約26,000人が暮らす長崎県壱岐市は、福岡の博多港から北西に高速船で1時間ほどの位置にある島。古代から大陸との交流や交易を担ってきた場所でもあります。
そんな壱岐市が、近年進めているのがSDGsの取り組み。2018年6月にはSDGs未来都市に選定され、また2019年9月には、国内の地方自治体で初となる「気候非常事態宣言」を表明しました。魏志倭人伝や日本書紀にも記された遺跡群が点在し「古代史の島」とも評される地が、未来に向けて今何を考えているのか。SDGsの導入を含め、宣言に到った背景を、長崎県壱岐市役所総務部SDGs未来課課長の小川和伸さんと、SDGs未来班係長の篠崎道裕さんに伺いました。
経済・社会・環境の3側面からまちの課題にアプローチできるSDGs
お話を伺った課長の小川和伸さんと係長の篠崎道裕さんが所属するSDGs未来課は、2019年4月にできたばかり。SDGs関連の取り組みは政策を担当する企画振興部で長く扱ってきましたが、役所内での横断的な協力を得る難しさや民間企業との連携が進みにくい状況がありました。そこで、2018年にSDGs未来都市の選定を受けたことを契機に、横断的な協力体制も得やすくなる総務部直下の課として新たに誕生。SDGs案件のみならず、政策企画課や観光課などと連携してシティプロモーションや移住促進・関係人口拡大などの活動も行っています。
さて、SDGsとは、2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)」のことです。「誰一人取り残さない」持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現をめざし、2030年を期限として貧困や飢餓、保険、教育、ジェンダーなど17の国際目標を設定。世界中の国や企業が、この国際目標に沿った問題解決のための活動を行っています。
壱岐は離島であるがゆえの課題を、さまざまに抱えてきました。たとえば、社会面では人口減少や若年層の島外流出、経済面では基幹産業である農業漁業の後継者不足とそれによる停滞傾向、環境面では、九州本土と系統連系されておらず島内の火力発電で賄っている電力状況と省エネ意識の薄さなどです。特に環境面での再生可能エネルギーへの移行は、検討や調査も進めていながら導入が遅々として進まない状況にありました。
小川さん「そこで目をつけたのが、経済・社会・環境の3側面から社会課題にアプローチをするSDGsの考え方です。当市の白川博一市長は、全国離島振興協議会の会長を5年間勤める中で、手に入る情報をどれだけ自分たちのものにできるかが大事だと常々話してきましたが、SDGs未来都市への応募もその一つだったんです」。
キーワードは“対話”。参加者の半数が高校生という壱岐市の対話力
募集開始から締切までは1カ月しかなかったため、すでに進行中の事業をベースに政策アイデアを全庁に募集。ところがうまく形にならず、市が富士ゼロックスとともに子どもや若者、住民の豊かな暮らしをめざし企業や学校、観光事業と連携して取り組んでいる「壱岐なみらい創りプロジェクト」の一環である「みらい創り対話会」から出たアイデアを活用することに。また同会は、壱岐市民なら誰でも自由に参加できるまちづくりへの意見提案や企画、実施の場です。高校生を始め若い世代の参加者も多く、以前からこの会で生まれたアイデアを政策に活かしてきた実績もあっただけに、提案書向けに応用する作業はそれほど難しくなかったのです。2018年3月末には、「サイバー空間と現実空間を融合させ、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の超スマート社会」を目標に、2030年に向けた5つのイメージを描いた提案書「壱岐活き対話型社会『壱岐(粋)なSociety5.0』」を提出。内閣府から選定を受けました。
また、同時に提案されたSDGsモデル事業が「Indsutry4.0を駆使した新たな6次産業化モデル構築事業」です。「生産から販売まで各工程にテクノロジーを組みこんで2030年にあるべき6次産業の姿を実現する」ことが目的です。
小川さん「そもそも当時は、全国的に反応した自治体が少なかった気がしますね。それから、SDGs選定都市の多くが環境重視だった中で、壱岐市は新たに加わった経済を重視していたのが特徴です。有識者の方からも、一次産業が中心の地域で労働者の高齢化や後継者不足をテクノロジーで補う『スマート6次産業化モデル』を含めた経済重視の視点に独自性があるとして評価され、選定に到ったのだろうと伺いました」。
この提案書の基礎になった「みらい創り対話会」は、以前から市の施策に大きな役割を果たしてきたことは先にも書きました。そもそもは富士ゼロックスが岩手県遠野市で行ってきた震災復興支援事業であり、市民の考えをまとめる場となっていました。
小川さん「市長は、今までの行政では各種の団体・組織のトップの声しか市役所に届かず、市民のみなさんの声をどう拾っていけばいいのかとずっと考えてこられました。そのうちに遠野市の対話会の仕組みを知り、これこそ声を拾って機会をつくるよい場になるはずだとのことで、2016年から始まりました」。
過去4年間の参加者は、のべ1,813人。世代は決まってはいないものの、初回に偶然参加した高校生の口コミがきっかけとなり、今では参加者の半数が高校生です。
これまでに実現したテーマは21個。高校生発案の企画も多くあり、その一つがゴミ拾いイベント「拾(ひろ)イキ」の実施です。NPO団体が行っている海岸のゴミ清掃を、やらされるのではなくもっと積極的に取り組める方法はないかという課題から、ゲーム性を加えたイベントとして提案。企画や運営も含めて高校生たちが自ら手がけ、成功を収めました。
また、神社庁に登録済みの神社約150社、室町時代からある格式高い延喜式内社が約24社を含め島内に1,000以上あると言われる神社仏閣を選んで電動自転車で回る観光コースづくり、島を出るフェリーに横断幕を向けて行うあいさつ運動など、島ならではのアイデアが多く並びます。
小川さん「じつは、島内の高校生はSDGsへの関心が非常に高いんです。学校側でも島を出た後で役立つ学びを模索してきたのですが、グローバルな社会で必要になるSDGsの取り組みを市役所から薦めたこともあり、今では『探究』の授業でSDGsの勉強をしています。元々あった『郷土を学ぶ』授業をどう発展させるかという課題やESD教育との関連づけもあり、SDGsを教育の現場に導入しやすくなったんです」。
こうしたすべての活動に共通するのが“対話”。「SDGs未来都市」選定応募時の提案書のサブタイトルにも「壱岐活き対話型社会」とあるように、“対話”は壱岐市全体における重要なキーワードなのです。
小川さん「壱岐は弥生時代から交流、交易の場でしたから、古くから島全体や島民に対話の意識が根付いていたと言われます。実際に近所づきあいも非常に密ですし、他の地域と較べてもかなり濃いと思います。またよそ者や若者を大事にする風土もあります。これらを未来に繋げていく活動をといつも考えています」。
教育の課題にも、農業の課題にも、SDGsの観点からアプローチをする
現在のSDGs活動の拠点になっているのが「壱岐フリーウィルスタジオ」。こちらも、人口減少で増えた空き公共施設を活用すべきではという対話会での提案をきっかけに、人が集まる拠点として、また全島に通る光ケーブルも活用したワークスペースとして生まれ変わったテレワークセンターです。
提案書における社会目標「IoT人材育成・獲得」や「コミュニケーションインフラ」などの拠点としては、ITスキルアップ講習や主婦向けのWebライター研修を実施。また原の辻遺跡の倉庫をリノベーションした経緯から、遺跡を活用した企業研修プログラムの開発・運営も行っています。
企業研修で訪れる島外の企業も多く、年に約3,000人の利用者があるのだとか。また市と事業を進めるIT企業のサテライトオフィスも多数あり、スタジオの運営を行う一般社団法人壱岐みらい創りサイトのほか、2019年10月に壱岐市と遠隔教育事業で「SDGs推進に関する連携協力協定」を結んだキャニオン・マインドも入居しています。
小川さん「離島であることから、教育面でも課題があるんです。高校は2校あるものの、卒業後は9割が進学や就職で島を出ますし、最近では中学から島外に出る例も増えています。塾のない島での受験勉強に、親御さんが不安を感じることが原因と見ています。そこでSDGsの4番目にもある『質の高い教育』を確保すべく、遠隔教育プログラムの開発を共同で行うことになったのです」。
さらには環境目標についての取り組みも進めています。
小川さん「一つは『環境ナッジ』による行動変容を促す事業です。ナッジとは行動経済学で言う“肘で突いて行動を促す”という意味です。省エネ活動を今までと同様に呼びかけても大人には響きにくいため、中学生に総合学習で環境教育プログラムを学んでもらい、その学びを通じて親に環境の大切さを伝えてもらう。子どもたちが重要性を認識することで、自然に大人の行動にも影響を与える形を進めています」。
そして「Indsutry4.0を駆使した新たな6次産業化モデル構築事業」にまとめられた、IoTやAIを活用したスマート農業の取り組み。壱岐市では古くから漁業や農業などの第1次産業を基幹産業としてきました。そのうち総生産額の7割を占める畜産業を含む農業では、生産量が減っているとは言え専業でも生活できる段階です。
小川さん「SDGsモデル事業として提案したのは、アスパラガスのハウス栽培におけるスマート農業化です。後継者不足解消を目的として、労働工数が多く休みが取れない現場の負担軽減、勘や経験による栽培技術の見える化とデータ化をめざすという事業です。一方の漁業は深刻で、海水温の上昇によって藻場が狭まり、この50年で漁獲量は半減、ウニも取れなくなって専業では生計が立てられなくなっています。この漁業の復活に取り組むためにも、前段階としてスマート農業による先進技術の知見を身につけ、漁業への横展開を検討しています」。
自治体初の「気候非常事態宣言」表明がもたらしたもの
2019年9月の「気候非常事態宣言」では、漁業の藻場減少など悪影響を与えてきた海水温の上昇、ここ3年で起こった50年に1度の大雨や台風などの理由が温暖化にあると考え、市をあげて対峙する姿勢を示したのです。長年、市として何らかの対応をすべきだと考えていながら、具体的な形に繋がらずに来てしまった状況がありました。それを変えたのが、NPO法人環境経営学会会長の後藤敏彦さんと市長の出会いです。グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパンの企業研修をきっかけに、役員の後藤さんと市長の対談が実現。その際に「気候非常事態宣言」に関する情報提供があったと言います。
小川さん「世界では気候変動や温暖化に対し『気候非常事態宣言』を出す国や地域が増えているにも関わらず、国内の認識は遅れている、と。SDGsの国際目標13は気候変動対策でもあるので、その精神に沿って、市でも宣言の表明を検討されてはどうかと提言をいただいたのです」。
電力の需給バランスを調整するために風力発電や太陽光発電の出力が抑制され、島内の電力利用に再生可能エネルギーの導入が進まない課題を解決すべく、2018年に「2030年に向けた低炭素・水素社会の実現ビジョン」を策定していた壱岐市。再生可能エネルギーによる水素発電に取り組み、2030年には再生可能エネルギーと水素エネルギー導入率24%、2050年には100%を目標に掲げた方向性が「気候非常事態宣言」にマッチすることもあり、宣言の策定が具体化していったのです。
小川さん「宣言では4つのことを挙げています。1番目が、4R(Reduce/Reuse/Recycle/Refuse)の推進。壱岐市のゴミ分別は21種類、リサイクル率も35.9%で長崎県内で1位です。その取り組みを強化しながらプラごみ対策やレジ袋削減活動も地道に行うこと。2番目が2050年までの再生可能エネルギーへの完全移行、3番目が森林の適正管理と海や川、森林における自然循環の実現、4番目は他の自治体に対する「気候非常事態宣言」連携への呼びかけです」。
とはいえ、自治体での宣言は前例がありません。日本語での宣言文のひな型がないため海外のものを翻訳して独自の内容に修正する作業、専門外の環境用語への不安、議会への説明と多くの苦労がありました。国際交流員の協力、環境経営学会や市内の地球温暖化防止対策協議会の指導などを受けながら、最終的には議会で、国連「気候行動サミット」でのグレタ・トゥーンベリさんの演説を例に、壱岐市民ひいては社会全体に重要なものだと訴えたのです。
この宣言を発表したことで、各自治体との連携活動は明らかな動きを見せ始めました。2019年10月に行われた九州108都市の市長が会する「九州市長会」では、市長がSDGsの取り組みと「気候非常事態宣言」表明の理由を発表。地球温暖化対策に向けた具体的な行動を呼びかけた一方で、各都道府県や団体からの講演要請も増加しています。
篠崎さん「先日も福岡県みやま市の『第13回地球環境を考える自治体サミット』にお声掛けいただき、『気候非常事態宣言』を発表した経緯と内容をお話してきました。他の自治体や団体からのお問い合わせも多く、市長が東京ほか島外で講演される機会も増えたので、呼びかけはかなり活発にできていると思います」。
自治体が環境問題に取り組むために必要なこと
ここ数年の気候変化を感じ、2019年には未曾有の規模の台風や自然災害で被害を受けた地域は国内でも複数あります。環境問題に取り組む先進的な自治体として壱岐市が注目され始めたのは、行動を起こしたいと思いながらも二の足を踏んできた自治体が多いことの現れとも言えるでしょう。では、行動に繋げるには何が必要なのでしょうか。
小川さん「自治体としての宣言では、何よりも市長の即決と覚悟を持った決断が重要かと思います。壱岐市長は、この島を全国の離島振興のモデルにしたいとの強い信念も持っておられます。正直なところ、首長が腹を括れているかどうかなのかもしれませんね。また規模の大きな自治体ですと、関連窓口の担当者ですら環境における世界動向に興味が薄いと聞きます。職員自らがどこまで自分ごとにできるかも重要なことだという気がします」。
すべての市民に理解してもらい、気候変動や地球温暖化への取り組みを定着させていくのは並大抵ではありません。しかし今回の宣言文は、市議会に提案し承認を受けたものであり重みも違います。メディアの報道も多く、市民に考えるきっかけを与えられたのでは、とも。気候非常事態宣言を出したいという島内の団体からの相談があったり、民間企業による新たな事業計画等が提案されたりするなど、間違いなく島内にも影響を与えています。
小川さん「宣言にも繋がったSDGsですが、これはあくまで手法です。たださまざまな事業展開に繋げられるので、自治体の方は積極的に取り組んだほうがいいと思います。バックキャスティング(※なりたい未来の姿から逆算して現在の施策を考える発想)の考え方が入っていますし、今後の行政運営にも必須の考え方になるでしょうから」。
SDGsを使って民間企業といかにうまく連携するかが大事。そこから新しい何かが生まれたり、さまざまな技術を導入できたりするメリットの大きい活動だと思う、と改めて語った小川さん。
強い思いが込められたSDGsの活動は壱岐市民の未来を広げ、自治体初の「気候非常事態宣言」は海を越えて長崎県、ひいては日本の未来をも牽引する活動となりつつあるのです。
文 木村 早苗
写真 池田 礼