性が広がると続けます。
朝、街角でお母さんたちが野菜などを売る「あおぞら市場」。「こんな豊岡の日常にも案内したい」と中原さん。
中原さん「移住前にコミュニティや居場所を見つけることができたら、それはとても心強いですよね。それに、大学進学で市外に出てしまった高校生が戻ってくる拠点、居場所にもなりたいと思っているんです。
実際、「KAMINO COFFEE」には高校生がたくさん来るんですよ。まちで生き生きと暮らしている面白い大人をみたり、今まで見えていなかった豊岡というまち、それから自分にしかできない仕事のつくりかたとか、そういうものに触れることができる場所にできればと思っています」。
神野さんいわく、高校生に相談されるのは恋話など。「卒業して会えなくなってしまうのは寂しいけど、お店をやっていればいつでも会いにきてもらえる」と神野さん。
「僕みたいに地域のことなんでもやる、みたいな仕事があることを知るだけでも面白いかもしれない」と笑う中原さん。
田んぼの美しさが印象的な「飛んでるローカル豊岡」のポスターにも登場する農家、青山直也さんも、豊岡市の“面白い大人”のひとりです。
豊岡市日高町、スキー場の裾に広がる田んぼを営む青山直也さん(ユメファーム代表)。コウノトリ育む農法を取り入れ育てたお米は2016年米・食味分析鑑定コンクール国際大会国際総合部門で金賞を受賞。
農業を継ぐ意思はなかったものの、お父さまが残したお米づくりのための膨大なメモを見つけ、独学で田んぼにチャレンジをし始めたという青山さん。ほどなくして「コウノトリ育む農法」を知り、思いもよらない光景に心動かされたと言います。
青山さん「父が残してくれた田んぼに、本当にコウノトリが飛んできたんです。びっくりですよ。そのとき、これは続けていこう、もっと広めたいと思いました。これからは「ストーリーのあるお米」を「伝える」ことが大事になってくるのかなと。秋までに農機具置き場を改装して、ゲストハウスをつくりたい。現場を見てもらって、感じてもらうことで豊岡というまちや、豊岡の米づくりの魅力を伝えていけたらと思います」。
なかなか手に入らないという青山さんのお米は、田んぼ近くの奥神鍋スキー場のレストランで食べることができる。地域に根差す青山さんの心意気。
最後に、これからどんな未来をつくっていきたいかを伺ってみました。
(写真左)NPO法人たけのかぞく事務局長を務める小谷芙蓉(こたにふよう)さん。「竹野の暮らしが好きすぎて移住してきた」と話す。
小谷さん「私は仕事で豊岡を訪れて、竹野という海辺のまちにすごく惹かれて移住してきました。今は地元へUIターンしたファミリーと一緒に子育て世代の移住促進に関わっていて。その中でよく思うのは、昔は都会でいい学校、いい会社に入ることがよしとされていたように感じるけれど、それとはちょっと別の価値観を持った人たちが移住してきていると思うんです。
自然はもちろん、文化的、芸術的にも濃い要素がたくさん詰まっている。地域の子どもがそういうものに十分に触れて育てば、『帰っておいで』と言わなくても、豊岡の暮らしの、価値の本質がわかって、将来自分で考えるようになると思うんです。豊岡暮らしの価値を伝えるプレイヤーや場所も増えているし、楽しんでる大人がもっと増えることが一番ですね」。
「KAMINO COFFEE」からすぐの場所にオープンした、ふれあい公設市場内のゲストハウス「Hostel Act」。併設に「もりめ食堂」もあり、訪れた人とまちの人が混ざる拠点が増えつつある。
豊岡市役所からすぐの「なか井」にて。今回の取材で出会った誰もが「間違いない」と話す名店。
住んでいる人が幸せなまち。やりたいことがやれるまち。それから、移住・定住促進の進め方も豊岡らしいと、中原さんは話します。
中原さん「役所と市民や民間の事業者がここまで密に連携してやっているまちって、あまりないんじゃないかと思うんです。どうしても、行政は行政、民間は民間と偏ってしまいがち。行政としての器が広いというか(笑)。豊岡の役所のオープンさはすごいなと。まちや、まちの人の魅力を伝えていくのは、まちの人。そうした信念を持って一緒に向き合ってくれる関係性は、ありがたいですね。いわゆる役所っぽい人がいないのもいい(笑)」。
「役所っぽい人がいない」という言葉に、一同が大きく共感。そこで、豊岡市職員である定住促進係の谷垣公洋さんにも、「飛んでるローカル豊岡」のこれからを聞いてみました。
写真左から2番目が、谷垣公洋(まさひろ)さん。
谷垣さん「僕は、こうしなくてはいけない、ということは何もないと思っていて。面白そう!が原動力だと思います。今の感じがいいんです。まちにはたくさんの面白い人がいます。こうやって形ができ上がってきて、こちらが気をまわさなくても、新しいつながりがそれぞれの中で次々と生まれているのがいいなと。逆にこちらが手を加えるのはおかしいとも思っていて。一緒に進むだけです」。
今回の取材でも、それぞれの言葉で熱くまちの魅力を伝えてくれる方々にお会いしました。
出石地域にある「出石永楽館」館長の赤浦毅さん。テンポのいいお話に思わず吹き出してしまう場面も。ユニークかつ詳しく「出石永楽館」の歴史を伝えてくれる。かつての地域の高校生が、ここで同窓会をひらいてくれて本当に嬉しかったという話に、なんだかほろりとしてしまった。
温泉街の中に位置する「城崎国際アートセンター」にて、取り組みの意義をわかりやすく伝えてくれた職員の藤原孝行さん。「滞在するアーティストの温泉代は地元の人と同じ値段。滞在中は同じまちの人だってことです」とにこやかな口ぶりが印象的。
人がこのまちの魅力で、それをリアルに伝える市民ライターがいて、ローカルメディアで発信し、さらに人と人がつながる「暮しのパーラー」がある。そこに取り組む人たちの行政、民間といった肩書にこだわらない心意気が、何よりも魅力的に感じました。
豊岡市では、地球に住む人なら全員が応募対象者という、地球視点の地域おこし協力隊採用キャンペーン「地球人採用」がおこなわれました。残念ながら今回の募集は締め切りを過ぎてしまいましたが、豊岡市に興味が沸いたら、まずは「暮しのパーラー」で美味しい珈琲をいただくのはいかがでしょう。面白い人たちとの出会いが待っていますよ。
文 たけいし ちえ
写真 池田 礼
※この記事は、兵庫県豊岡市のご協力により制作しています。