関係人口をつくるために、観光をアップデートする。静岡県・南伊豆町の、観光を体験という視点で再編集した「南伊豆くらし図鑑」

関係人口をつくるために、観光をアップデートする。静岡県・南伊豆町の、観光を体験という視点で再編集した「南伊豆くらし図鑑」

静岡県の伊豆半島最南端にある南伊豆町は、人口約8,000人のまち。日本の渚100選にも選ばれた弓ヶ浜海水浴場や温泉もあり、海や温泉好きが集まる観光地です。基幹産業が夏の観光業や農業であること、最寄り駅から車で20分かかることもあってか、少子高齢化や人口減少の問題があることも否めません。しかし南伊豆町では、今ある資源を活かしながら新たな層を呼び込もうとさまざまな施策が行われています。

今回紹介する『南伊豆くらし図鑑』と『南伊豆新聞』もそんな施策の一部。地域の面白い人に会いに、南国のような空気感に海や山、温泉が揃った南伊豆町にもっと来てほしい。そんな思いでふたつのメディアを運営する伊集院一徹さん、そしてまちのキーパーソンたちに、南伊豆町の新たな地域メディアとその運営に欠かせない人々との関わりについて伺いました。

南伊豆町を知り、自らを知ってもらうために始めたメディア

そもそも南伊豆町は、約30年前から移住者の受け入れを行ってきた移住先進地域。東京の杉並区では移住説明会や体験ツアー、小学生向けの海遊びツアーなどを定期的に行い、台湾の修学旅行生受け入れや全国向けの「お試し移住」制度など、幅広い層にアピールをしてきました。2018年にスタートした『南伊豆くらし図鑑』と『南伊豆新聞』は、その中でも最も新しい試みです。

『南伊豆くらし図鑑』とは、南伊豆町に暮らす人たちの生活を実体験できる“暮らし体験プログラム”のことです。これは2000年にデンマークで始まった “生きた人間が本となり、読者に貸し出される1対1の対話”の仕組みを持つ「ヒューマンライブラリー」を参考にしたもので、語り手1人に対し参加者1〜2人が基本。そのため語り手は気軽に、参加者は深く対話や体験ができるという長所があります。南伊豆町の場合は、すべての町民に「新たな生きがい」と「複業のきっかけ」を提供する場であり、若者たちに語り手の活動を通じてまちの可能性を示す役割も担っています。

南伊豆くらし図鑑を運営する伊集院一徹さんは、2018年4月に地域おこし協力隊として着任。生まれは鹿児島県、前職は東京の出版社勤務の編集者でした。つまり、南伊豆町の知識も関係を持ったこともない立場でしたが、縁あって立ち上げに関わることになりました。

伊集院さん「2年前までは、南伊豆町で働く未来は全然想像していませんでした。最初にお話をいただいた時は、まだまだ東京で働きたい気持ちが強かったし、将来は鹿児島で仕事をつくりたいという目標もあったので、移住を前提にした仕事は考えられなくて。そもそも南伊豆町がどこかも知らないのに、こんなに大事な仕事は受けられないと思ったんです」。

一度は断ったものの、二度目の打診で現地を訪れたことにより、移住を含めたいろいろな問題がクリアになったと言います。初めての南伊豆町訪問は、2018年1月でした。

伊集院さん「役場の地域創生室のみなさんやgiFt(ギフト)というコミュニティスペースでまちの人と出会ったことで、パッと視野が開けたんです。地域創生室ではサービスの位置づけや意義、移住を前提としないことをご説明いただき、僕の思いや立場をご理解いただいた上での打診だとわかりました。そしてgiFtでいろいろな人と話すうちに、自分一人で背負わなくてよさそうだと思えたことがとにかく大きかったんです。『こんな人たちがいるまちなら大丈夫そうだ』と決意が固まりました」。

伊集院さん一推しの弓ヶ浜海水浴場と伊豆半島での位置関係マップ。リアス式海岸の入り江で波が緩やかなため、SUPや水遊びなどに向いているそう。真夏のような天気だったこの日もSUPを楽しむ人たちを見かけました。

食事処「斉」の海鮮丼。「斉」は、東京ご出身の旦那さんと南伊豆出身の奥さんが夫婦で営む食堂で、新鮮な魚介類や野菜を使った料理が地元民に人気。一推しはもちろん海鮮丼で、この日は大エビやメジナ、マグロ、アジのたたき、いくらなどがたっぷり乗っていました。

再度の来訪を経て4月に、地域サービスを担当する地域おこし協力隊として着任。現地に住んでみて、土地のポテンシャルの高さに驚いたと語ります。海の新鮮な魚介類に山の猪と名産も多いし、あちこちに温泉があって生まれ育った鹿児島にも似ていて……と南伊豆町のいい所の説明が止まらない伊集院さん。その愛あふれる語りぶりはまるで地元の人のようで、1年半まで場所すら知らなかった人だとは思えません。

伊集院さん「着任後、まず『南伊豆新聞』を始めたことがよかったのだと思います。もし『南伊豆くらし図鑑』だけで進めていたら、こんな風に南伊豆町のいい所をたくさん知ることができただろうか、今のようなまちの人たちとの関係性をつくれただろうかと。図鑑の軸は語り手の暮らしに入り込むことにありますが、よそから来た新参者が突然『あなたの生活を町外の人に見せてもらえませんか』なんてお願いしても不審がられるだけですよね。なので、まずは僕が何者かを知ってもらう必要があるなと。それで、みなさんの理解の手がかりにもなるようなメディアを立ち上げたんです」。

名刺代わりのメディアを、とはいえこちらもゼロの段階です。デザインも名刺も何もない状態で地元の銘店に訪れて説明をし、通いつめ、理解を示してくれた2軒に取材を敢行。1カ月半というスピードで新聞をスタートすることができました。苦心しながらもこの時に地域性や町民の人柄を知ったことは大きく、その後の取材スタンスを考える上での大切な指針となったそうです。

伊集院さん「この地域は、メディアに取材なんてされなくてもいいという控えめな方が多いと感じたんです。今の土地や暮らしを大切にしたいという思いで、それぞれの活動をされているのだとわかってきました。ですから僕が紹介するのは本来ならおこがましいことなのだと。取材や記事を書く時は、つねにその意識を忘れないようにしています」。

取材をしたいお店や場所には、まず何度も通って名前を覚えてもらい、十分な関係性を気づいた上で取材をお願いしているのだそう。記事もすぐ古くなる最新ニュースよりは、なぜそのお店や仕事を始めたのかという人となりのわかるものが中心。時には、残念ながら閉店してしまうお店の記事も掲載しています。そうすることでお店の背景や人柄が伝わる読み物としてだけでなく、南伊豆町民史の役割も担うことができると考えたのです。

伊集院さん「最近はまちで『記事を見たよ』と声をかけてくださる方がいたり、取材のお願いをするといいお返事がいただけたり、取材を受けてくださった方が別の方をご紹介くださったりすることも増えてきました。少しずつ受け入れてもらえているのかなと思うと、この一年やってきてよかったです」。

社会的信頼と人のつながり、その両輪から生まれた『南伊豆くらし図鑑』

『南伊豆くらし図鑑』が立ち上がったのは、2018年11月。よそ者だった伊集院さんが約7カ月かけて積みあげた新聞での信頼が活かされた結果と言えるでしょう。

伊集院さん「新聞だけで『南伊豆くらし図鑑』を完成できたかというと、やはり無理だったと思います。新聞の編集部はgiFtにありますが、そこにはとにかくいろんな人が集まるんです。図鑑のプログラムは、そこで何かやりたそうな人に声をかけて会話したことでできたり、参加済みの語り手さんにご紹介いただいて意気投合した人とできたりしたものがほとんどです。そう考えると、社会的な信用は新聞でつくれても、自分の人となりが伝えられなければ協力してもらえなかったんじゃないかなと。実際に会って話せるgiFtがあって、そこに集まる人が協力してくれるからこそ実現できたのだと思っています」。

たとえば、美容師である中野美代子さんの「山の木々からシャンプーをつくる」プログラムも、giFtでの「自然素材でのシャンプーづくりに興味がある」という些細な会話がきっかけでした。参加者にはねむの木の有機シャンプーづくりを体験してもらい、中野さんは複業のアイデアを形にする。その入口にしてもらえるのではと考え、プログラム化を提案したのです。結果、中野さんは4カ月後になんと自然派美容室『杜(もり)とあお。』をオープン。プログラム提供が、自身のお店のコンセプトなどを考え直すきっかけの一つとなったのかもしれません。

この中野さんの例をはじめとして現在体験できるプログラムは13種類ですが、その内容は本当にさまざまです。伊勢エビ漁や稲作体験など体験9割・会話1割、シャンプーやジャムづくりなど対話5割・体験5割などと作業時間の目安はあるものの、そこは人と人。参加者によってまったく違う体験になることが大半だそうです。

伊集院さん「図鑑のよさは、1人で参加できる点です。お金で言えば10対1くらいの体験ツアーのほうが儲かりますが、満足してくれたかどうかわからない距離感だし、語り手のことは何も知らないままになりやすい。それよりは、なぜ南伊豆町に移住したのか、なぜこういう暮らしをしているのかとじっくり聞ける形がいいと思うんです。なので、お客さん感覚だと少し違和感を感じるかもしれませんね。贅沢に休日を満喫したい人というよりは、その人の暮らしを通じて自分の暮らしを考えたい人向けだからです。でも逆に、その人の暮らしに興味があって来たという人だとハマることが多いですよ」。

伊勢海老漁や米農家での体験参加者が、道の駅で語り手の手がけた干物や米、日本酒などを選んでお土産にするという興味深い傾向も生まれているのだとか。ただ観光してお土産を買うだけではなく、一緒に時間を過ごした人の商品を買う流れや、参加者自身にそうした考えや思い出が生まれていることがうれしい、と伊集院さんは顔を綻ばせます。ゆくゆくはプログラムを50くらいにまで増やし、語り手さんたちにも楽しんでもらえる仕組みにしたいと考えているとのこと。南伊豆町の面白い暮らしをする人たちをもっとたくさん紹介し、図鑑を充実させていきたいと語っていました。

中村大軌さんの「米農家とお米をつくる、考える」プログラムの様子。

「南伊豆くらし図鑑」を体験し、人の魅力が土地に人を呼ぶ力を知る

さて、筆者も実はプログラムに参加させてもらったので、その概要を少し。吉澤裕紀さんの「自然の恵みで自給自足する」、古民家で現代には珍しい非電化のくらしを体験するというものです。

吉澤裕紀さんは「自分のくらしを作りたい」と3年前に南伊豆町を訪れ、現在では築100年ほどの古民家を無償で借り受け、奥さんの真樹さんと猫のさんちゃんと暮らしています。山の湧き水を使う家には電気やガスはなく、風呂は薪のボイラーで沸かし、料理は囲炉裏の火で。また鶏小屋とコンポストトイレは古材を使って自分で建て、畑や庭で野菜と果樹を育てて収穫する自給自足生活です。ちなみに、唯一の電気は100ワットの太陽光パネルのみ。この暮らしの始まりは、就活に違和感を感じ「企業に属さず生きる術を身につけたい」と考えたことにありました。

ものすごく懐いているチャボのプリティ。卵から孵したと聞いてその様子にも納得。

水道がないため、水は山の湧き水を中央の黄色いタンクに溜めてパイプで建物の近くまで引き込んでいます。この大家さんの持ち物である山の整備作業が家賃の代わり。

吉澤さん「ここでは暮らしの実験をしているようなものです。移動も自転車だし、お金を使うことがないので毎日の暮らしには困らないですよ」。

小屋を建てられるほどの技術に左官を生業にすればと薦める人もいますが、仕事で先が決まることは本意ではない。身につけたい知識や技術を学ぶのは、あくまで「自分が心地いいと思えるくらし」のためです。

吉澤さん「最近この集落には若い移住者が増えていて、70軒のうち6件は移住者です。農家や陶芸家、美容師など手に職がある人が多いから、お金を使わなくても得意分野で助け合うこともできます。僕は自分のくらしをつくりながら、自分や周りの人がどう繋がり、どう働いてくかという仕組みのあり方にも興味があるのです。giFtも、お金によらないコミュニティースペースとして知られています」。

だからこそ地元の人との関わりも重要です。吉澤さんが暮らす市之瀬は、何十年も前から移住者を受け入れてきた移住先進地域。それもあってか、地元の人々の柔軟さは相当だと言います。その一例が秋のお祭り。吉澤さんは、神楽の主旋律を奏でる篠笛を移住2年目から担当させてもらっています。

吉澤さん「その考え方がもうすごいですよね。伝統の継承も含めて、今は地元の人と移住者がいろいろなものを繫いでいく時期に来ています。でも地元の方はまだ僕らとどう付き合うか迷っているし、僕らもどこまで関わっていいのかと迷っている。この関係は20年ほど続くでしょうけど、こうした関係性であれば、時が自然に解決してくれるような気もします」。

また市之瀬では、未リフォーム物件など不動産屋に出ない空き屋を探す移住検討者が集まりつつあるそう。吉澤さんの話から、お金や従来のビジネスとは違う関係や交流のかたち、それによって新たな住民が増えるかたちも見えてきました。

吉澤さん「この家は15年空き屋でしたが、暮らしていると不思議な気分になります。この素晴らしいけやきの梁も柱も裏山で伐採した木です。持ち主が終の棲家を建てる資金や材木をどれだけの手間と時間をかけて用意してきたかと考えると、僕は昔の人の努力にあやかって生きているのだなと。本当にありがたいと、この土地に来て初めて思いました」。

なぜこの暮らしを始めたのか、なぜそうしているのか。和やかでオープンな会話を続けるうちに、強い信念と自立心が伝わってくるようでした。

上は畑で収穫したスナップエンドウ。この他に収穫した赤い空豆のほか、お手製の紅茶や夏みかんなど自然のお土産をたっぷりいただきました!

この日は、こうした会話を中心に家屋や畑の説明を受けたり、豆の収穫を行ったりする対話8・体験2の内容でしたが、前述のように季節や参加者で内容は異なります。誰かの暮らしを通じて自分の暮らしを見つめ、どんなことが活かせるかを考えてみる。そうした体験が新鮮で、またその人に会いたくなったり、新しい人や体験にも出会いたくなったりする。そのことがよくわかるような気がしました。

ちなみに、この吉澤さんを師匠と仰いで再訪を約束する20代もいるのだとか。伊集院さん曰く、図鑑をきっかけに語り手と直に交流を持ってリピートしたり、南伊豆町に再訪したりする人も増えているとのことで、まさに人の魅力が関係人口をつくり出している好例と言えそうです。

『南伊豆くらし図鑑』を生み出した「giFt」と人を集める力

商店街にあるギフト経済コミュニティスペース「giFt(ギフト)」。

『南伊豆くらし図鑑』と『南伊豆新聞』の成り立ちに欠かせない場所として、何度となく名前が出てきた「giFt(ギフト)」。“ギフト経済コミュニティスペース”という耳慣れない冠がついていますが、運営の山之内匠さんに伺うと「公民館やコミュニティスペース、コワーキングスペース、カフェなどさまざまな意味を持つ場所だから」とのこと。

特徴は、この空間でふるまわれるすべての物事は無償の贈り物(ギフト)であり、対価は投げ銭か“自分が同じ価値があると思う何かでお返しする”という、お金によらない仕組みです。平たく言えばペイフォワードの南伊豆町版ですが、仕組みを知った人はみんな、何かをすぐに始められる気軽さや“お金ではない何かでの対価”を通じて価値観を考え直す作業を楽しみ始めると言います。

giFtを運営する南伊豆公社代表山之内匠さん。『南伊豆くらし図鑑』では「小商いにオススメ。“リアカーゴ”づくり!」プログラムも提供しています。

山之内さん「対価をお金で決めない理由は、500円のコーヒーを飲みに行って500円のサービスを受ける形とは別の意味が得られる場所にしたかったからです。500円と決まっていたら、500円がなければ空間にすら入れませんよね。逆に、同じコーヒーでも、そのコーヒーから受け取るおいしさや思い、そこに付随した人との出会いの量はめいめい違うから、価値が大きく変わることもある。だから、お金による基準を気にせずに人が集まれる場所が、この商店街に一つくらいあってもいいんじゃないかと」。

スペース内の様子。元カフェの内装には手をかけず、ほぼそのままで利用している。家具もすべてバディの持ち込みによるもの。

バンドマンとして、人で賑わう商店街から過疎地のシャッター商店街まで日本各地を回ってきた山之内さん。賑わう商店街にはコミュニティスペースが複数あることに気づきます。そこで、自分たち世代が集まって自由に思いを伝えられる場所を個人負担を抑えながらつくりたいと、数人で費用を出し合うバディ方式を提案。バディには他拠点居住者が多いため、2階の個人スペースは比較的自由に使うことができます。使い方はもちろん、週5で通う伊集院さんや山之内さんのような近郊組、3カ月から半年に1回の遠方組と関わり方もさまざまです。

山之内さん「面白い人たちと出会うには最高の場所ですよ。ここで出会った人が、勝手にどこかで出会っていたと判明することもあるんです。僕はそういう偶然が大好きだから、毎日が本当に面白いですね」。

giFtはどんなことでもかたちにできる不思議な場所でもあります。たとえば、giFtへの飛び込みで始めた糸紡ぎワークショップがきっかけで、図鑑にもプログラムを提供することになった吉澤真樹さん。5月からは高校生向け企画「放課後ギフト」も始めることになりました。高校生に放課後をgiFtで過ごしてもらい、お金ではない何かから始まることに面白さを感じたり、「このまちで何かできるかも」と可能性を感じたりする機会を提供したいと語ります。

「放課後ギフト」発起人の吉澤真樹さんは、月1回の糸紡ぎワークショップ「つむつむ会」の内容を「南伊豆で暮らす人たちと糸紡ぎ」プログラムとして提供している。

真樹さん「私もgiFtでのワークショップがきっかけで期間カフェを開いたり、図鑑にプログラムを提供したりと予想外のことがいろいろと起こったので、高校生にもそんな新鮮な体験をしてほしくて。彼らが20代になった時に『地元でいろいろやっている人がいたな』と思い出すような機会になれたらうれしいですよね」。

高校生が卒業して上京する前に、地元にも東京の人が驚くようなセンスある人が集まる場所だと認識してもらい、ここでセンスを磨いてほしい、そして知っていることが誇りになるスペースになってほしい、と山之内さんは語ります。でも、すでにgiFtは、南伊豆町に欠かせない場所になっている様子。東京で「まずgiFtへ」と紹介された人がふらりと現れることや、他店から「とりあえずgiFtへ」と促された人が訪れることが1度や2度ではないからです。

山之内さん「giFtは商店街だからこそ成り立つ“たまり場”です。この集落は海水浴場や温泉、いろいろな観光施設までの通路になっていて、今では観光客が立ち寄ることも少なく商店街は寂れていく一方です。でも僕はこの商店街が好きだから、そんな状況を黙って見ているのが寂しい。だからこそgiFtをつくることで人のハブになり、個人が何かを始めるきっかけやスタートアップの場にしようと考えたんです。商店街の若者が集まる場としてだけでなく、地域内外の人にも影響力がある場所にできればと思います」。

今後は街場の観光案内所的な役割も担いたいと語ります。ここにさえ寄れば、絶対にすてきな地元民のお薦めスポットが教えてもらえる場にしたいと。

山之内さん「どんな地方でも、人の温かさに触れるとうれしいですよね。僕は日本を回った時にいろんな土地でその経験をしました。その気持ちをgiFtでまた共有できたら。心のこもった案内を受けたり、その土地の人と触れ合ったりすると、人はその土地のことが100倍好きになるものです。人の思い出がその土地のいい印象に繋がることってすごく多いんです」。

吉澤さんやgiFtの仲間たちの活動のように、お金に頼らない価値観や人とのつながりを大切にする風土がここにはある。伊集院さんの「giFtがあったからこそ『南伊豆くらし図鑑』ができ、プログラムの種が見つかった」という言葉も納得です。

柔軟な受け入れ体制が育んだ、南伊豆町ならではのサービスとメディア

ちなみにgiFtでの会話は、南伊豆町の役場職員さんや地域おこし協力隊のみなさんが集まった中で行われました。着任前の伊集院さんが感じた“こんな人たちがいるなら大丈夫そうだ”と思った閃きも、こうしたどこか和気藹々とした、ゆるい空気がつくり出したものなのかもしれません。『南伊豆くらし図鑑』と『南伊豆新聞』がまちの人々との深く関わりの中で形になってきたこと、そして足を使った取材や対話がすべての始まりであること。そんなものづくりの基本のようなものが、このサービスとサイトには濃く詰まっています。

伊集院さん「確かにそうですね。地域おこし協力隊と地域メディアって相性はいいのですが、泥臭いものでもあり、それがすごく大事であるってことは、役場の方ともよく話します」。

今の悩みは、東京の時とは比べ物にならないくらいの作業量をこなしても、ネット媒体ではまだまだ届かない層があること。そういう層に向けて情報を広く届けたいと、5月からは紙版の新聞の発行も始めています。体力的には「めちゃくちゃしんどい」けれど、地域おこし協力隊という立場での活動や、仕事そのものはとてもやりやすいと語ります。

伊集院さん「役場のみなさんの考え方が、本当に柔軟なのだと思います。上司はもちろん他の職員さんも、どんな人が必要で、どんな働き方が必要かをしっかり検討して、かなり自由度の高い形で僕を受け入れてくださったのだと思います。役場にデスクを置いていないので普段はあまりいませんが、週に2、3日は朝役場に寄って、挨拶してからgiFtに行っています。南伊豆新聞や図鑑を見て、「今週の記事、地元の僕でも知らないことだったよ。取材してくれてありがとう!」と声をかけてくださる方もいて、僕からしたら逆にみなさんには感謝しかないのでもったいないくらいです」。

少し照れながら話す伊集院さんですが、着任当初は役場での関わり方や、ひとりでは判断の難しい依頼に戸惑ったこともありました。しかし、上司が立ち位置を明確にして助言してくれたことで、徐々にやりやすくなっていったそうです。もし単独でプロジェクトに関わっていたら、周りに気を使って何もできなかったと思う、とも。1カ月目からフル稼働できたのも、明確なミッションと綿密な情報の連携、幅を保たせた活動方法や移住を前提にしない形があったからと言えるでしょう。

伊集院さん「南伊豆町って、海が好きな人、自然が好きな人にぴったりなんですよ。東京なら日帰りでも戻れないことはない距離感ですし……と言いつつ、本当は1泊、最低2泊はしてもらえたらと思うんですけどね。下田駅からの距離感は、混まない浜や温泉でゆったりと過ごしたいという人にはむしろ好都合かなと。その“わざわざ行くよさ”が今は本当によくわかります」。

2年目に入り、周知から外部へのアピール段階に進む『南伊豆新聞』、さらに興味深いくらしのプログラムが増えつつある『南伊豆くらし図鑑』、さらに『ローカル×ローカル』というイベントもスタート。これは、全国のローカルで活躍する先輩たちを伊集院さんが訪ね、そこで得た学びを都内で報告するという企画。スケジュールが合えば先輩たちの登壇もあるそうで目が離せません。

これらに加え、南伊豆町では「お試し移住制度」や「田舎暮らし体験住宅」など多彩な移住体験の仕組みが提供されています。行政と外部の知恵を持つプロが協力し、さまざまな見せ方や仕組みで地域のよさを知ってもらう。今の南伊豆町で行われている関係人口づくりの取り組みは、人とまちと土地が自然に、そしてやさしく噛み合った活動になっているのです。

文 木村 早苗