人口約2万人の大分県竹田市に、ここ5年で200人以上が移住。地域おこし協力隊は40人超!移住担当・後藤雅人さんにその理由を聞きました

大分県竹田市(たけたし)は、九州中部、ほぼど真ん中に位置する大分県南西部の山間のまち。作曲家の瀧廉太郎が「荒城の月」の構想を練った岡城(おかじょう)が知られる城下町でもあります。JR豊後竹田駅を中心に、城下町らしい古い町並みと細い路地が残っていて風情があります。

ぶらりとまちを歩いていると瀧廉太郎ゆかりの音楽が鳴るトンネルも!

そんなのどかな人口2万人ほどのまちに、ここ5年で(自治体が把握しているだけで)200人以上が移住をしているのだとか。さらに、竹田市の地域おこし協力隊の隊員は現在40人以上。どうしてそんなに多くの人が竹田市に集まっているのでしょうか?

その秘密を探るべく、竹田市役所企画情報課 まち未来創造室の後藤雅人さんにお話を伺いました。

着任してすぐに行ったのは、「仕事や住居の斡旋」と「空き家バンクの充実化」

後藤さんは竹田のご出身で、実家は代々女性が制作し、今では竹田唯一の名産になっている「ごとう姫だるま工房」の息子さんでもあります。佐賀県の大学に進学後、市役所職員として竹田市に戻ってきました。

「まちをおもしろくするために役立ちたい!」と意気込んでいたところ、最初に配属されたのは税務課。税務課……?と思いながらも5年間働き、次に配属されたのが、まちの移住促進を担当する今の部署。当時は竹田に移住希望者も少なく、閑職だと思われていたそう。

ところが、後藤さんが着任した2013年は東日本大震災の後で、特に西日本へ移住を希望する人がどっと増えた時期でもありました。それから8年間、部署名の変更はあるものの、一貫してずっと他地域からの移住促進を担当する部署に所属し、活動を行ってきました。

移住担当となった最初の2年間は、休みが1日もないほど突っ走ったのだとか。移住希望者ひとり、ひと組ずつ丁寧に対応して、竹田に来て欲しいって思った人には、とことんアプローチし、なんでも対応したといいます。

後藤さん「例えば、移住先の家を決めるのもちろんですけど、仕事を探したりだとか、地域のひとに、『こういう人が移住してきますよ』って、先に言っておいて、移住したときには、もう地域の人が既にその人のことを知ってるっていう状態をつくったりしました」。

後藤さんは、地域の人、面白い活動をしている人と移住希望者をつなぐ「移住のバトンリレーモデル」を大切にして、移住後にスムーズに溶け込むことができるよう配慮している

そうした対応は、他の地域の移住担当者も心がけている方がたくさんいるかと思いますが、後藤さんは、この人!と思うとスカウトする勢いで、移住希望者のご自宅へ訪問するなど、その量が圧倒的なようです。

さらに、仕組みとして以前からあった、空き家バンクの物件の充実化を図ったことも大きく寄与しています。

後藤さん「空き家バンクの物件も増やしました。候補物件は全部直接見に行って、『これなら住める』と自分が判断した家だけを掲載して、150軒以上に増やしました」。

すると、県外からのアクセス数が一気にアップ。問い合わせがあった方に適切に対応し、その後の移住への動きに繋げていったそう。

また、移住に際して、新たな家と仕事の斡旋のほかに、いかに地域の人たちとつながっていくかが大きな課題になることもあります。そこでも後藤さんは大活躍。

後藤さん「移住実現までだいたい1年くらいかけるんですが、希望者それぞれに合った地域をマッチングしたり、人を紹介したりして、実際に引っ越して来た時には、既に40〜50人知り合いがいる状況になっているんです。だから移住しても不安じゃないし、仲間がいる」。

移住を決めて、実際に引っ越してきたときに、顔見知り以上の関係性がある人たちが複数いる。それは確かにとても心強く、安心できる材料になりそうです。後藤さんは、どのようにそんな濃密な相互関係をつくっているのでしょうか?

後藤さん「移住希望者が竹田市にいらしたタイミングで、先輩の移住者とか地域のまちづくりに興味があるおじいちゃん、おばあちゃんを、がーっと集めて、飲み会をするんです。移住者同士のつながりだけでなく、地域でその人たちのおじいちゃん、おばあちゃん代わりになれるような人をうまく紹介して、来たときには「家族」みたいな人が数人いるというような状態にしています。さらに、僕のほうでその様子を遠目に見て、後でつなぎたいなっていう人をあらためて紹介していますね」。

後藤さんは市が行う空き家バンクの充実化を図り、自ら物件を開拓、「自分もここに住みたいと思える」家を用意し、市のWebサイトに掲載しました。家や仕事の斡旋は当然のこととして質の高い紹介を行い、さらに大人数の飲み会を実施し、関係人口をつくりまくる。

さらに、ぜひこの人に竹田に移住してほしい、という人に出会ったら、(移住前の)家になかば押しかけ、自分の家族のように思ってもらえるように、後藤さんのご自宅で集まる会を催したり、泊まってもらうこともあったそう。そんな努力が実り、2013〜2015年の2年間だけで100人が移住し、定住率は94%という状態が生まれたのです。

地域おこし協力隊の積極活用。どうして40人超に?

もうひとつ、竹田市の大きな特徴は、地域おこし協力隊が40人超と日本で一番人数が多いということ。なぜ大人数を採用するに至ったのでしょうか?

人数に関しては「特に増やそうという意図があったわけではなかった」のだとか。地域おこし協力隊の採用をはじめることになった1年目、市の各部署にそれぞれどんな職を募集したいかと聞いて回ったところ、それぞれ違う仕事の希望があったため、初年度は10人を募集。ところが応募者が殺到し、協議した結果、18人を採用することに。さらに1年毎に15名前後を採用し、結果としてこの3年で40名超の隊員数になった、というわけです。

ここには、移住へのハードルをもっと下げられないか、という思いもありました。

後藤さん「やはり完全移住へのハードルは高くて。移住してすぐ、地域の人との関係づくりなどに苦労している姿を目の当たりにしたことで、移住へのハードルを下げるために行政としてサポートができたら、という思いから地域おこし協力隊を積極的に採用することになりました。最初の2年で移住者が増えたことで、受け入れる地域側としても、ある程度慣れてきて、受け入れが困難ではなくなってきたので、外から人を集めよう、と」。

地域おこし協力隊の卒業生が、まちのキーパーソンになっていく

「ゲストハウスたけた駅前ホステルcue」を営む堀場さん夫妻は、ご夫妻でそれぞれ地域おこし協力隊制度を利用して千葉から竹田市に移住。まちつくり会社などの担当を経て、協力隊3年目で念願のゲストハウスづくりに着手、2017年からJR豊後竹田駅から歩いて2分の場所に「たけた駅前ホステルcue」をオープンしました。

1階パン屋「かどぱん」と兼用のゲストハウスチェックインカウンター

オーナーの堀場貴雄さんは「後藤さんがいたから移住を決めた」のだそう。後藤さんも「堀場さんは協力隊の初期メンバーで、まちのキーパーソンのひとり」と断言。今では外国人旅行客やリピーターの観光客も増え、駅前通りの風景を豊かに変える場所に育っています。

オーナー堀場夫妻。ゲストハウスは旅人とまちをつなぐ存在として欠かせないものに

面白いまちにする「共犯者のような仲間」をつくりたい

後藤さんは、昨年度より地域おこし協力隊の担当も兼任しています。協力隊が40名超になったことで、それまで業務ごとに管轄する課が異なっていた隊員をまとめる必要性が出てきたからです。

後藤さんが行っているのは、やはりここでもヒアリングを通した丁寧な対応。ひとりひとりと年に数回の面談を行い、それぞれの仕事内容を把握。3年の任期中の異なる役割を整理して、協力隊カルテと評価シートを作成し、異動などで課の担当者が変わっても情報共有ができる仕組みを構築しました。

後藤さん「僕自身が、8年間という長きに渡って担当していることがいい風に作用しているかなと思います。担当者が変わってしまうことは自治体の問題点でもありますよね。それに僕の感覚では、協力隊のなり手も減ってきていて、竹田市でも平成31年度の隊員は、50代の3名。協力隊制度は過渡期に入った感があります」。

後藤さんは、これからはもっと若い世代にも竹田とつながりをもってほしいと考えています。特に力を入れているのが大学生のインターン。今までの移住者でも、大学時代にゼミで関わって通った地域に移住したという例は多く、学生時代から竹田市と縁を持つきっかけづくりのため、実践型インターシップなどを手掛けるNPO法人ETIC.と組み、「地域ベンチャー留学」という制度をスタートさせました。

また、今後は新たに移住支援専門の民間組織を設立することが決まっているそう。行政の支援も入りつつ、専門の窓口を立ち上げ専任を置くことで、よりきめ細やかな対応を行えるようになると考えてのことだそうです。

後藤さんの移住希望者や地域おこし協力隊員への細やかな対応、その情熱。さらっと「人が好きだから、苦にはならない」と話してくださいましたが、その源泉はいったいどこから来るのでしょうか?

後藤さん「人に興味があるんです。この人はどういう人生のきっかけで移住したいと思ったんだろう?ということに興味があって。自分に持っていないものを持っている人の話を聞くのが好きなんです。それと、やはり竹田のような若い人が少ないまちに、移住担当者の立場を離れても、おもしろいことができる共犯者のような仲間が増えたらいいと思っていて」。

竹田のまちを「この場所から元気にする!」という思い

2012年に竹田にUターンし、イタリアンレストラン「Osteria e Bar RecaD(通称リカド)」を開業した小林孝彦さんもその「共犯者のような仲間」のひとり。小林さんは、まちの中心、四つ角にある元クリーニング屋さんの建物をリノベーションし、昔と比べて活気がなくなった竹田のまちを「この場所から元気にする!」という思いから開業しました。

竹田のまちに大きな「居場所」をつくった小林さんは、地元の食材を贅沢に使った絶品料理(ミシュランのビブグルマンも獲得)を提供しながら、竹田のまちへの熱い思いをたくさん聞かせていただきました。

大分名産の「かぼす」果汁を使ったオリジナルのカボスビールも絶品

食から竹田を元気にすると意気込む小林さんの元には多くの人が集まる

後藤さんは、竹田市長である首藤勝次さんがよく使われる言葉「人間磁場」を引用して、「あの人がいたからこそ、こんなまちになることができた。移住でも観光でも、おもしろい人がおもしろい人を呼ぶ」ということを実直に実践してきたのです。

そこにあるのは「地元の人も竹田のまちを誇りに思う、シビックプライドを持てるようなまちになってほしい」という思い。市の方針とガッチリ合致した、人ありきのまちづくりが、このまちの居心地をよくさせているのかもしれません。

後藤さんが特に力を入れた竹田市の移住政策をまとめると

1 仕事や住居の斡旋
2 空き家バンクの充実化
3 繋がりを深める地元の住民を紹介

の3つ。そして人をその中心に置き、広がりをつくっていくといえそうです。

後藤雅人さんのお話から大分県竹田市の移住政策の肝は、特別なことをしたわけではなく、オーソドックスな移住への道筋の「質と量」を高めることに尽きることが見えてきたように思います。

地域おこし協力隊の積極的な活用も、人数合わせのために行うのでなく「いい人がいれば採用、いなければ採用しない」と人重視の方針がしっかりと定められていることが印象的でした。

移住した人たちがどのような活躍をしていくのか、どうまちが変化していくのか? 今後の動きも要注目です。

文・写真 西村 祐子

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ABOUTこの記事をかいた人

Yuko Nishimura

『ゲストハウスプレス』編集長・ワンダラーズライフデザイン代表。「日本の旅をリノベーションする」を合言葉に、物見遊山的な観光ではなく、暮らしに寄り添う体感型の旅の楽しさをメディア発信。自身の小売業店長、Webディレクター、セラピストなど豊富な職業経験から「新たな視点を得、生き方を見つめ直す」ツールとして旅を再定義、インタビュー取材を中心に、旅や暮らし、まち、移住関連のトピックを多く執筆中。