“会社”だからできる仕事もあれば、“個人”だからできる仕事もある。小林未歩さんが、自分に合った「複業」という働き方を見つけるまで

“会社”だからできる仕事もあれば、“個人”だからできる仕事もある。小林未歩さんが、自分に合った「複業」という働き方を見つけるまで

2019年に施行された「働き方改革関連法」の影響もあり、年を追うごとに、働き方も多様さが増しています。なかでも注目されているのが「複業」ではないでしょうか。

複業とは、どの仕事も本業として、複数の仕事に並行して取り組む働き方のこと。本業があることを前提に補助的に収入を得る「副業」とは違い、単なる収入アップではなく、専門知識や技術を活かしてどの仕事にも本格的に取り組むのが特徴です。人口が少なく人手不足に悩む地域では、近年、プロフェッショナルな複業人材の需要が急増しています。

今回ご紹介する小林未歩さんは、2017年に複業を開始。その後は常時、複数の仕事を掛け持ちしながら働いてきました。「これからもこのスタイルで働き続けたい」という小林さんに、複業という働き方の魅力について伺いました。

誰かが大事にしているものをつないでいく仕事がしたい

_O4A2850小林未歩さん

小林さんは現在、デスティネーションホテルやリゾートホテルの運営受託・企画プロデュースを行なう「株式会社温故知新」で、正社員の企画プランナー、クリエイティブディレクターとして働いています。この日伺った岡山県玉野市の「KEIRIN HOTEL 10」は、小林さんが温故知新の社員として最初に担当した、日本初のスタジアム併設のホテル。玉野競輪に併設され、眼下に迫力ある競輪場と瀬戸内海の絶景が望める、ユニークかつスタイリッシュなホテルです。現在は北海道の礼文島にあるホテルのリニューアルなど、新規開業の立ち上げを担当しているほか、複業としては、ふたつほどの仕事を個人で請け負っています。

_O4A2758「KEIRIN HOTEL 10」のスイートルームからの眺め。真下に競輪場、その先に瀬戸内海の絶景が広がる。試合がない日も、選手の練習風景が見られるのだとか

_O4A2996かつて競輪場で使われていたものを再利用したインテリアや自転車のパーツを使った照明など、競輪を徹底的にフューチャーした内装。競輪のイメージを刷新するポップでおしゃれな空間が広がり、館内を見て回るだけで楽しい

_O4A2797細部までこだわり抜いており、取材チームが何を質問しても答えが返ってくる。全部に理由があってそうしていることがよくわかった。例えばこれは、予算の関係でタンクレスのトイレにできなかったことから、タンクがあったほうがいいと思える仕掛けを考えたいとつくったオリジナルのトイレットペーパーホルダー。競輪選手が筋トレでバーベルを持ち上げている姿をイメージした

_O4A2794BANKというのは競輪レースを行なう滑走路のこと。この線を辿っていくとBANKに辿り着くらしい

今となっては日本じゅうを飛び回り、バリバリ仕事をこなしている小林さんですが、もともと特にやりたいことはなく、自分に対して自信もまったくなかったそうです。就活の際も、これといって希望の職種はありませんでした。悩んだ小林さんは「なくなって困るもののためなら頑張れるかもしれない」と思い至ります。

小林さん「当時、私にとってなくなって困るものはなんだろうと考えたら、それは「食」だと思ったんですね。料理をつくるときには必ずクックパッドを見てつくっていたし、おいしい食事が世の中からなくなったら悲しい。『クックパッドがなくなったら困る!』と思い、面接を受けたんです。」

その思いを、面接時に素直に語ると、無事、クックパッド株式会社の採用に合格し、新卒で入社することに。しかし、自分が得意なこともできることもよくわかっていなかったため、とにかく最初はがむしゃらに、人の10倍頑張るしかない、という気持ちだったそう。入社当初から大きいクライアントを任せてもらえたものの、その重要な役割から上司に怒られることもままあり、睡眠時間も2〜3時間があたりまえのハードワークで、最初の2年弱は「正直、本当につらかった」と振り返ります。

小林さん「ほぼ毎日泣いていたくらい、つらいのに辞めなかった理由もすごくネガティブで、会社という看板を外したときに、果たして自分が必要とされる仕事があるのだろうか、雇ってもらえるのだろうかと不安で自信もなかったから。こんなに何もできないポンコツの私が会社を辞めても、この先ずっと食いっぱぐれて何もできない人間になってしまう。本気でそう思っていました。なので、どんなにつらくても逃げるという選択肢は、怖くて選べなかったんです。」

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ようやく仕事が楽しくなったのは、2年目の後半に入ってから。さらに小林さんのキャリアへの価値観が変わるきっかけとなったのが、その頃「複業」を経験したことでした。静岡県の観光協会に転職した元上司の誘いで、観光マーケティングの手伝いをすることになったのです。もともと旅が好きで、観光にまつわる仕事に興味をもち始めていたタイミングだったため、すぐに手伝いたい!と自ら手をあげました。

担当したのは、SNSの立ち上げや地元企業とのグルメ開発など。平日は正社員として働きながら、土日は静岡に行き、イベントでは売り子もやりました。ときには有給を取って、企業にプレゼンに行ったこともあったのだそう。

小林さん「イベントで開発したグルメがすぐに売り切れになったりと、企業の方々がすごく喜んでくださったんですね。自分が“あったらいいな”と思うことを企画して実現し、こんなにも人が喜んでくれることがあるんだなと大きな手応えを感じました。地域や食、旅のように、自分が好きで、とことん考え抜ける領域のことであれば、たとえ会社の看板がなくても役に立てるという成功体験が、複業を通じて経験できたんです。」

すると、やりたいことがないと思っていた自分にも、何かできることがある、とだんだんわかってきたそうです。

小林さん「私は『自分で何かを生み出したい』『成し遂げたい』という強烈な気持ちがありませんでしたし、現在もそんなになくて。『やりたいことは何?』と聞かれると本当に困っていたんです。でもこのような地域の仕事をとおして、私は自分が大事に思っているもの、なくなってほしくないもののためには頑張れるかもしれない、そう気がつきました。

自分と同じように、誰かが大事にしているものをつないでいく仕事がしたい誰かの気持ちや、その場所に対する思い入れを丁寧に紐解き、形にして伝えていく。そんな仕事がしたいし、自分には向いていると気づいたんです。そして、地域ではさまざまなすばらしい文化が失われていきがちなので、そういう仕事がより必要なのではないか、とも感じます。複業を通じて、自分のキャリアのヒントを見つけることができたし、そういう仕事に取り組んでいきたいな、と自覚的になることができました。」

_O4A2985ホテル2階の廊下には、競輪場の古い資料や写真が展示されている

やりたいことではなく、大切にしたいもののために働く。自分の価値観の指針が言語化できたとき、小林さんがずっと抱えていたネガティブな感情がなくなり、「何者かにならなければならない」という焦りや苦しみからも解放されました。

小林さん「例えばKEIRIN HOTEL 10も、なぜこういうホテルになったかというと、競輪にはすばらしい職人性や歴史・文化がたくさん詰まっていると感じたからです。実は日本発祥のプロスポーツで、オリンピック競技のルーツにもなっています。ホテルが併設する玉野競輪場は、70年の歴史をもつ場所で、地元の人たちにとっても馴染みがあり、選手のさまざまなドラマが宿っている場所でした。そういった文脈を大事にしながら競輪や地域の魅力を伝え、これからも続いていくホテルがどうやったらつくれるかを考えた結果、まっすぐなコンセプトのホテルが生まれました。」

チャレンジしたい仕事があれば企画書を書いて送る

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「地域の仕事を増やしていきたい、そこに自分でも役に立てる部分がある」と感じてからは、経験を積むためにも、忙しかったとしても自分が好きになれて、モチベーション高く取り組めそうな仕事に積極的に応募するようになりました。

小林さん「ちょうどその頃、複業人材を募集するメディアがいくつか立ち上がったこともあって、気になるところを見つけたら、積極的に連絡していました。私は企画が得意だったので、ただ働きたいです、と伝えるだけでなく、『この商品は、こういうパッケージにしたらすてきになると思います』とか『こういうメニューやこういう空間にしたらもっとよくなると思います』と、自分だったら何をするか、頼まれてもいないのに、企画書を書いて送るようにしていました。」

最初のコンタクトで、いきなり企画書を送る人はなかなかいません。相手も興味をもってくれて、必ず反応が返ってきたそうです。そして、かなりの確率で仕事につながりました。

その後、自社で事業を起こす力のある企業で働きたいと、Soup Stock Tokyoなどを生んだ「株式会社スマイルズ」に転職。プロジェクトマネージャーなどを経験しました。正社員として働きながらの複業はけっして楽ではありません。多いときには、5つほどの仕事を掛け持ちし、朝と夜は個人で請け負った仕事をやり、週末は現地に行くなど、休みはほとんどありませんでした。

小林さん「忙しくはあったのですが、”楽しい”という感覚のほうが大きかったです。ずっと企画を考え続けても、ちっとも嫌にならなかった。多忙でしたが、精神的には元気で、むしろ息抜きというか、会社の仕事とは違うスイッチが入って、違うコミュニティの人との出会いも楽しく、充実していた気がしますね。」

どんどん個人の仕事が忙しくなったこともあって、1年ほどで退社。その後、しばらくはフリーランスとして、アウトドア・メディアのライターから観光マーケティング、商品の企画開発やプロデュースまで、さまざまな仕事を手がけました。

434113471_2351751348348155_4493896947598368660_n小林さんが商品企画を手掛けたビーチサンダル

その中のひとつが、2018年から3年間ほど取り組んだ、静岡県熱海市の「ホテルニューアカオ」の仕事です。国とビズリーチが企画した、熱海で複業人材を募集するプロジェクトを知り、すぐに応募したのだそう。これがのちに、ホテルの企画プランナーというキャリアの原点にもなりました。

小林さん「ニューアカオは、子どもの頃に家族で泊まりに行った思い出の宿でした。この仕事は絶対にやりたいと思い、気合いを入れて企画書をつくって提出しましたね。100人ぐらい応募がきたそうですが、企画書まで提出したのは私しかいなかったらしいです(笑)。おかげで、無事に採用してもらうことができました。」

週末に2泊3日で熱海に行き、日々の打ち合わせはオンラインで。SNSを立ち上げたり、レトロでかわいいと評判だったニューアカオのロゴを使ったグッズをクリエイターと一緒につくったり。ホテルのグラフィックも整えました。ニューアカオには数万坪の広大なガーデンがありましたが、ほとんど活用されていなかったため、活用方法について現地スタッフと一緒に考えました。

小林さん「東京の仕事が忙しくて疲れ果てているときも、今週末は熱海で楽しい仕事だ!と思うと頑張れたし、熱海に来て、スタッフのみんなときれいな海を見ながら、ここをどうやって活用しようかと話しているのは、リフレッシュにもなっていました。。当時のチームメンバーとは、いまだに仲良くさせてもらっています。熱海のまちも大好きになって、ただいまと帰っていける、サードプレイスのような存在になりました。」

“会社”でないとできない仕事があることを痛感

_O4A2792「KEIRIN HOTEL 10」は試合の際、選手の宿泊施設も兼ねるため、限られた敷地に多くの部屋数を確保する必要があった。そのため収納は吊り下げ式にしてスペースを有効活用。すぐ近くの児島地域がジーンズの産地のため、ジーンズ生地を採用した

一方で、小林さんはいくつかのジレンマも感じていました。

小林さん「いろいろな地域の仕事をしていると、会社でないとできない仕事がたくさんあることを痛感したんです。

例えば、ニューアカオもそうなんですけど、自分が大好きだった場所がどんどんなくなっていく経験をしたんですね。ニューアカオは、現在、幸いにも復活したのですが、一時は閉業せざるを得ない状況になってしまいました。そのとき私は複業として関わっていたのですが、ひとりの力ではどうにもできず、沈みゆく船をただ眺めているような、本当に悔しく悲しい思いをしました。ほかにも、続いてほしいと思う場所や文化が失われていくのを目の前で見て、私はなんてちっぽけで無力なんだ、と打ちひしがれる経験をしてきました。そう思うと、物事を続けて守っていくには、組織として「やり続けていける」ことが、すごく大切だと実感したんです。」

そんなときに出会ったのが、今働いている「温故知新」でした。温故知新のビジョン「磨き続ける集団」に共感し、ここで働きたいと思ったのだそうです。

小林さん「つくって終わりではなく、やり続けることに価値がある。つくることは誰でもできるけど、磨き続けることは自分たちのような”運営”も行なう会社にしかできない。そこにすごく共感しました。大切なものをサステナブルに大切にしていくためには、会社という仕組みはすばらしいし、そこでしかできないことがあると、温故知新に出会ってますます思うようになったんです。“磨き続けられる”というのは、とても本質的な価値づくりをできることだと思います。」

会社が複業人材を雇うメリット

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小林さんは、2019年、温故知新に企画プランナーとして入社します。そして採用面接で、複業で働く交渉をしたのだそうです。

小林さん「私は、週3~4日勤務、7割正社員で3割複業という形で採用された第一号の正社員です。今は案件が立て込み非常に忙しいので、週5日のフルタイムの正社員として勤務していますが柔軟に対応してもらっています。もともと、地域にホテルが散らばっていることもあり、当時からリモートでの仕事が進めやすく、パラレルワークの私も受け入れてもらいやすかったのではないでしょうか。私が、新しい採用事例としてうまくマッチしたので、今は温故知新も6割正社員、5割正社員など、柔軟な働き方の人が増えています。」

これは、複業する個人だけでなく、会社にとっても多くのメリットがあるのだそうです。例えば宿泊業は、ほかの業界に比べると給与水準がそれほど高くないことから、キャリアダウンになってしまい、優秀な人材がなかなか獲得できないという課題がありました。しかし5割正社員であれば、ほかの仕事を続けながらホテルの仕事もできるので、興味のある人がキャリアを気にせずに働きやすくなります。

小林さん「複業でいろいろな仕事に関わっていると、例え『この地域ではこういう取り組みをしている』など、情報量が圧倒的に増えるので、それが会社の仕事にも役立っているなと実感します。正社員として働きながら、他の仕事をもつ働き方は、その人にとっても会社にとってもプラスになることが多いのではないかと思いますね。」

ちなみに小林さんにはもうひとつ、正社員として働いている、とても現実的な理由もあります。

小林さん「やっぱりメンタル的にすごく安心感がある。フリーでやっていたときに、来月の仕事が全然ないけどどうしようとか、今月は請求書をひとつも書いてない、みたいなこともありました。もともとマイナス思考なので、そういうことがあるとすごく落ち込んで不安になってしまう。仕事にも影響してしまうので、心理的安全のためにも、正社員として組織に属しながら、複業として個人の仕事もするという今の働き方がよかったんです。」

複業といっても、それぞれの性格や置かれた環境、仕事内容によって、そのスタイルはさまざまです。小林さんのように、自分に合った働き方を模索しアレンジできることこそが、複業の魅力なのかもしれません。

“個人”のほうが力になれることもある

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小林さんは現在、温故知新の業務に加えて、ふたつの仕事を個人で請け負っています。ひとつは、静岡発のクラフトティーブランド「aardvark TEA(アードバークティー)」の企画開発やマーケティング。もうひとつが、島根県隠岐郡西ノ島町にある旅館の一部を改装し、スイートルームをリニューアルするプロジェクトのプロデュースです。

小林さん「アードバークティーはロングテールでブランドを育てていくことに携わらせていただいています。西ノ島町の旅館は、改装を担当する建築家からの相談がきっかけでした。家族経営の宿ということもあって、細かいコンセプトワークをこれまでやったことがなく、何から手をつけていいのかわからないという相談でした。とりあえず一旦見に来てほしいと言われて、じゃあ遊びがてら行きます、と言って1週間ぐらい島へ遊び兼視察に行ったんです。

そのときに、ここをこう変えたらすてきになりますよ、ここをこうしたらすごく良くなりますよという話をしていたら、正式に依頼をいただきました。こちらは、お部屋もできあがってきて、ちょうどWebサイトをつくっているところですね。

会社じゃないとできないこともありますが、会社ではある程度の規模感の仕事しか請け負うことができない。個人のような小さな単位だからこそ、西ノ島の旅館さんのような小さくても素敵な場所に、私が力になれることもある。そういう人たちと一緒に、丁寧にものづくりに取り組んでいきたいという思いもあります。だからこそ、会社と個人、その両軸でやっていくのが、私にとって良いバランスだと感じていますね。」

434101420_1466288950632860_2554845927966729707_n商品開発に携わった、桜とカカオのブレンドティ「桜カカオティー」

ちなみに、旅が好きとのことで、あちこち飛び回る暮らしを楽しんではいるのですが、いずれは「自分主体の拠点をもちたい」という思いも湧いてきたそうです。

小林さん「転々とする暮らしを満喫していたのですが、ゆくゆくは地域にしっかり根を生やし、細々でもいいから、自分の好きな場所を耕すような事業をやってみることもやりたいという思いが湧いてきました。

地域のすてきなものを紹介したり、その土地の素材を生かしたものづくりだったり。そういったものを伝える場所や拠点をつくれるといいなと妄想しています。発信者と受信者がいるとしたら私は受信者で。誰かの思いや熱意を受け取って、その魅力を自分なりに伝えていく。それが自分の立ち位置というか、世の中での役割なんじゃないかなと思います。」

自分に自信がなかった新卒時代から、複業を経て、好きなものや得意なこと、大切にしたいことを発見し、地域や社会に眠る価値を引き出してきた小林さん。さまざまな仕事を経験してきたからこそ育まれた人生の厚みが、多くの人や地域を幸せにしています。

文:平川友紀
写真:寺田和代

自分らしい働き方をして、地域に関わってみたい。複数の仕事を同時にすることで、地域との適性を見極めたい。そんな人を応援する取り組み「多業多福」 >>