人は動き続けて、変化するのが普通。ニュージーランドに暮らしていたOさんが、香川県三豊市へ移住して、地域のひとになるまで

人は動き続けて、変化するのが普通。ニュージーランドに暮らしていたOさんが、香川県三豊市へ移住して、地域のひとになるまで

香川県三豊市は、夕陽と瀬戸内の海がつくる水鏡が人気の父母ヶ浜や紫雲出山の桜など、美しい自然や温暖な気候、海と山の食材に恵まれたまちです。また近年では、瀬戸内国際芸術祭を通じ、アートと自然を楽しめる場所として国内外でも知られるように。

そんな三豊市に2019年3月、移住スカウトサービス「SMOUT」を通じてニュージーランドから一組の家族が移住しました。茅ヶ崎に生まれ、神奈川県でランドスケープデザイナーとして造園業に従事していたT.O.さんです。海外での留学生活が終わり、帰国を考えていたOさん。その人生は、「瀬戸内ワークス」との出会いによって大きく変わったのでした。

人生を変えた瀬戸内ワークスとの出会い

 

取材場所となった、JR本山駅から1分のUDON HOUSE。“うどんを打たないと泊まれない”体験型宿泊施設として国内外から観光客が訪れる。うどんを打つだけでなく旨味について学ぶ座学も。地域の野菜を収穫できる農園ツアーや瀬戸内海でのシーカヤックツアー、日本の発酵食を楽しめるツアーなど、いろいろなコース設定がある。

 

ニュージーランドからの帰国後は、生まれ育った神奈川とは異なる神戸に移住を検討していたOさん。もともと土地へのこだわりは薄く、強いて言えば、帰国子女となるお子さんが安心して教育が受けられそうな場所、という程度でした。しかし、検討している1〜2カ月の間、神戸での暮らしに確信を得られずにいました。

Oさん「そんな時に偶然、SMOUTで瀬戸内ワークスの募集を見つけたんです。昨年の年末だったかな。ただ縁もゆかりもなかった場所なので、内容はあまり覚えていなくて。仕事を探そうと躍起になっていたわけでもなかったですからね」。

SMOUTを知ったのも、移住や仕事探しに関係なく前職の知人を通して。「興味ある」をクリックした後は、コンタクトを取ることもありませんでした。その状況が一変したのが、年明けの2019年1月。「瀬戸内ワークス」担当の原田佳南子さんからメッセージが届いたのです。

 

のどかな風景が広がるJR本山駅。

 

 

香川県民のソウルフード、うどん。

 

 

UDON HOUSEでのうどんづくりは、小麦粉と水と塩を手でこね、足で踏み、その生地を製麺器で切って食べる!までを体験できる。

 

 

UDON HOUSEの朝ごはんは、「朝うどんホッピング」。ローカルで個性的な人気のうどん屋さんへ、お揃いの法被を着てホッピング。

 

Oさん「三豊市での仕事にどれくらい興味がありますか、といった内容だったと思います。確かに興味はあったので、お返事をしたらすぐに『一度Skypeでお話をしませんか』と。こんなに動きが早いなんて! と驚きながらも、三豊や移住のこと、今募集しているいろいろな仕事、私が関われそうなことなどいろいろとお話したんです。そして、2月の一時帰国のタイミングで三豊に行くことにしました」。

三豊市に関係人口を生み出す人々の集合体である「瀬戸内ワークス」。本体のスタッフだけでなく、地域の工務店やバス会社、飲食業などさまざまな地元企業の経営者やスタッフたちが、地域のニーズをベースに、メンバー各自の技術や得意分野、希望する暮らし方に応じ、三豊市と他地域の新たな関わり方を形にしていきます。

ですから、地元の企業や店舗で働いたり、新規事業の立ち上げを行ったりと、その活動の仕方は流動的。雇用形態も自由だけに、東京や他の地方との多拠点居住の人も、起業をめざす人も大歓迎なのだとか。ちなみにSMOUTのプロジェクト(瀬戸内ワークス〜瀬戸内の豊かな自然の中で遊ぶように働く〜では8つの仕事が募集されていますが、三豊に新しい風を吹き込めるアイデアなら、カテゴリ外でも採用になる場合もあるなど、まさに可能性は無限大。

原田さん曰く、2018年末に立ち上げたこのプロジェクトには多くの「興味ある」やメッセージでの反応があったのだとか。その中から気になった数人に、直接個別メッセージを送信したと言います。じつは、原田さん自身も瀬戸内ワークスの立ち上げのため三豊市へ移住した一人。この地域には、離島の買いもの難⺠を解決する事業や、宿泊施設の立ち上げ、海岸⼀帯のパークマネジメントなど新たな事業がどんどん増えています。そんな中でOさんのスカウトのきっかけになったのは、「宿泊施設プロジェクト」でした。

 

「瀬戸内ワークス」スカウト担当の原田佳南子さん。

 

原田さん「ランドスケープデザインがご専門と拝見し、気になってお声がけしたんです。いただいたお返事も好感触でしたから、まずはお話をしてみませんかと。瀬戸内ワークスはたくさんの事業を立ち上げていますし、まだまだリリース前の情報も多いです。文章だとわからないこともあるので、直接お伝えしたほうがいいと思ったんです」。

そしてもう一つ、と。

原田さん「帰国日を伺ったら、かなり近々なのに『場所はどこでもいい』と仰って。私も2018年にここに移住したばかりだったので、その自由さには驚きましたし、柔軟性や人柄にも魅力を感じました。そして、雇用形態にこだわらない自立心の強さ。今は立ち上げ期で私たちも先が見えずに走っている状態です。なので帰国した時には話が変わっているかもしれないとお伝えしたのですが、とても寛容に受け入れてくださったんです。この方ならと確信が持てました」。

地元の人たちに勇気づけられて

この会議を経て、ほぼ三豊市に移住をしようと心を決めたOさん。視察当日も、待ち合わせ場所のUDON HOUSEのドアを開けた途端、行われていたミーティングにいきなり参加することになって驚いたと笑います。

 

自宅裏の風景。

 

 

自宅裏で読書をするOさんのお子さん。

 

Oさん「今ならそれも三豊流だとわかりますけどね(笑)。ただ、2月に一時帰国したときは、仕事よりはまち自体を見せていただいた感じです。2日間かけて三豊市周辺を案内してもらい、子どもの同級生となるであろうご家庭や、まちのみなさんを紹介していただきました。一番思い出深いのは曽根果樹園さん。そこのお母さんが大歓迎してくださって、子どもに向かって『あなたは○○小学校がいいよ』と言われたんです」。

原田さん「市役所の職員さんが、果樹園のお母さんに『ニュージーランドから帰国した後の移住先を探されている方だ』とご紹介したようで、その時に『もう絶対来なさい』と仰ったのだとか。知らない場所に対する子どもさんの不安を一掃する、とても強い言葉ですよね。さすがに私にはそこまでのことは言えなかったんです、家族の人生を変えるわけですから。でも地元の人にそう言ってもらえたからこそ、子どもさんも安心感を得られたんじゃないかと」。

Oさん「その後はもう三豊に住む気になっていましたね。小学校を2つ案内してもらったんですが、お母さんの仰った小学校にすると、子どもが自分で決めていました。今では曽根果樹園さんのお手伝いをさせてもらうほど馴染んでいます。その時にも思いましたが、三豊は住む人みんなが地元を愛しているんですよね。こんな田舎なのにとか、何もないからつまらないでしょうとか、卑下するような言葉が一切ない。この場所が楽しくて仕方がないという人たちばかりなんです」。

移住を決意した後の空き家探しや修復、掃除を含めた移住準備は、地域ぐるみの完全協力があったそう。そのおかげで、帰国まで約1カ月しかなかったにも関わらず、スムーズに事が運びました。

地元の人たちの受け入れ力の高さと面白さ

新しい暮らしも早3カ月。実際に住んだ印象はどんなふうに変わったのでしょうか。

Oさん「三豊の人は、高い受け入れ力があると感じています。移住する心配事の一つには田舎の閉鎖性、決めつけや詮索があると思いますが、ここはまったくありませんでした。地域の2、3代目の若い方たちはもちろん、果樹農家のおじいさん、おばあさん世代も外からの人間をきちんと理解してくださいます。ずかずかと踏み込んではこないのに、困ったらすぐ助けてくれる。お裾分け仲間にも入れていただいて、排他的ではないのにいい距離感があるのが素晴らしいです」。

それはうれしい誤算だった、と笑います。なぜ三豊はそういう土地なのでしょうか、とさらに質問してみると、土地を深く理解して景観づくりをするランドスケープデザイナーらしい観察眼による持論を話してくれました。

 

三豊の人たちの受け入れ力を地図とともに説明してくれるOさん。さすがの説得力。

 

Oさん「推測ではありますが、一つはお遍路さん文化の力だと思います。よそから来た人を受け入れ、お遍路さんから持ち込まれる各地域の文化も否定しない空気が昔からあったのでは。それから、京都の賀茂神社の御厨として栄えていた仁尾地域の影響。豊かな京都のまちで品物を売り、京文化を持ち帰ることで生まれた経済的な豊かさや文化を楽しむゆとりが、今も息づいているのだと思います」。

家屋のつくりや瓦、街並み一つとっても独特です。「これからの研究テーマ」だという鬼瓦や、三方が山で一方が海という仁尾らしい外壁の少なさ、誰かが愛情こめて手入れしている道端の花……。人も同じで、知的さや文化度はもちろん、心づかいや思いやりなどに民度の高さを感じると語ります。

 

三豊市でよく見られる鬼瓦。

 

Oさん「ニュージーランドとも近い部分があると思いました。都会から離れた場所だからこそ土地の伝統や文化が今もうまく残っていて、それを大切にしながら新しいものをつくろうという想いが土地の人たちにあるんです。遺跡ではなく生きた文化であることが、とても魅力的だと思います」。

 

「写真を撮っている人なんて誰もいないんだけど、こんなにきれいな場所はないんじゃない?って」興奮したという、近所のため池。

 

おすすめの景色を聞くと、「ダントツで私の住んでいる場所」と即答。仁尾(にお)地区の、まるでジブリの世界のようなトンネルから抜けて海が見える場所、玄関から夕陽の美しい海が見えるツバメの巣もある自宅からの眺め、水が少ない地域ならではのため池、そして裏道のよく繁った緑と黄色のレモンの木。見せてくれた写真一枚一枚に、溜息の出るような美しい日常が記録されていました。

Oさん「自分の家から500メートル圏内が一番いいって思えるって最高ですよね」。

 

Oさんの自宅近くの風景。

 

動き始めた三豊に感じる魅力

そして、話の合間にOさんがぽろりとこぼした「三豊はここから先2〜3年が一番面白いと思う。一番いいタイミングで移住できたと思う」という言葉。まちが動き始め、これからどうなるかというタイミングに否が応でも参加せざるを得ないからこそ面白いと言うのです。

Oさん「たとえば、食と住がクロスカルチャーしたUDON HOUSEのようなコラボプロジェクトも多いですし、その部分でも面白くていい土地だと思います。今はランドスケープデザイナーとして関わらせてもらっていますが、正直仕事やニュージーランド帰りという肩書きにはあまり興味がないんです。その土地に人がいて何かが循環している、その輪に入りたいという気持ちがあるだけ。そこでの立ち位置がランドスケープデザインなら喜んで提供しますし、もし他の知識が必要ならそちらでもいいと思っています」。

私は建築家ほどのアーティスト気質はないから……とあくまで謙虚。お話を聞いているうちに、この「そこにあるもののよさを引き出す」、「求められれば答える」というスタンスだからこそ、動き続ける今の瀬戸内ワークスに、三豊市に惹かれたのかもしれません。

Oさん「わたしに座右の銘のようなものがあるとしたら、停滞は危険の兆候だということ。人は動き続け、変化することが普通ではないでしょうか。草花の種だって、秋冬の見た目は同じでも静かにゆっくりと動いていますよね。だから私は生活を変えられるなら変えたいし、それでもし何かが得られなくなるなら手放してもいいと思っています。変化がない場所に居続けるのは息苦しいから、変えられるものには積極的に参加してみたいんです」。

 

条件が揃うと美しい水鏡の光景が広がる、父母ヶ浜。

 

ランドスケープデザイナーの視点で地域を豊かにする

今、三豊は大きく変わりつつあります。「ウユニ塩湖のよう」とInstagram経由で有名になった父母ヶ浜の夕日や紫雲出山の桜を見に、また芸術祭へと訪れる観光客たちをもてなすための仕事がたくさん生まれています。

Oさん「前にいたニュージーランドは、今の三豊のような状況での対策づくりがとても上手な国です。多民族国家なので、注意喚起ひとつとっても言葉ではなく、ピクトグラムや動線の工夫で解決する方法や、それを見た時の人間心理をよくわかっています。そして私は、それらを旅行や視察ではなく暮らしを通じて肌身に感じ、原理を大学で学んだ経験もあるので、瀬戸内ワークスのために存分に提供できたらと思います」。

地域のよさを活かしながら、地域を豊かするための宿泊施設や飲食店、サービスとはどんなものかをランドスケープデザイナーの視点で考えていく。もはや宿泊施設のプロジェクトに欠かせない存在になっています。

Oさん「ホテルや宿泊施設の備品のラグジュアリー感は盛ればいくらでもできますが、大きな遊園地やランドマーク的施設があるわけではない観光地では、お客さんを何で惹き込むかというストーリーが大事です。三豊の場合は荘内半島の伝説をベースにした『時間を忘れること』を軸に、旅の非日常性が体験できる形がいいのではと考えています。今の旅って、もはや観光地巡りや物に消費する段階から経験や感動にお金を払う段階に変わりつつありますよね。なので、このストーリーをデザインに盛り込みつつ国内外の方にうまく伝えられるものにできればと。おそらく、とてものんびりしてもらえる空間になると思いますよ」。

仕事の話が一段落した時、今回の移住を「新しい次の本を読み始める気分」とたとえたOさん。そして、みんな本の同じページの同じ行を読み続けることはしないのに、土地や人、仕事に置き換えると急にこだわりが強くなるのが不思議で、と言いました。

Oさん「昔のことに囚われたり、何かと比較したりして選ぶのではなく、その場所にいる、その時の自分が好きかどうかを一番として考えればいいのにと思います」。

変化を求めるOさんは、新しい暮らしを探す中で、変化し始めた三豊市と瀬戸内ワークスに出会いました。このプロジェクトが終われば、また違う仕事や立ち位置で関わるかもしれない。逆に彼女の力を活かした新プロジェクトができるのかもしれません。

また、瀬戸内ワークスには、地域の要請にあわせながら面白いプロジェクトにしていける対応力と幅広さがあります。そこに関わることは、誰もが今の力を活かし、新しい自分の能力を見つけるきっかけにもなるに違いありません。みなさんも、瀬戸内ワークスの取り組みに参加してみませんか?

※この記事は、香川県三豊市のご協力により制作しています。

文 木村 早苗
インタビュー写真 池田 礼

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