「集落営農」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。高齢化の進む農村で、田畑を維持し、農業の再生をはかるために設けられた集落単位の組織です。
1970年以降、国の後押しもあり、各地でこうした組織の設立が始まりました。2021年時点で全国に集落営農の数は1万4,227件あり、そのうち法人の形態をとっているのは、約4割の5760件にのぼります。(*1)
この「集落営農」について調べていると、何度も目にするのが「株式会社大朝農産」の名前でした。広島の旧大朝町にできた組織で、複数の集落営農法人と大型農家が集まり、営農法人よりもさらに一つ上の階層につくった株式会社です。
その取り扱い面積は広く、旧大朝町の約半分もの農地をこの会社を構成する経営体が集約しています(*2)。
「これまで家族経営を行ってきた小さな農家が寄り集まって、機械の共有や共同生産・販売を行うために法人となる」のが集落営農法人だとすると、さらにその法人が集まって、さらなる大規模展開を目指しているのが「大朝農産」でした。
つまり集落営農の目的や考え方を突き詰めた先にある一つのモデルと言えるかもしれません。
設立から17年が経ついま、この現状はどうなのか。ほかの地域にとっても大朝農産のスタイルは目指すべきものなのか。課題があるとしたらどんな面か。大朝地区にお邪魔して、代表の渡邉光さんにお話を伺ってきました。
大朝農産ができるまで
大朝地区は、2005年(平成17)に広島県の芸北町、大朝町、千代田町、豊平町が合併してできた「北広島町」の北東に位置するエリアです。全国でもかなり早い時期から集落営農法人が導入されました。
そもそも「集落営農法人」とは何でしょうか?農林水産省の定義によれば、
「集落を単位として、専業農家・兼業農家等を含めた農家の協力のもと、農業生産過程の全部又は一部について共同で取り組む組織」
とのことです。
集落営農における活動内容として多い順にいうと、以下のとおり。
- 機械の共同所有・共同利用
- 農産物の生産・販売
- 作付地の団地化、集落内の土地利用調整
- 共同で農作業を行う
- 防除・収穫などの農作業受託
稲作が盛んな地域、北陸や東北、中国地方に多いのが特徴です。
大朝農産代表取締役の渡邉光さんは、こう話します。
渡邉さん「集落営農法人の現在の目的は、一言でいうなら、黙っていたら荒れていってしまう田畑をみんなで助け合って何とかしようといったところです。一方で、この地域には大型農家が何軒かあって、昭和50年代から『大型稲作研究会』という組織をつくり、一緒に20ヘクタールを超える大規模経営をしていこうという動きがありました。」
『大型稲作研究会』には経営規模3ヘクタール以上の大型農家が集まり、それぞれの農地を合わせて、標高差と収穫時期をずらす作付計画や、省力化、コスト削減、有利な販売などを研究してきた歴史がありました。
その結果、大朝地区の水田面積の約40%が、大型稲作農家が手がける(作業受託のみも含む)田んぼとして、当時から実質的には集約されていたのだそう。
渡邉さん「一方で、2000年(平成12)頃から、国や県の強力な後押しもあって、集落営農法人が全国でどんどんつくられるようになっていきます。法人を受け皿に、共同で使う機械や建屋を導入できる、大型の補助金が出たのです。」
広島県でもこぞって集落法人が設立され、2000年以降、大朝地区内には7つの法人が設立されました。その頃に機械を何台も導入し、それを格納するための倉庫も建てたりと、かなりの投資がされます。
ほかの地域と違って大きかったのは、大朝地区では力のある個々の大型農家も、集落法人の一員になり参加したこと。これがそのあと大朝の大きな特徴になっていきます。
大朝農産の倉庫
「集落法人」と「大型農家」の関係性
ほかの地域では、集落営農法人と、個人経営の大規模農家は、立場や目的の違いから、連携するのがうまくいく地域ばかりではないのが実情です。
『進化する集落営農』(農文協)には、ある大規模農家の集落営農に対する批判が引用されています。
「みんなで集まって、一緒に落ちていく、そんな集落営農を推進する政策には反対だ…(略)…行き詰まった高齢・零細農家が何十軒か集まって組織をつくったところでうまくいくはずがない。…(略)経営能力のある大規模経営者に農地を集め、補助金や低利資金を集中すべきだ」(*3)
著者はこれを「勝ち組」の論理であり、集落営農の真の将来像を理解していない例として紹介しているわけですが、実際、うまく機能しない集落法人の原因として一理あるようにも思えます。
その点、大朝地区では、大規模経営をしてきた実力のある農家が、手がけていた田んぼを集落法人に譲ってまで、「(集落と)一緒にやっていこう」とするスタイルを確立したことが、これまで大朝で集落法人がうまくまわってきた一つの理由のようです。
いま大朝農産の代表をつとめる渡邉さん自身も、大規模農家の経営者であると同時に、「集落法人・いかだづ」の一員でもあります。
稲作をする上では、集落法人の一員(オペレーター)としてする仕事と、個人農家の経営者として自社の田んぼで行う仕事の両方を、同時進行で行っています。
渡邉さん「集落法人の一員になるというのは親父の代で決めたことですが、そのとき、うちが請け負っていた集落内の田んぼは、すべて集落法人に引き継ぎました。なので、自社では、集落法人に属していない、外のエリアに出ていって、田んぼを請け負って、米づくりしているんです。」
このスタイルには良い面と、不便な面の両方があるといいます。
稲作につかう機械や施設はすべて法人のものを共有しています。よって自社では機械や設備をもつ必要がなく、大型の投資が必要ありません。利用料を支払って機械を使いますが、高額の機械を自社でもつより効率がいいと言えます。
一方で、利便性のいい近隣の田んぼをすべて法人に譲ったことで、遠く離れた場所まで移動して稲作しなければならず、そこまで機械を運ばなければならない点では、不便が大きい。
また自社の仕事だけでなく、集落法人のオペレーターとしても働くため、育苗に始まり、稲刈り、籾摺りなど自社以外の仕事の割合も多く、そのぶん賃金は出るとしても、機械と人を集落法人と自社の間でやりくりする必要があり、農繁期に大朝農産の作業受託が重なる時期もあり、すさまじいスケジュールになるのだとか。
渡邉さん「それは自分に限ったことではなくて、集落法人の皆さんも、本来なら集落法人の仕事だけで済むところ、うちの分まで一緒に働かないといけないことになりますよね。そうして持ちつ持たれつでやっているのが現状です。ただ集落法人のメンバーは、若くても60代。その人たちが年に一つ歳をとっていくわけなので、現状維持では近いうちに破綻がくるのは目に見えているなと思っています。」
それにしても、これまで大朝農産がうまくいっているのはなぜなのでしょう。
渡邉さん「困りごとや相談ごとがあれば集まり、失敗があっても、次はもっとこうしようとか建設的な話ができる人が多いんかなと思いますね。みんなが少しずつ我慢して協力しあっているというか。こんなことやっとられんって言い出す人がいたら成立しないので。」
大型の機械は集落法人で所有し、渡邉さんは自社の仕事も集落の機械を借りて運んで使っている。集落法人と自社の作業一連のスケジュール調整を、集落法人から渡邉さんに任せてもらっているためまわせている
集落法人と大型農家を束ねる「大朝農産」の設立へ
集落法人ができると、それまでは個々で1〜3ヘクタールほどの田んぼで稲作してきた人たちが、20〜40ヘクタールの大規模栽培のやり方に切り替えて変えていく必要が出てきました。すると、無人ヘリコプターをつかった防除など、一法人ではなく、複数の法人で共同で行うほうが効率がよい作業が生まれます。
それと同時に、平成10年〜の緊急生産調整推進対策により、稲作からの転作が促され、大豆の生産組合や飼料イネの生産組合が立て続けに発足。
渡邉さん「作物ごとに組合ができましたが、結局オペレーターとして稼働するのは、大豆も飼料イネも、元は米をやってたメンバーなので、似たような顔ぶれになるんです。同じメンバーに作業が偏ると、収穫の適期がずれたり、不都合が起き始めたんですね。」
そこでいくつかの集落法人、大型農家、生産組合のあいだで、作業時期や受託者の配置を最適に調整するためのネットワーク組織がつくられました。これが、「大朝町集落法人ネットワーク」で、後の「株式会社大朝農産」の前身になります。
2007年には株式会社大朝農産が設立。はじめは旧大朝町役場の職員の発案がきっかけとなり、大朝地区の7つの集落法人のうち5 法人と、6つの大規模経営農家が一緒になって、県や農業普及所、JAなども参加し、約10ヶ月、12回以上の検討会議を経て、当面、生産資材の共同購入、生産物の共同販売、農作業受託を 3 本柱とする形で始まりました。
設立時、これまでの各生産組合で出た利益を積み立てていたものを、各々の経営体のこれまでの作付面積で按分した額を出資金に当て、当初発行株数は86株(860万円)でスタート。
いま、大朝農産では、生産組合の事業も引き継ぎ、大豆、飼料イネ、航空防除に堆肥散布を新たに加えた作業受託を行い、一般主食用の米の作付面積は、すべて合わせると181.3ヘクタールにおよぶ広さ(田んぼの一部又は全部)を作業受託(平成30年度構成員の計画資料より)。
現在、田植機は(株)大朝農産所有の機械を一部経営体で共同利用している
法人化、大規模化する理由
ここまできて、大規模化のメリットがより明確に見えるようになりました。
たとえば「大朝米」をPRするために共通の米袋をみなで利用。デザインや印刷をまとめて発注して構成員へ販売。「おおあさの米」としてブランディングし、大型の販売ルートを開拓しています。
大朝農産取り扱いの米袋
「結び米」など新たなブランド米もつくり、JA・全農を通じて販売。以前に比べてJAと対等に交渉ができるようになったのも、農家の側が個人ではなく、共同体の形になっていることが大きいと渡邉さんは話します。
また、資材や肥料も、「大朝農産」としてまとめて購入すれば、かなり太い発注口になるため、入札などで安い価格で仕入れることができる。資材の値段が上がっているいま、これは大きな競争力になります。
渡邉さん「資材の値段が来年になったら上がると聞いたら、上がる前に発注してしまおうと急いで動いたり。必要に応じてメンバーを招集して決めごとを行います。」
資材や肥料代、また防除などにかかるコストを抑えて手間を一本化し、販売面でも大型の取引にして交渉を有利にする。これが大規模化の利点です。
「大朝町集落法人ネットワーク」をつくる一つのきっかけになったのが、無人ヘリコプターでの防除作業。いまはドローンを使用している
これから先の大朝農産の役割
つまり集落営農とは、個々の農家が個別に稲作するのではなく、みんなでつくって一緒に売ることで、規模の理論を効かせてコストを下げ、より良い条件で販売する試みです。
ただし、やはり実作業が、体力のある人たちに重くのしかかる構図に陥りがち。これまでの大朝農産の歩みを振り返りながら、渡邉さんはしみじみ言いました。
渡邉さん「これまでも、ようこの体制でまわしてきたなと思いますよ。自分の田んぼでもないのに炎天下に草刈りしなきゃならなかったりもするし、集落法人でも余計に働いている人がいたり。
でも逆をいえば、もし集落法人ができていなかったら、間違いなく今よりもっと多くの農地が荒れてしまっていたと思います。」
いまも、集落法人がない地域から、農地を預けられないかと渡邉さんの元へ相談がきます。ですが立地や条件的に「借受が難しい」と思う田んぼもあり、荒れていくのを承知で断らざるを得ない農地が存在するのが実情なのだとか。
大朝農産代表取締役の渡邉光さん。集落法人「いかだづ」の事務所にて。12年前に地元に戻り、父親から稲作と畜産業を継いだ。2021年より(株)大朝農産の5代目代表に
一方で、後継者育成の問題も解決していません。このまま集落法人の構成員が高齢化すれば、今の体制のままでは続けられないのではないかと危惧する渡邉さん。
将来的には、大朝農産が柱となり、独自に従業員を雇用し、オペレーターを登録制にするなどして、各組織が相互活用できるしくみを整えることも考えています。
渡邉さん「ゆくゆく大朝農産が、自分自身を含め自力では維持が難しくなった個人の農地の集約窓口になって、構成員に配分するような、コーディネートの役割や、人員を正規雇用して、構成員が現在借り受けている農地が維持できなくなれば、引き継いで耕作する組織として、発展できればと、勝手に夢見ています(笑)。」
通年通して仕事があるわけではないため、正規雇用が難しいのが悩ましいところですが、希望する若者を地元の農家で研修させて就農させるようなしくみも、個々の農家ではなく、組織経営体になっているほうが受け入れやすいはずです。
大朝農産が生産ロットをまとめてJAとも連携し、地区農業の代表のような顔になっていくのかもしれません。
省力化のため大朝農産で導入した共同利用機械の一つ、除草剤(液体のフロアブル剤に限る)散布用のラジコンボート
渡邉さんの話を聞いていて思ったのは、ほかの地域に比べて、「大朝農産」はコアメンバーが大型農家の比較的若い経営者で構成されていることが大きい点です。集落法人はどうしても構成員が年配者に偏りがちで、大きなチャレンジや素早い判断がしにくい。
それを、体力や活力があり、新しい情報や技術、ITを受け入れやすい大型農家の、実力ある若き経営者たちが「大朝農産」という個々の法人のもう一つ上に組織をもつことで、地域を束ねることができ、地域農業全体を引っ張っているのだと感じました。
地方の小さな集落にとって農業は一産業であると同時に、暮らしの環境、景観をも左右する生活に密接なものです。
集落営農や大朝農産の形態の良し悪しは一概には言い切れませんが、「経営体として地域を支えていく」一つのモデルであることに違いないのではないでしょうか。
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- (*1)農林水産省「令和5年集落営農実態調査結果」より
- (*2)この会社に属する大型農家と集落法人が取り扱っている栽培面積の合算値
- (*3)『進化する集落営農』(農文協)P13より
文 甲斐かおり