その人のやりたいことを起点に、何ができるかを考える。多様性を大切にする北海道天塩町の地域おこし協力隊の面白さとは

その人のやりたいことを起点に、何ができるかを考える。多様性を大切にする北海道天塩町の地域おこし協力隊の面白さとは

北海道北部の日本海沿岸に位置する、人口約3,000人の小さなまち「天塩町(てしおちょう)」。稚内空港から車で約1時間10分、千歳空港から約5時間かかるこのまちは、手付かずの自然が今なお残され、そこかしこに自然と人がつくり出す、美しい風景が広がっています。

海の向こうの利尻山をバックに沈む夕陽は、地元の方々も「これだけは自慢できる」と口々に断言するほど。その美しさは、筑波大学の大学院生の研究によって科学的に証明もされているそうです。

日本で4番目に長い天塩川には、国内最大の淡水魚であるイトウが生息。流域には、天然記念物のオジロワシやオオワシが飛び交い、ハクチョウや真雁など、ロシアからやってくる渡り鳥も飛来します。冬は-20度まで気温が下がるほど寒さが厳しく、そのためか、畑はそれほど多くありません。主な産業は漁業と酪農業で、鮭や大粒のしじみ、乳製品が特産です。

そんな天塩町では現在、2名の地域おこし協力隊が活動中。おふたりが語っていたのが、天塩町の「柔軟性」と、活動に対する「自由度の高さ」でした。いったいどのようなことに取り組んでいるのでしょうか。

「グローカル」がテーマのまちなら、やりたいことができるかもしれない

2023_1103_048天塩町地域おこし協力隊の三國秀美さん

一人目は、2021年12月に着任した三國秀美さん。三國さんは鍼灸師として、都内に開業した鍼灸院や中国のサロンなどで働いたあと、天塩町にやってきました。

三國さんが鍼灸師の国家資格を取得したのは、今から十数年前のこと。それまでは某IT企業でマーケティングの仕事をしていました。平均年齢が若いIT業界では、50代になると役員になるか辞めるかのどちらかを選ぶのが常でした。その選択が近づいてきたとき、三國さんはこれは死ぬまでできる仕事なのだろうかと考え、180度違う東洋医学の道へ進むことを決意しました。鍼灸師は歳を取れば取るほど腕が上がる仕事であり、目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなっても働くことができます。

資格取得後は、研鑽を積んで東京・中目黒で鍼灸院を開業。6年間営業したのち、中国の天津市にあるサロンにスカウトされて中国へ渡りました。中国の鍼灸も学ぼうと現地の大学で研修を受ける手配をし、いずれはヨーロッパで中国人の富裕層向けサロンを開業しようと考えていたそうです。ところが、その矢先にコロナによるパンデミックに見舞われました。厳しい規制が敷かれた中国国内にとどまることは難しく、計画の変更を余儀なくされたのです。

三國さん「すぐ日本に帰らないと飛行機が飛ばなくなる、危ないよと言われて帰らざるをえなくなりました。その後、2年ぐらいは中国に戻りたいと思って様子を見ていましたが、いつまで経っても状況が変わる気配はありません。それならば、いっそ地元の北海道に帰ろうと思いました。ただ、札幌周辺だと友だちがいっぱいいるから毎日遊んでしまいそうだった(笑)。そうではなく、北海道の中でも知っている人が誰もいないまちで、おじいちゃんやおばあちゃんに鍼やお灸をしながら、のんびり専門書を読んで勉強する生活ができたらいいなと思いました。」

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どのまちで暮らそうかなと調べていたときに見つけたのが、天塩町のホームページに載っていた地域おこし協力隊の募集でした。

三國さん「“グローカル”というテーマで募集しているのを見たんです。まさに私はローカル、つまり医療過疎地でおじいちゃんやおばあちゃんに鍼やお灸をやれたらいいなと思っていたし、一方でグローバルに、海外からのお客さまへの東洋医学を通じたおもてなしも考えてみたいと思っていました。そういうことが、グローカルがテーマのまちならできるかもしれない、とピンときたんです。」

ミッションは「町民の健康増進」

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三國さんのミッションは、ズバリ「町民の健康増進」。毎週火曜日は、町内の温泉施設「てしお温泉 夕映」で町民向けの施術を、毎週木曜日の午後は雄信内地区での交流活動の一環として小学校に赴き、子どもたちへの施術や健康管理のサポートを行なっています。

しかも夕映での施術料金はたったの1,000円(町民のみ。町外の方は2,000円)!三國さんは鍼やお灸のほか、ストーンマッサージやアロマなども活用しながら、その人に最適な治療を見極めて施術しています。予約はいっぱいで、常時1ヶ月待ちの状態だそうです。

2023_1103_056「てしお温泉 夕映」は、ナトリウム-塩化物強塩泉の天然温泉。全国的にも非常に珍しいツーンとしたアンモニア臭が漂う知る人ぞ知る名泉。オープン当初はアンモニア臭がきつすぎて目が開けていられなかったほどだという

2023_1103_009温泉の食堂では、特産のしじみを使った料理が食べられる。写真はしじみラーメン

三國さん「例えば、病院でレントゲンを撮っても何ともないけれども痛くて仕方がないという人に、お灸をするだけで痛みがとれることがある。そういうことを実際に体験してもらうと東洋医学に対する理解が深まって、利用してくれる人がどんどん増えていくわけです。

2年目に入って、施術を受けた方がすごく良かったからとお母さんを連れてきてくれたり、部活で腰を痛めたらしいと息子さんを連れてきてくれたり、3世代で通ってくれるようになっています。天塩町に来る前にこうなったらいいなと思い描いていたとおりになりつつありますね。任期の間に、子どもや赤ちゃんまで、ますます安心して鍼やお灸が受けられる空気をつくっていけるといいなと思っています。」

三國さんが地域おこし協力隊として目指すのは、まちの経済活性化や事業の創出といったわかりやすいまちづくりではなく、自らの鍼灸師としてのスキルを活用し、町民の「健康」や「安心」、そして「幸福」をつくっていくというもの。私たちはどうしてもお金や利便性といった物差しで、物事の成果を見てしまいがちです。しかし天塩町では、そうしたわかりやすい物差しに縛られることなく、町民の幸福に主眼をおくまちづくりを進めていました。「こんな地域おこし協力隊の形もあるのか!」と本当に驚きました。

三國さん「着任するときにざっくり計算していたのは、週1回、1日20人に施術するとして50週で1,000人、それを3年間やると3,000人になって、計算上は町民全員に施術ができるということでした。これが1万人のまちだったら全員は難しかったと思うし、もっと小さなまちだったら仕事として成り立たなかったかもしれない。3,000人は、ちょうどいいサイズなんですよね。」

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2023_1103_083地域おこし協力隊として、健康増進以外にもさまざまな活動を行なっている。天塩高校の生徒が利用するバス待合所が古びていたため、リノベーションを提案。もうひとりの協力隊、野口さんが資材のセレクトと発注を、レイアウトやインテリアはデザイン・ジャーナリストでもある三國さんが手がけた。テーブルには英語の絵本が置かれたり、ベンチの下に待ち時間に遊べるおもちゃが用意されていたりと、コミュニティスペースとしての機能も充実。なんとWi-Fiも完備とのこと(ただし、暖房はない)。「高校生が利用する待合所なので、大人がお酒を飲んだりタバコを吸ったりすることがないように、子ども用の椅子やテーブルを置いて子どもが利用するスペースであるということをさりげなくアピールしました。置いている椅子もかなり良いものをセレクトしています。いいものを使っていると感性が養われ、それが大人になったときに活きてくると思っています」

3年間の活動を通じてまちの人々との信頼関係を築きたい

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ところで三國さんは、なぜ最初から鍼灸院を開業するのではなく、地域おこし協力隊として移住することにしたのでしょうか。

三國さん「いきなり移住して鍼灸院を開業しても、まちの人には利用してもらえないだろうと思いました。それは、東京で鍼灸院を開業したときがそうだったからです。いい治療を提供していれば、すぐにお客さんが来てくれるだろうと簡単に考えていたら、最初は誰も来なかった。やっぱりこういうのは、信頼関係がないとダメなんです。だから、地域おこし協力隊として3年間活動させてもらえるというのは、まちの方々の信頼を得るための入口としてすごくいいなと思いました。

協力隊って本来はすごく“自由”だと思います。ものの捉え方や経験ひとつでハッピーにもできるしシリアスにもできる。地域の人たちとのつながりもつくりやすいし、やりたいことが実現できたり、自分なりの道を探っていく手法としても使えます。

私が今、すごく楽しいのは、値段を気にせずに好きなものを使って贅沢な施術ができること。1,000円は材料費と保険代ということでもらっていますが、協力隊としてのお給料があるから、ほしい材料はその1,000円で買って、やりたい施術を値段を気にせずにやることができます。東京で鍼灸院をやっていたときは、値段設定がどうしても高くなるし、お客さんを集めるためにマーケティングも考えないといけなかったので、すごく大変でした。でも、地域おこし協力隊の活動としてやるならば、妥協することなく施術ができる。それって、鍼灸師にとっては本当に嬉しいことなんです。」

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稼がなければならないという囚われから解放され、町民の健康を増進するという純粋なミッションのためにより良い施術を追求する。それは三國さん自身の成長にもつながっています。今も2ヶ月に1度は東京へ行き、母校で鍼灸の研修を受け、技術を磨いているそうです。

三國さん「私の場合は1対nではなく、1対1で成果があればいいと思っています。施術を受けてちょっと背筋が伸びたとか、前はすぐにトイレ行きたくなったのにそれがなくなったとか、痛みが取れて笑顔で草むしりができるようになったとか、そういうひとことを聞くたびに、ここにきて良かったなと思います。」

小さなまちだからこそ広がる可能性

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三國さん「任期が終わったあともこのまま天塩町で暮らし続けたいと考えています。小さな鍼灸院を開き、往診なども始めたい。実は鍼灸の仕事以外にも、やってみたいことがいっぱいあります。鍼灸院にはお土産さんを併設したい。天塩のものを売るというよりは、私が旅行先で見つけていいなと思ったものや自分があったらいいなと思うものを置く店です。すでにフランスの企業と交渉するなど、準備は進めています。また、以前はデザイン・ジャーナリストとしても活動していたので、そちらも再開したいと思っています。小さなまちだから、11ヶ月は鍼灸の仕事をして、1ヶ月はデザイン・ジャーナリストとして大好きなヨーロッパに行くなんてこともできるなと思っているんですね。

コロナで中国にいられなくなったときは本当にショックだったけれども、そのおかげでこうして天塩町の人たちと会い、自分の技術をもう一度見直して、謙虚な気もちを思い出し、おばあちゃんの背中のつらさを取り除くところから、あらためて始めることができた。今はとにかく自由。自由に向かって生きていこうと。計画した通りにはいかなかったけれども、その先にはまた違う世界があったということなんですよね。」

そして三國さんは、これからも天塩町で暮らし続けていく上で、ひとつだけ決めていることがあります。

三國さん「毎週火曜日の温泉施設での1,000円の施術は、協力隊の任期が終わったあとも続けようと思っています。とにかく天塩町は医療が不足していて、そこをフォローしたいがために着任したことを、任期が終わったあとも忘れたくないなと思っているんです。」

いつか北海道で暮らしたかった

2023_1104_158天塩町地域おこし協力隊に2021年10月に着任した、野口裕康さん

もうひとりの地域おこし協力隊は、野口裕康さん。野口さんは愛知県出身で、もともと登山やキャンプ、ツーリングが趣味という、大のアウトドア好きでした。世界43カ国を放浪し、最初にバックパッカーとして行った海外は北極圏のスヴァールバル諸島だったのだとか。「昔から針葉樹の森や雪景色など、北の自然に心惹かれるんです」と野口さん。北海道のことも大好きで、いつか北海道で暮らしたいと前々から思っていたそうです。

野口さん「名古屋では不動産管理会社で働いていましたが、コロナで周りの状況が変わっていく中で、今なら北海道移住が実現できるのではないかと思いました。これは一歩踏み出すチャンスかもしれないと、いろいろ調べ始めて、地域おこし協力隊という制度があることを知ったんです。」

天塩町は、以前ツーリングで北海道を訪れた際、音威子府村(おといねっぷむら)のライダーハウスの人に勧められて立ち寄ったことがありました。短い滞在でしたが、景色がきれいだったことをぼんやりと覚えていました。

2023_1104_008天塩川とサロベツ湿原の向こうに利尻山が見えた

2023_1104_036原野にはたくさんのエゾシカが

2023_1104_027渡りのピークは過ぎていたが、沼にはまだ白鳥の姿があった

野口さん「移住するなら北海道ということは決めていましたが、どのまちに住みたいかまでは考えていませんでした。そうしたら、たまたま天塩町の地域おこし協力隊の募集を見かけたんです。天塩町は“グローカル”というテーマで協力隊を募集していました。僕はインバウンドなどの観光全般と情報発信に興味があったので、このテーマは自分に合っているのではないかと思いました。」

どんなまちかは詳しく知らないまま、テーマに共感して協力隊に応募した野口さん。無事に採用が決まったものの、世界はコロナ禍真っ只中で、すぐに着任とはなりませんでした。しばらく待機の状態が続き、ある日突然「来週から来られますか?」と連絡がきて、慌てて家財道具を車に積み込み、フェリーで北海道に渡ったのだそうです。

野口さん「内定はもらっていたのでいつでも行くつもりで覚悟はしていましたが、あまりにも急だったので、地元を離れる感慨を味わう間もなくすぐに活動開始となりました(笑)。」

もっているスキルを活かして、IT関連の業務を担当

smout_teshioHP野口さんが制作した天塩町のホームページ

野口さん「前職ではビル管理の情報システム化を担当していて、IT系の技術はもっていました。それを生かしてデジタルサイネージをつくったり、ウェブサイトの制作を担当しています。全国のイベントに出展する際に、デジタルサイネージを使って天塩町のリアルタイムの気温や気候を表示したところ、話のきっかけとなってブースがとても賑わいました。また、最近リニューアルした天塩町のホームページもつくらせてもらったんですよ。他にも、町からテーマをもらって動画の制作をしたり、冊子やパンフレットをつくったりもしています。

教育関係の仕事も大きなウエイトを占めていますね。天塩高校が筑波大学とやっている高大連携事業のサポートをしたり、小学校に年に10数回ほど訪問したり。町の子どもは町外の人と会う機会がほとんどないため、僕ら協力隊が外部の人として小学校を訪問し、コミュニケーションをとっているんです。」

2023_1104_174ちょうど取材日は、筑波大学との高大連携シンポジウムで、生徒が考えた町づくりアイデアの発表をオンラインで行なう日だった。野口さんも機材のセッティングなどで活躍。三國さんもお手伝いにきていた

2023_1104_173生徒たちが考案し、地元の飲食店が協力して完成した「コロシャケ弁当」の試作。天塩町の特産品である鮭がたっぷり入ったコロッケがドーン。写真ではわかりづらいが、コロッケは超特大だ

こうして仕事の内容を聞くと、実に多種多様なことに取り組んでいるという印象を受けます。

野口さん「それが天塩町の地域おこし協力隊の特徴であり、いいところだと思います。天塩町では、役場からお願いされることと自分がやりたいことの割合が半々ぐらいになっています。最初はいろいろなタスクが用意されていて、その中から自分の興味のあることやできそうなことに取り組んでいく。何も知らないところへ来てゼロから自分で仕事をつくるのは難しいと思いますが、そうならないように、最初の足がかりを用意してくれていたのはすごく助かりました。そこからコネクションをつくり、自分がピンときたものを掘り下げていくというのが天塩のやり方ですね。」

そして、頼まれたことをやるだけでなく、自分のやりたいことや得意なことを活かす仕事の提案もできました。例えばデジタルサイネージの製作は、野口さんのアイデアです。天塩町は、こうした仕事内容のバランスの良さが絶妙なのだそう。

野口さんは「天塩町に来て本当によかった」と話します。それは名古屋という都市で働いていたときには感じられなかった「手応え」が、日々実感できるからです。

野口さん「発信したらすぐにまちじゅうに行き渡るし、何かやったときには成果がしっかり目に見える。これは都会にいたらできなかった経験だと思います。もし都会で同じようなことをやっても、それは誰からも見てもらえないし、評価もされない。でも天塩町だと、どんなに小さなことであっても、自分のやったことがいろいろな形で広まるし評価もしてもらえる。仕事のモチベーションも上がりますよね。」

町が存続するために大切なのは、価値観の多様性

2023_1103_108天塩町役場職員の菅原英人さん

こうした活動のしやすさの背景には、天塩町役場の職員で地域おこし協力隊の担当者である菅原英人さんの存在がありました。実は菅原さんも11年ほど前、天塩町の最初の地域おこし協力隊として神奈川県から移住し、その後、町役場職員に採用されたという、異色の経歴の持ち主でした。

野口さん「菅原さんが直属の上司だったことは、天塩町を選んで何よりよかったと思っているところです。菅原さんのすばらしさは3つあります。ひとつは協力隊に幅広い機会を提供してくれること。もうひとつはもともと移住者だったこともあり、町内外にたくさんのコネクションをもっていて、僕たちをいろいろな方とつなげてくださること、そしてもうひとつは外部の価値観と町内の価値観を両方理解している方なので、両方の立場からいろいろなアドバイスをくれることです。そのおかげで、自分もどちらかの価値観に偏ることなく、まちについて考えて活動することができました。これが本当に良かったし、ラッキーだったと思っています。」

菅原さんは「その人がやりたいことをやってもらったほうがいい結果につながる」という考えのもと、協力隊についても柔軟な運用を行なっていました。

菅原さん「まちが存続するために大切なのは、価値観の多様性だと思っています。過疎で人がいなくなりお金がなくなるのも、もちろんダイレクトに大変ですが、何より問題なのは考え方や価値観が過疎化してしまうことです。そうならないためにも、ある程度の流動性が大切になります。今は、高校を出たらほとんどの人が都会へ行ってしまい、戻ってきません。外に向かうだけの流動性しかなく、行ったり来たりという循環がない。だから私は、地域おこし協力隊によって流動性が生まれることが大切だと考えています。

地域おこし協力隊に対する考え方は自治体によって違いがありますが、人手が足りない業務をお願いするために募集しているケースが多いように感じます。けれども私は、応募してくれた人がどんな能力をもっているのか、本当は何をやりたいのかということのほうを大切にしたい。そこを起点にして、やってもらうことを考えていったほうが絶対にいいものができるし、いい循環も生まれていくんです。」

そうした考えをベースに、協力隊に多くの選択肢を用意している天塩町。その結果、さまざまな経験が積めるうえ、基盤ができたあとは自身のスキルを活かし、やりたいことにチャレンジしていくことができます。

2023_1103_069移住して丸4年になる写真家の柳谷明伸さんは、留萌振興局主催の移住体験ツアーに参加して、菅原さんと出会った。同じ土地で1年を通じて撮影がしてみたいと思い、天塩町に移住を決めたという。「天塩町にした決め手は水田がなかったこと。これより北は国立公園で人がほとんど住んでいないし、利尻山も見える。最初は1年だけ暮らすつもりだったけれども、毎年景色が変わるので、もう4年も暮らしていますね(笑)」

©yanagiya

2023_1103_073柳谷さんが撮影した天塩町の風景。「広報てしお」の表紙には、毎号、柳谷さんの作品が使われている

「食と観光」で生業をつくる

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野口さんの任期は残すところあと1年。憧れだった北海道での暮らしを今後も続けていくために、自ら生業をつくり出していくことを考えています。

もともとは、もっている総合旅行業務取扱管理者の資格を活用し、旅行代理店をやったらいいのではと考えていました。しかし実際に暮らしてみると、いわゆる大きな観光地ではない天塩町では、旅行代理店で生計を立てるのは難しいと感じるようになりました。

野口さん「旅行代理店は、地域の観光産業やアウトドア産業のプレイヤーと観光客を取り次ぐ仕事です。けれども、そもそも天塩町は旅館やホテルが少ないし、アウトドアのプレイヤーも少ないので、いくら代理店をつくっても、取り次ぐ先があまりないんです。そういうことは、暮らし始めてからわかりました。だから代理店ではなく、自分で直接、体験を提供する方向に進み始めています。」

そこで今、着目しているのが「食と観光」です。

2023_1104_069ハーブの一種フェンネルを収穫。自然栽培の畑でどこに何が植わっているかがわかりづらかったため、野口さんが看板をつくった

野口さん「天塩町にくるまで農業のことは何も知りませんでした。でもおのっぷ農園の吉田さんと知り合って作業をお手伝いする中で、農業や食を絡めた観光であれば可能性があるのではないかと思うようになりました。今、吉田さんにお願いして耕運機の使い方や野菜の育て方を教わっているところです。できれば天塩町でいい土地が見つかればいいなと思っています。

僕は、任期終了後もここに残って関係をもち続けていくことが、協力隊としてあるべき姿ではないだろうかと思っています。3年間、どんなに町のためにいろいろなことをやって頑張ったとしても、そのあと『あの人すぐいなくなったよね』となったら、やっぱりものすごく残念ですよね。こうして縁があったまちなので、そうならないためにもしっかり計画を立て、この先の自分の生活をつくっていきたい。それが3年間、協力隊をやらせてもらった町への恩返しにもなると思っています。あと1年は協力隊の仕事と並行し、その後の準備もしっかり進めていきたいと思います。」

2023_1104_137おのっぷ農園は、酪農業がメインの天塩町では珍しい有機JAS認証を取得した農園。年間を通じてさまざまな野菜を育てている。メインは菊芋の栽培。加工場を設置し、菊芋茶をつくって販売したところ大ヒットし、主力商品となっている。この日はおのっぷ農園の野菜を、天塩町公認インスタグラマー・ナヲさんに送るために収穫して箱詰め。これらの食材を使って調理した料理をインスタグラムで紹介してもらっている

2023_1104_111おのっぷ農園の吉田哲弘さんは、30年以上前にUターンして、家業だった酪農を継いだ。アルバイトを募集していたものの、酪農だと手伝ってもらえる作業が少なかったため、仕事を増やすために農園を始めることにしたという変わった理由で農家になった方(笑)。雄信内(おのぶない)地区は、天塩町でもかなり奥まったところにあるが、口コミやリピーターで1年を通して誰かしらがお手伝いにきているそうだ。休みの日は、近隣の観光地まで一緒に遊びに行ったり、食材費を吉田さんがすべて出すかわりに、吉田さんの分のごはんもつくってもらったりと、楽しく過ごしている。母屋はアルバイトの人たちに使ってもらい、自分はその横の小さな小屋で暮らす。「バイト代を出すだけで精一杯で全然稼げてはいないけど、若い人が来てくれて話ができるのが楽しいんですよ」と吉田さん

2023_1104_126母屋の壁には、吉田さんや亡くなった吉田さんのお母さんに向けたアルバイトのみなさんからのメッセージがびっしり。多くの人に愛されていることが伝わってくる

2023_1104_119ちょうど農業に興味があるという大学生がふたり、3週間の予定で神奈川県からアルバイトに来ていた。菊芋茶への加工作業を担当。「おうちも自由に使えるし、てつさんが本当にいい人で、居心地最高です。近所の方が羊肉や卵、いくらなど、食材を差し入れてくれるんですけど、何を食べてもおいしくていちいち感動しています!」

新たに「雄信内地区で活躍する」地域おこし協力隊を募集中

2023_1103_120お世話になった日の丸旅館のごはんは、天塩の味覚がたっぷり。鮭のあら汁、エゾシカのローストビーフ、カスベの煮こごり、宗谷のもずくとなまこの酢の物、ヒラメの昆布締め(利尻昆布)

2023_1103_121宿のご主人は猟師で、加工場ももっている。この日はたまたま貴重な熊肉があり、振る舞ってくれた。もちろん、天塩町でご主人自ら獲った熊の肉だ

2023_1104_175「日本一高い牛乳があるよ」と勧められ、道の駅で購入した宇野牧場の「最高峰の牛乳」。スイーツかと思うほどのコクと甘さ。これは確かに最高峰の牛乳だった。2日間に食べたものはどれもおいしく、地産地消率も高い。天塩町の食の豊かさを実感した

小さなまちで、けっして派手さはないのに、会う人会う人温かく、なぜか多様な豊かさを感じる天塩町の魅力は、おそらく訪れてみないとわかりません。例えば早朝、写真家の柳谷さんは、取材チームを渡り鳥が飛来するスポットへと快く案内してくれました。旅館のご夫婦は、天塩町ならではのものをと、地元の食材を使ったおいしい料理を山ほど用意してくださいました。おのっぷ農園の吉田さんは、全国からアルバイトに来てくれる若者との交流が楽しくて、バイト代を捻出するために農園を始め、菊芋茶の商品開発をしたと言っています。

このまちの居心地の良さは、こうしたおもてなしの心に加え、その瞬間瞬間をただ楽しみながら過ごすことに、何より価値があることを理解している一人ひとりの心意気ではないかと思いました。

2023_1104_162雄信内地区の中心街。周囲にはどこまでも牧草地が広がる

image27野口さんも収穫作業などでよく訪れているおのっぷ農園の全景。雄信内地区にはこんな光景があちこちに広がっている(写真提供:川中子 涼音)

2023年12月現在、天塩町では、新たに複数名の地域おこし協力隊を募集しています

菅原さん「特に雄信内(おのぶない)地区で活動してくれる隊員を募集中です。雄信内地区は過疎化が進んでいるけれども、おのっぷ農園の吉田さんのように面白いことをやっている人がいて、全国から若い人たちが集まったりしている。ここに協力隊が加われば、さらに面白いことが起きるのではないかと期待しています。」

その人の個性を受け入れて、柔軟に活動することをよしとする天塩町であれば、きっとさまざまなチャレンジができるはず。興味をもったら、まずは北海道天塩町の地域ページの「フォロー」ボタンのクリックを。居心地のよさを体感しに、天塩町まで足を運んでみるのもオススメです。

現在、天塩町では、ヨソ者の視点で多様な分野・テーマ(フリーミッション含む)で活動する地域おこし協力隊を募集しています!

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文:平川友紀
写真:廣川慶明