自分たちの手で、地方の自治を取り戻す。“人材輩出島”島根県・海士町「ないものはないラボ」が実践する、新しい関係人口のつくりかた

自分たちの手で、地方の自治を取り戻す。“人材輩出島”島根県・海士町「ないものはないラボ」が実践する、新しい関係人口のつくりかた

人口約2,200人、島根県の離島に位置する海士町。少子高齢化が進む過疎のまちを独自施策で復興したまちづくりの成功地であることは、みなさんもよくご存じでしょう。その手法を学びに多くの人が訪れ、卒業した人々が各地で活動する様子はSMOUTでも紹介しています(「島根県・海士町の“系譜”公開! 地域を元気に、面白くする人たちと、地域における関係資本のつくりかた)。

今回お話を伺った、株式会社アスノオト代表の信岡良亮さんもその一人。海士町時代に株式会社風と土と(旧名:巡の環)を立ち上げて関係人口づくりに従事、現在は東京で、海士町外に住みながら関わりを持ちたいと考える第二町民の活動を考える会員制コミュニティ「ないものはないラボ」を始め、“都市と農村の新しい関係をつくる”活動を行っています。未来の社会のあり方や持続可能性を考え、活動するために重要なこととは何か。そのヒントを探るべく「ないものはないラボ」の活動や、関係人口と社会の関わりを伺いました。

信岡良亮さん
株式会社アスノオト 代表取締役/株式会社風と土と 取締役
1982年大阪府生まれ。2005年同志社大学商学部卒業。東京でのITベンチャー企業勤務を経て、島根県隠岐諸島の海士町に移住し、2008年に株式会社風と土と(旧名:巡の環)を共同で起業。6年半の海士町での生活を経て、都市と農村の新たな関係を築くため、2014年5月より東京に活動拠点を移し、大学での講義など情報発信を積極的に行う。2015年より株式会社アスノオト創業、2019年より地域を旅する大学プロジェクト「さとのば大学」構想を発起。

第二町民からの会費を、まちのプロジェクトに投資するという試み

ないものはないラボ」(以下「ないラボ」)は、東京在住の元海士町民と現海士町民5名が2年前に始めた集まりです。信岡さんたちの「東京では関わりしろがなく歯がゆい」という海士町への片思いと、人口に対して多すぎるまちづくりプロジェクトに第二町民の力も活かせないかと考える島側の思いが一致。 “第二町民をどうすれば活かせるか会議”を勝手に進めていたところ、海士町のキャッチコピーである「ないものはない」を具体的な形にして伝えたいという町役場の考えや、知人との対話の影響もあり、有料サロンとして新たに立ち上げることになったのです。

「ないものはないラボ」Webサイト

信岡さん「オンラインサロンでアイデアを求めたら、たくさんいいアイデアが出たという話を伺ったんです。そこでオンラインサロンの仕組みと第二町民が繋がったら面白いのではということで、仕組みづくりも兼ねて第二町民が参加するためのオンラインサロンとして立ち上げてみたんです」。

ちなみに、ラボに冠した「ないものはない」という言葉には、3つの意味が込められています。一つ目は、なくても生きていけること(ないならなくていい)、二つ目は、ないものはないこと(足るを知る)、そして三つ目は、なければあるものをつくればいいこと(ないものはない)。シンプルな7文字に、海士町の持続可能性や地産地消率、自治率を高めるための思想が凝縮されているわけです。

活動の主軸は、「まちの持続可能性をどう高めていくか」を考えること。活動形態は会費制オンラインサロンですが、会費の一部を投資金にする点が他との違いです。会員は、毎月の戦略会議や投資先を決定する隔月の投資委員会、定期的に行われる島と東京を結ぶイベント「島の大使館」(「移住交流、距離はどこまで超えられるか? アスノオト代表・信岡良亮さんと考える、地域の可能性)のようなまちづくりの活動や議論に参加することができます。

2年ほど経過した今ではに活動も固まりつつありますが、立ち上げ時は今までに以上に手探り状態だったそう。投資だけだと参加する意義が薄いのではと、隔週で海士町の人に話を聞く「ないラボインタビュー」や自分たちで海士町の未来を考える「戦略会議」の実施など、都心でも関わりしろを感じられるコンテンツを徐々に追加していきました。

信岡さん「やっぱり投資委員会が面白いと反応してもらえることが多いので、その活動が一番活発ですね。ただ、投資する先は海士町側のプロジェクトがメインになりやすく、都心側では体感できる要素がなかなか少ないんです。距離の遠さもあってか、島での活用を外から見る感じで自分ごとに感じにくいというか……」。

そこで、都心でも島と関わりやすい状況をつくれば活動もより深まるのではと、別で行っていた『島の大使館』活動を「ないものはないラボ」に移管し、サロンの会費を一部活用して運営を開始。さらに2018年12月には、会員増やイベント活動の資金補填をめざしたクラウドファンディングにも挑戦しました。結果、初期から参加していた海士町の未来戦略に直に関わるようなアドバイザー的メンバーに加え、一般の海士町ファンを含めた幅広い層の参加が増えました。たとえば、高校魅力化プロジェクトの支援者、しまコトアカデミー出身者、海士町に来たことがある島根県民のような人々です。

信岡さん「国内に点在する、個人で海士町に片思いしていた人々を集結させることができたんです」。

今では『島の大使館』が開催されると、海士町ファンのないラボメンバーがスタッフとして参加し、運営を進めていくまでに。自分たちで率先して遊びをつくる側になってくれつつあるのだそうです。

信岡さん「もう一つ、一般的なオンラインサロンと違うのは、リアルな島を扱っている点です。それは面白さでもあり、難しさでもあります。オンラインサロンというと、Webだけで完結できる空中戦ですが、島をよくしようとすると、手や足を動かす人が実際に島にいないと物事が進まないんです。その辺もこれからの懸案事項です」。

投資を通じて、民間自治の実験を行う

さて、ないラボの活動で、最も大きな海士町との関わりしろとなっている投資。普段はサロン内でしか公開されていない「ないラボファンド予算委員会」ですが、具体的にはどのような流れで行われているのでしょうか。

信岡さん「まず、ないラボファンド予算委員会ごとに起案したい人が、目標金額を定めたプロジェクトを起案します。それに1人3ポイントずつで投票する直接民主制です。メンバーからの起案はもちろん、メンバーを介して外部の人が起案することも可能です」。

起案者の性質や興味に依る部分はあれど、投票者の志向がさまざまなだけに、投資する内容に偏りはあまり出ないそう。また委員会の開催から確定までの一週間は投票状況が見えるため、比較や検討を十分に行うことができます。過去に実現した投資には、島のきれいな星空を教育に活かす「島の中学校への天体望遠鏡の寄贈」、高齢者が多かった日須賀地区の「神社改修兼お祭り復活基金」、また「Uターン組顔合わせ合コンで誕生したカップルの結婚式へのご祝儀」のようなお祝いも。信岡さんも、自らが運営する社会事業スクールでの奨学金ならぬ「奨学米給付制度」を起案。学生への暮らしのバックアップと米農家とのコミュニケーションをつなぐ形で実現させました。意義ある投資はもちろん楽しい内容であることも、ないラボ投資委員会のポイントです。

信岡さん「みなさん『面白いから集めよう』とお金を出してくれるんですよね」。

結果も少しずつ表れてきています。たとえば、日須賀地区は老人が多く海士町内でも注目されにくい場所でしたが、投資を通じて「誰かが見てくれている」との意識が生まれ、住人に積極性や自立性が復活。さらに、関係人口との関係づくりや資金運用の面にもよい動きが見えています。

信岡さん「関係人口の面で言えば、ないものはないラボのメンバーがはじめて島に来た時のなじみ方のスピードがすごく早いです。普通は、島に来て初めて関係性が始まりますが、オンラインサロンでの関係が先にあるので、ないラボのメンバーと言うだけで強い繋がりが生まれるし、親密さも強くなるようですね。まちに継続して関わりたいという意思が伝わっているので、観光客とは全然違う関係性になっています」。

メンバーが投資してくれたお金は、補助金以上に重いからレポートもきちんとしなければという気持ちになる、とも。

信岡さん「海士町は産業が弱い一面もあるので、行政予算50億のうち40億以上を国の補助金でまかなっています。行政の補助金を使うことに慣れてしまっていることにも問題意識があるので、自分たちのお金で物事を運営できることが非常に大きいんです。島民にも、補助金に依らない自発的な関係だと伝わっていると思います」。

自分たちで資金を出し合って海士町をいい方向に変える。ないラボの活動は、自治が行政に委ねられすぎている現代にあって、“本当の意味での自治”を形にしていると言えそうです。

信岡さん「ちょっと想像してみてほしいのですが、月額5000円でいま20人くらいラボの会員さんがいます。月10万円それで貯まる。2ヶ月で20万円で出来ることをみんなで投資会議にかけます。でもこれが100人になって、毎月50万円あるとすると例えば漁師になりたい人、農家になりたい人を僕らで勝手に雇用して島に送り込むみたいなことも出来る。それって島の未来にめちゃくちゃインパクトあると思うのです。そんなふうに自分たちで未来を創造できる範囲を増やしたい。本当の意味での民主主義を機能させたいんです。民主主義とは単に選挙だけの話でなく、自分たちの未来を自分たちで責任を持つ人が増えること。でも、自分たちで創造できるその未来の幅を広げるにはいろいろな仕組みが必要です。僕はその一つが学習だと考えています」。

たとえば、民主主義を機能させる多数決をするにも、自分以上に学習し未来を考えている、信頼のおける仲間が大多数を占めなければなりません。個々が専門的な視点を持ち、建設的な意見を交わせるから民主主義も機能できる。そんな状況を生み出すための学びの仕組みと土壌づくりが、目下の懸案です。

信岡さん「もう一つが、システムをうまく回す警報装置である『フィードバックアラート』の存在。何かをしたことに対する正否の判断機能も、とても重要です。学習しただけでなく、この機能が働く範囲でなければ民主主義はうまく成立しないんです」。

規模が小さい海士町は、この結果が体感値としてわかりやすい場所なのだとか。だからこそ、民主主義がどんな形で成立するかの実験や実践をしてみたいのだと語ります。

信岡さん「このシステムが形になれば、日本の仕組みが東京一極集中型から分散型に変わる気がして。民主主義は資金や情報、決済権が集中すると個人の価値が見えにくくなるので、そこを意識的に分散させれば、地方に自治が取り戻せるのではないかと思っています」。

関係人口戦略のタグボートであり続けるために

今の実験や活動における島や都心への影響を感じることはあるか、という質問もしてみると、「まちづくりのフェーズをどう見るかだと思う」との回答が。海士町は、今や国内屈指のまちづくり先進地域となり、自然と関係人口が集まるようになりました。それはつまり、外から人を積極的に迎える段階から、まちの内側を安定させる段階になったということでもあります。

信岡さん「でも、各地域が関係人口を語り外を向いている時に、海士町だけが人が来るからと内に向いていては今後が苦しくなると思うんです。これは僕の勝手な見立てですけどね。むしろ関心を持ってもらいやすい今だからこそ、より深い関係人口を確保していくことが大事じゃないかと」。

海士町の食材をつかった料理や音楽を通して海士町の魅力を届ける「AMAカフェ」など、多様な関係人口戦略を進めてきた信岡さん。それは「日本の持続可能な社会に向けたタグボートになる」というまちのビジョンに共感したからでした。しかし、各地で関係人口戦略が行われる中、何もしないではタグボートであり続けることは難しい。だからこそ、先を見越した動きが必要なのです。

信岡さん「海士をよくしながら各地もよくする戦略と、日本をよくするために海士を使う戦略では動き方が大きく異なります。日本の一部である以上、海士町だけがサステナブルにはなれませんよね。だとすれば、日本の文脈の中での海士町の位置づけを考え、海士町がどんな状態ならタグボートであり続けることができるかを考える必要があります」。

そう語る信岡さんが提言したのが、人口減少が進む中で文明をつくり直す軸になる「自律分散型システム」の実現。じつはこれは、ないラボの大きな目標でもあります。

信岡さん「自律分散型システムの確立には、流動的な人材を使える地域が各地になくてはなりません。一極集中型が東京駅に集約される新幹線なら、分散型システムは山手線のイメージ。山手線だと東京駅の価値って他の駅と同じくらいに感じられますよね。日本中を流動人口が動く世界で、海士町は駅の一つとして環状線を機能させる基幹になるのがいいのではないかと思っています」。

信岡さんが語る流動人口の話はどこか、増えつつある地域から地域へと動く昨今の関係人口の動きにも繋がるような気もします。

信岡さん「これはまた若干違う話ですが、未来思考で何かを生み出している人たちや面白い活動をする人たちが、地域に増えているからでしょうね。人の活動状況は、現状維持を田舎でする人、現状維持を都会でする人、未来創造を田舎でする人、未来創造を都会でする人の4つに区分できるのですが、3番目が今増えている状況です。都会での未来創造層はグローバルリーダーになって一般の人々とは距離が広がってしまうけど、田舎での未来創造層は身近で接しやすいだけに、増えやすいんです」。

ちなみに海士町には、地域活性のみならず国の未来創造を考えるような人たちも多く集まります。その土壌があるだけに、関係人口でも生産者・創造者として自ら世の中に貢献したい層が大半だといいます。

信岡さん「でも、そういう人たちを囲い込めるとは思ってなくて、むしろ卒業生が各地で頑張ってくれればいいという感覚です。既存の日本企業のような才能抱え込み型ではなく、人材輩出型ですね。流動型モデルで各地に関係性をつくって強くなる“人材輩出島”とも言えます」。

現在は茨城県で地域創生に関わる島前高校の卒業生が、「島の大使館」に参加するという出来事もあったそう。

信岡さん「10年かけて未来人口をつくる感覚があります。こうした活動は短期間では成立できないんだと実感させられます」。

他地域への広がりと2025年問題を乗り切るために

ないラボのような仕組みが他の地域にも広がれば、何らかの変化が起こりそう。そんな可能性も感じる活動ですが、そもそも、他の地域に広げる計画はあるのでしょうか。

信岡さん「必要な原則などをノウハウ化するくらいで、パッケージ化は難しいかもしれないです。たとえば、地域通貨の仕組みはシンプルで転用可能で成功例もあるのに、なかなか導入する地域が増えない。これは、言い出しっぺとなる最初の一人が出てこないことや、土台づくりに必要な仲間づくりがまだまだ難しい現状があるからです。人々が、雇用される教育や指示に従う教育ばかりで、物事を生み出す練習ができていない。今、僕はいくつかの地域に『さとのば大学』という育成機関をつくっているのですが、それは、こうした仕組みを動かせる、地域で物事をつくって地域に意見を反映できる人を増やすためなのです」。

しかしその一方で、シビアな社会問題も迫り来る状況だと警鐘を鳴らします。人の教育の定着までに10年はかかる見込みなのに、団塊の世代が後期高齢者になる2025年には間に合わない。現行の社会保障システムから、人口減少に合わせたルール変更を避けられない状況が訪れるのです。では、その時を迎えるにあたってすべきことは何なのでしょうか。

信岡さん「こうした徐々に増えて急激に減る動きは、経済でも生物でも起こる自然の流れなので仕方ないと考えています。むしろ減少した時にどれだけの人を残せるか。そして再生への初動を少しでも早める足腰をつくるための戦略づくりと、変化に対応できる人を増やすことをしないといけない。そのためにも、まずは“王道に乗れば大丈夫”という世界観を壊したい」。

そう力を込めます。大企業に入社すれば大丈夫といった安全性を求めるリスク回避の思想は、今後どんどん通用しなくなるからです。

信岡さん「自分の感性で冒険を選べる世界をつくらなければなりません。目下の計画としては、新卒一括採用システムを壊すこと。今考えているのは、さとのば大学で学び、クラウドファンディングでプロジェクトを見える化して社会実装し、その実績を持ってたとえばSMOUTでスカウトするといったマッチングの道です。全体の10%でもこの道を選べる流れになれば、自分似合った道を選択できるはず」。

この仕組みには、幅広い学び方を含めた中高教育の課題、好きな仕事と社会人の働き方の課題も解決する力もあります。プロジェクトベースだからこそ、何か(どこか)が飛び抜けていればアリという判断も成り立ちます。

信岡さん「安定感のある仕事はAIに駆逐される中、『私じゃないとできないこと』は残っていくでしょう。2000年からの100年間は、日本で初めて人口が大幅減する未曾有の事態を迎えます。その時代に地域をよくすることを考えるには、国をどうつくっていくかという問いを持つことが重要なんです」。

民間の投資を通じて地域の新しい自治の在り方を探る「ないものはないラボ」。海士町という一つの地域と都市部をつなぐ活動は、じつはそのずっと先、そしてずっと広い場を見越した活動でした。国をつくるのは各地域であり、各地域をつくるのは人、その逆もまたしかり。これからの時代に対応していける人の教育やシステムの実験であり、どこかノアの箱舟のような大きな力も感じさせる「ないものはないラボ」は、これからの社会を救う可能性を秘めた活動なのです。

文 木村 早苗
写真 池田 礼