コロナ禍を経て生き方を模索したとき、そこにみなかみ町があった。環境活動家の宮﨑紗矢香さんと先輩移住者たちの移住ストーリー

コロナ禍を経て生き方を模索したとき、そこにみなかみ町があった。環境活動家の宮﨑紗矢香さんと先輩移住者たちの移住ストーリー

関東平野を流れる利根川の源流域にあり、谷川岳をはじめとする名峰が間近に迫る群馬県利根郡みなかみ町。スキーや川下りなどの外遊びのメッカであり、温泉の湧き出るみなかみ町は、首都圏から新幹線で1時間程とアクセスもよく、近年のコロナ禍を経て若い世代の移住者が増加しています。25歳の環境活動家、宮﨑紗矢香さんもそのひとり。若者はなぜみなかみ町を目指すのか、宮﨑紗矢香さんと3人の先輩移住者たちの移住ストーリーです。

テレワークの日々からの脱却、新たな夢との出会い

2023_0303_MINAKAMI_0981997年生まれ、神奈川県横浜市出身の宮﨑紗矢香さん。共著に『グレタさんの訴えと水害列島日本』(学習の友社)。朝日新聞言論サイトにて、時事論考も執筆中。ホームページはこちら

大学在学中にスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんに触発されて、気候変動対策を求める若者ムーブメント「Fridays For Future Tokyo」に参加し、デモや署名集めに従事していた宮﨑さん。コロナ元年の2020年に環境意識の高い印刷会社に就職しますが、入社3日目でテレワークの日々が始まります。宮﨑さんの主な業務は得意分野であるSDGsの情報発信で、ソーシャルメディアを駆使して社会課題を考える多数のイベントを企画しました。『人新世の「資本論」』著者の斎藤幸平氏を招いた配信企画では500人を動員したことも。その一方で、コロナ禍での働き方に限界を感じていたといいます。

宮﨑さん「大学を卒業したと思ったら、両親と一緒の生活に逆戻りで、自立できているのかどうかも分からず、社会人になったような気がしませんでした。このままでいいのだろうかと。」

入社二年目に突入しても、テレワークの日々は変わらず、キャリアアップへの不安を感じた宮﨑さんは、1年半勤めた会社を退職し、移住者が多く暮らす北海道東川町へ向かいます。二人の女性が始めた「人生の学校」に参加するためでした。デンマークの民主主義教育の場であるフォルケホイスコーレをモデルにしたこの学校では、参加者同士の対話を基本に手や体を動かし、農作業などのさまざまな体験をしながら自己と社会を見つめる4週間のプログラムに参加し、大いに刺激を受けたのでした。

宮﨑さん「他者と共同生活をしながらデモクラシー(民主主義)について学ぶという経験がとても貴重で。日本の学校の多くは、知識を詰め込むことに重きを置いていますが、それはルールを守る人に向けた教育で、ルール自体を問うことがあまり行われていません。でも、そもそも問題意識を持てなければ、周りで起きている社会課題にも向き合えないですよね。日本人があまり声をあげようとしないのは教育の影響が大きいことに気づきました。だからこそ、何歳からでも学ぶことができるこういう学校があれば、もっといろんな生き方の選択肢が生まれるような気がして。自然が豊かな場所に移住して、誰もが参加できる学校をつくろうと思いました。」

先輩移住者の存在が移住を決定づけた

最初に移住先として考えたのは、気候変動対策に意識的な自治体の多い長野県でした。宮﨑さんはオンラインイベントなどの自身の活動のかたわら、SMOUTで情報を集め、長野県内で募集が出ていた地域おこし協力隊に応募しましたが、条件が折り合わず、ことごとく落選。しかし「長野にフラれた」と思った矢先に、みなかみ町で移住促進を行うFLAPから移住スカウトの声がかかります。

「不特定多数に向けて送られる情報が多い中、プロフィールを一人ひとりみてメッセージを送ってきた移住担当者の対応に惹かれた」という宮﨑さん。まずはFLAPが用意したお試し移住を体験するために、水上温泉郷にあるコワーキングスペース付きの「ゲストハウスほとり」に滞在します。ほとりを運営しているのは、同じく首都圏からの先輩移住者で、フリーのITエンジニアをしている田宮幸子さん。この田宮さんに出会ったことが、宮﨑さんのみなかみ町への移住を決定づけました。

2023_0303_MINAKAMI_145ゲストハウス&コワーキングほとり(2階部分)

2023_0303_MINAKAMI_025Wi-Fiや電源、コーヒー飲み放題が利用できるカフェスペース

宮﨑さん「ほとりでの滞在のときに、田宮さんが私の関心事を聞いてくれたので環境活動の話をしたところ、その場でいろんな人につないでくれました。日本自然保護協会のみなかみ町駐在員の武田裕希子さん、自伐型林業とリトリートを組み合わせた活動をしている柳沼翔子さん。ともに移住者の先輩で、環境への問題意識を持ちながら活動している人たちです。人のつながりが見えてきたことで、ここでなら学校をつくる夢が実現できる、と直感しました。」

同じ頃、宮﨑さんは「Fridays For Future」の活動を通して知り合った研究者の紹介で、つくばにある国立環境研究所のサイエンスコミュニケーターの職につくことに。地球温暖化や生物多様性に関する研究内容を市民に向けてわかりやすく伝える仕事です。

仕事先も移住先も決まった宮﨑さんは、2022年8月、みなかみ町に移住。家の前には利根川が流れ、谷川岳も見通せるロケーションで生活する日々が始まりました。みなかみ町では観光客の利便性を高めるためにフリーWi-Fiが利用できるエリアが多く、ネット環境ではあまり不便がないようです。しかし、移住先でテレワークとなると、問題は孤独。

宮﨑さん「家で仕事をするときは、誰とも話さずに1日が終わることもあるので、よくコワーキングスペースのほとりに行きます。すると、だいたい人がいるので話していると気持ちが和らいできます。ここに若い移住者が集まり、イベントスペースになっているおかげで、私もいろんな人と知り合えていますから。」

ユース世代のサードプレイスになる学校を目指して

2023_0303_MINAKAMI_142旅館やホテル、射的場などが並ぶ温泉街。見上げると冠雪の谷川岳が迫ります

みなかみ町にきて半年ほど。初めて迎えた冬は、雪かき講習会など、地域の催しに参加し交流が深まり、みなかみ暮らしも板についてきた宮﨑さん。昨年11月には、学校づくりの第一歩として、2泊3日のリトリートプログラムを主宰しました。運営は田宮さん、講師は、最初にほとりで出会った武田裕希子さんや柳沼翔子さんなどにお願いし、それぞれが活動拠点にしているフィールドで、地球46億年の歴史を4.6kmで歩くディープタイムウォークやリトリートなどのプログラムを行いました。

宮﨑さん「プログラムでは主に、都会で社会課題に声をあげるアドボカシー活動に取り組む若者たちを対象にしています。デモ活動をしている若者は誹謗中傷にさらされたり、自分の心を犠牲にして燃え尽きることも多いので、メンタルヘルス、ウェルビーイングという意味でもみなかみにきてもらい、自然の中で自分の心とからだを癒しながら、かつ地元の環境問題への取り組みにも触れてもらえたらと思っています。」

宮﨑さんは、同じ環境活動でも東京で行う場合と自然豊かなみなかみで行う場合では、できることが違うと言います。

宮﨑さん「東京は、ムーブメントを起こしやすい場所。気候マーチやSDGs、脱炭素みたいな流れは東京の方がやりやすいと思いますが、逆にみなかみでは自然の中に身をおいて、環境とは何かを考えることができるし、地に足のついた本質的な活動ができます。

私自身、渋谷の街を練り歩いて、『システムチェンジ!』などと声をあげていたわけですが、今思えば自然とは何なのか、センスオブワンダーとは何なのかをそれほど知りませんでした。でも山や川がすぐそばにある環境で暮らしてみると、つねに川の音が聞こえてくるし、普通に野生動物を見かけるし、大変なことも多いけど、自分が自然の一部だという実感が湧いてきます。

今後は一般に間口を広げて年に2〜3回イベント形式でリトリートを行い、最終的には環境をキーワードに集まる人たちのコミュニティや社会のあり方に疑問を持った人たちのためのサードプレイスになるような学びの場をつくりたいですね。」

2023_0304_116赤谷の森にて

アドレスホッパーの延長上に見つけたシェアビレッジの夢

縁もゆかりもない土地に移住したときに、先輩移住者の存在に助けられたという話はよく聞くこと。自分のやりたいことが明確にある宮﨑さんの移住の場合、地元とのパイプ役を移住者の先輩である田宮幸子さんが担いました。では、田宮さんが移住したときはどんな様子だったのでしょうか。

神奈川県相模原市出身の田宮さんは、元来の旅好き。みなかみ町に移住する前は仲間とともに立ち上げた会社でITエンジニアとして働きながら、特定の家をもたずに転々と生活するアドレスホッパーをしていました。やがてコロナ禍で東京のオフィスに人が来なくなり、もはや東京近辺にいる必要もなくなった田宮さんは、地方の田舎にまで足を伸ばすように。滞在先での生き方も様々な人たちとの出会いの中で、シェアビレッジをつくる夢を抱くようになったと言います。その後SMOUTを通じてみなかみ町に移住、2020年のことでした。

2023_0303_MINAKAMI_066田宮幸子さん

田宮さん「みなかみには縁もゆかりもありませんでしたが、移住相談でシェアビレッジをつくりたいという話をしたときに、『リアルとオンラインが連動した形でやりたい』と説明するのですが、役場の担当者が年配の方だとなかなかわかっていただけなくて。みなかみ町のFLAPの担当者は世代も近く面白がってくれて、そういうことに興味があるならと、地元の面白い人を紹介してくれました。その流れで移住することになったんですね。」

2023_0303_MINAKAMI_035ほとりの掲示板スペース。扉の奥がドミトリーになっている

2023_0303_MINAKAMI_007木工建築ででる端材や、林業の副産物である葉などを活用した、みなかみ産のアロマスプレー

各地をアドレスホッピングしてきた田宮さんから見ても、みなかみ町は、「人のバランスがよい町」といいます。

田宮さん「自然が豊かで田舎の雰囲気もありながら、やはり観光の町。新しい人を受け入れて若者を応援してくれるオープンな空気があります。この場所(ほとり)は、地元のリノベーション委員会と地域の方たちが、空き物件の活用促進や温泉街を盛り上げるためにゲストハウス&コワーキングとしての活用を決めたものでした。私はシェアビレッジをつくるにあたっての足がかりとして一人でゲストハウスを始めようと思っていましたが、ほとりの立ち上げに誘っていただき、方向性も合致しているので今では運営を任せてもらえています。どういう場所にするかも好きにやらせてもらい、何かあるとすぐに人を紹介していただけるので、おかげで地元のネットワークにもつながりを持たせていただき、今では繋げる役割も少しずつやらせていただいています。」

移住3年目を迎え、すでに一駅隣の上牧地区に土地を確保した田宮さん。自然の中に入る感覚を磨くために林業チームに入り、月に一度の山仕事で、森のことや土地の開拓について学ぶかたわら、資金・人・ものを募集できる独自のローカルクラウドファンディングサービスを構築中と、田宮さんのシェアビレッジ構想は具体的な段階に進んできました。

田宮さん「自分一人で自然の中でつくり上げるのではなく、みんなが遊ぶように参加して、それぞれのやりたいことを実現していくような村づくりができたら。まずはこの春から畑をつくる予定です。」

林業×リトリートが地域に与える可能性

田宮さんの移住から少し遅れて2021年にみなかみ町に移住してきたのが、神奈川県逗子市出身の柳沼翔子さんです。柳沼さんは、人材開発企業でコーチをしていたときに、ふだんなかなか本音で話し合うことのない人たちが、自然の中では心を開いて話すことに気がつき、自然環境と人材育成を組み合わせたリトリートの可能性を模索するようになりました。

2023_0303_MINAKAMI_156柳沼翔子さん

柳沼さん「もともと自然が好きだったので、リトリートを行うならきれいな水のある場所でやりたいと思い、長野や岐阜などの水源を訪ねることもしていました。ただ、実際に行動に移そうと思った矢先にコロナ禍が始まり、緊急事態宣言が開けるのを待って下見に行こうとしたところ、水源地の多くが首都圏から人が来ることを制限していました。その中で唯一下見ができたのがみなかみ町だったんですね。

みなかみ町の中でも豪雪地帯の藤原地区は大きなダム湖が4つもある水源地域で、町内外の人で共に手入れをしている森と草原のコモンズエリアがあります。そこで、その団体、森林塾青水のメンバーとなり、活動することにしました。最初はリトリートをメインにやるつもりでしたが、自分でも森を維持していく必要があると思い、群馬でチェーンソーやユンボを扱うための資格をとりました。その後林業の地域おこし協力隊の募集が出たので、林業を入り口に移住が決まりました。」

2023_0303_MINAKAMI_174柳沼さんたちが手づくりした色鉛筆。樹種もさまざま間伐材の枝でつくられている

現在、柳沼さんは自伐型林業を行うNPO奥利根水源地域ネットワークに所属する林業家として活動しながら、藤原の森の中でリトリートを開催しています。

柳沼さん「自伐型林業では、間伐と言って木を間引くことで森に光と風を入れ、残った木がより良く育つように手入れをします。伐採するときに、一本一本の木をよく見て選ぶので、森との一体感がすごく感じられるんですね。樹齢50年くらいでも木は重いので、いのちの重みもずっしり感じられます。普段と違う体の動きをするので、木を伐ると一気に頭モードから体モードになりますよ。その一連の体験に瞑想や焚き火を囲んで感じたことを対話するようなプログラムを取り入れています。」

また、地域のつながりの中で、宮﨑さんが主宰するプログラムや後述する武田裕希子さんのフィールド、赤谷の森でリトリートを行ったり、さらには新潟県の魚沼地域や長野県栄村でつくる雪国観光圏(DMO)でアドバイザーに招かれる機会が増えていたりと、活動が広がっているそうです。

柳沼さん「藤原でやってきたことを人に伝えるというフェーズに入ってきました。いろいろなフィールドでさまざまな世代の考え方に触れると、私自身の考え方も広がります。観光では行かないようなところに行き、じっくり過ごしたい人も増えていますから、少人数でゆっくりとした旅の形がつくれるリトリートが地域を再生する力になればいいなと思っています。自然とつながっている感覚を持つことは、人にとってもいいことだし、森にとってもいいこと。私は、森を育むことと組織を育むこと、社会を育むことは根本的に一緒だと思っているので、それをこれからもやっていきたいですね。」

ユースの刺激を地域のエンパワーメントに

大阪府豊中市出身の武田裕希子さんは、環境保全に携わりたいと日本自然保護協会の駐在職員としてみなかみ町に移住してきました。そのきっかけとなったのが、京都で大学院生をしていた頃に4ヶ月のインターン生として関わった赤谷プロジェクトです。

自然保護の先進事例として知られる赤谷プロジェクトは、谷川岳の西側に広がる国有林「赤谷の森」で生物多様性の復元と持続的な森づくりを目的に、地域と林野庁、日本自然保護協会の三者協働により、自然を保護するだけではなく、生かしながら守るという取り組みを20年に渡り続けています。

2023_0304_108武田裕希子さん

武田さん「赤谷の森は豊かな森が残されていて、全国でも増え続ける鹿の食害がまだ顕著でない場所。甚大な被害が生じる前から対策を講じて未然に防ぐことにチャレンジしています。みなかみ町では地域にあるエコシステムを生かすことを主軸においた取り組みをしているので、ユネスコのエコパークにも認定されています。そのような地域だからこそ、みなかみには環境というキーワードで集まる人が多いのだと思います。」

武田さんがみなかみに住んで感じたことは、住民の地域への愛着。

武田さん「たとえば、私が住んでいるたくみの里というエリアでは、開発がさかんな時代に住民が景観条例をつくって大規模な開発が来ないようにと、里山の暮らしを守ってきた歴史があります。今もIターンやUターンで移り住む若い世代が多く、私もみんなと一緒に田んぼで有機米をつくり、できた米を利根川でつながる千葉県の酒蔵に卸して日本酒に醸すという活動を楽しんでいます。インターンのときに、ここの田んぼでの活動に参加し、つくったお酒をみんなと飲んで、個性豊かな若手の人たちと交流するなかで、この地域に惚れてしまったんです。」

2023_0304_033毎月第1週目の週末に赤谷の森で行われるボランティアデーの様子。この日は地元住民や首都圏からのサポーターに林野庁職員がイタヤカエデの樹液の集め方を伝授

武田さんの日々の仕事は、植生や哺乳類の調査や猛禽類の観察、あるいは赤谷プロジェクトをはじめとする各種会議の運営、その中でも地域の住民と話し合う時間を大切にしていると言います。

武田さん「地域のみんなが思い描いていること、でも多忙な毎日の中でなかなか実践には移せないことを聞き出して、この環境を生かして一緒にやるということが、この地に住んでいる自分がやるべきことじゃないかと思っています。日本自然保護協会としても、地域に自然の守り手が存在することが大切だと考え、担い手を育む事業を長く続けているんですね。

その意味で言うと、自分たちの未来に対し何ができるのか、この社会をどうしていきたいかという思いを持った宮﨑さんのようなユース世代がこの地域に入ってくることは大きな力になると、期待しているんです。地域のユースのエンパワーメントにつなげたいですね。」

2023_0303_MINAKAMI_012ほとりに掲示された地域の中高生向けのイベントチラシ

地域住民と移住者が自然や環境というキーワードでつながりあうみなかみ町。気候変動から未来を考えて移住した宮﨑さんのやりたい夢と、田宮さん、柳沼さん、武田さんの先輩移住者たちの夢が、みなかみ町の住民の地元愛、オープンな風土とクロスオーバーすることで地域の力がさらにパワーアップしていきそうです。

みなかみ町で何が起こっていくのか、これからも目が離せません。

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文 草刈朋子
写真 廣川慶明