太平洋の海沿いにあり、これまでは「サーフィン」や「海水浴」というイメージで語られることの多かった茨城県大洗町。じつは近年、海の町という以上に、アニメ「ガールズ&パンツァー」の舞台として知られていることはご存知でしょうか。
「ガールズ&パンツァー(以下、ガルパン)」は、戦車道という競技が大和撫子の嗜みとされている世界で、全国大会優勝を目指す女子高生たちの奮闘を描いたオリジナルアニメです。大洗町の実際の街並みがそっくりそのまま舞台になっており、これが大ヒットすると、ファンの方々が、いわゆる「聖地巡礼」として頻繁にまちを訪れるようになりました。2012年10月にテレビ放送が始まり、10年近く経った現在も映画の続編がリリースされるほど人気があり、いっそのこと舞台で暮らしたいと移住する人まで現れています。
しかしファンの方々が何度も大洗町を訪れたり、わざわざ移住するのには、どうやら「ガルパンのファンだから」というだけではない理由があるようです。前職でガルパンの宣伝プロデューサーだったことがきっかけとなり、大洗町で起業した「株式会社ハイド&ルーク」の廣岡祐次さん、大洗町役場のまちづくり推進課地域振興係・係長の菅谷規広さん、同じく主任の深作晃江さん、地域おこし協力隊で移住・定住促進を担当する萬里小路忠昭さんに、大洗町のこれまでの歩みと現在地を伺いました。
アニメファンがまちのファンになっていく
この商店街がそのままアニメにも登場。週末になると大勢のガルパンファンで賑わう
まちの人々が、ガルパンを強く認識したのは、2012年11月に開催された地域最大のイベント「大洗あんこう祭り」のときでした。もともとかなり大規模なお祭りではありましたが、その年は、例年の比ではないほど大勢の人が訪れて、賑わったのだそうです。
これ以降、それまで見たことのなかった雰囲気の人がカメラを構え、商店街を闊歩する光景は、日常になります。そして大洗町の人々は、違う文化を敬遠することなく、受け入れる姿勢を見せました。作品に対する理解を深めてもらおうと、関係者が「ガールズ&パンツァー」の町民向け上映会を行うと、大勢の人が集まったのです。
廣岡さん「まちの方が積極的に作品を理解してくださったことは、ファンにとっても大きかったと思います。たとえば、お店のおじいさん、おばあさんが、ガルパンのキャラクターの名前を覚えて、お客さんと楽しそうに会話してるんです。そんなまち、あまりないですよね(笑)。
東日本大震災の際、大洗町は津波の被害を受けました。原発事故の風評被害も重なり、観光客は9割減になったそうです。お店をやっていて観光客がこなくなったら当然寂しい。だからガルパンファンの方々が来てくれたときに嬉しかったんだと思いますし、一緒に楽しもうという精神で受け入れてくださったんだと思います。」
まちの人々は、ガルパンファンの方々を、愛情を込めて「ガルパンさん」と呼んでいます。最初は聖地巡礼として、アニメに登場した店や観光スポットをめぐっていたファンも、温かく迎え入れてくれるまちの人々に魅了されていき「あの店の、あの人に会いたいから」という理由で、何度も足を運ぶようになっていきました。
廣岡さん「きっかけはガルパンだったかもしれませんが、みなさん何度か通ううちにアニメのファンからまちのファンになっていきました。」
しかもそれは、小さな規模ではありません。たとえばコロナ禍前までは、Webサイトにお祭りやイベントの告知がされると、数日中に町内のホテルや旅館はすべて予約で埋まっていたそうです。告知に気づくのが少しでも遅れると水戸やひたちなかなど、近隣の市町村のホテルを利用することになってしまい、ときにはそれすら埋まってしまうという状況だったそう。経済効果は、町外にまで及んでいます。
アニメの中で、試合中に戦車が突っ込むことでお馴染みの、商店街の旅館「肴屋本店」。入口には、キャラクターのパネルも設置されている
また、ガルパンファンにはTwitterを使っている人が多いことから、お店を営む高齢の方々が、交流目的でTwitterの使い方を覚えていったそうです。「商店街の方々も、ファンの方との交流が楽しいんですよね」と廣岡さん。Twitterでイベントを告知すると、みんなが遊びにきてくれるなど、SNSを活用した集客にもつながっているそうです。
ガルパンファンの方がつくった「大洗ガルパンマップ」。これを参考にまちあるきを楽しむ人も多いのだとか
大洗町の一員に入れてもらいたい
株式会社ハイド&ルークの廣岡祐次さん
かくいう廣岡さんも、作品の担当として仕事で通ううちに、大洗町で出会う人々に魅了されていったひとりです。
廣岡さん「ガルパンが始まったのがちょうど東日本大震災の翌年だったこともあり、観光客がまったくこなくなっていて、みなさん何とか頑張ろうと奮闘されていました。そういった方々に接して、私もすごく感銘を受けたんです。みなさんのまちに対する思いや生きざまが、素直に言うと『かっこいいな』と思いました。」
とはいえ、宣伝の仕事は好きだったし、現状に不満があるわけではありませんでした。ところが廣岡さんは、お父さんのご病気がきっかけで、起業を考えるようになります。
廣岡さん「私の父親は、新入社員で入った会社で社長にまでなった人です。裏を返せば、絵に描いたような昭和の典型的なサラリーマンでした。平日の帰宅は終電が当たり前、土日はゴルフや接待でほとんど家にいない。父が残したものは大きいですし、そういう意味では尊敬もできます。仕事もきっと楽しかったんだろうなとは思います。
でも、60歳を過ぎても社長をやっていて、いよいよ引退して余生を送ろうかという歳になったら『ステージ4のガンです』と宣告されちゃったわけです。そうしたら、もっとやりたかったことがあったんじゃないかとか、老後のために貯めていたお金があったんじゃないかとか、いろいろな思いがよぎりました。そこから、いったい何のために仕事をするんだろうと考えるようになり、40歳の区切りまでにもう1度、自分の人生を見つめ直そうと思ったんです。」
インタビューは、廣岡さんが運営するコワーキングスペース「ARISE CO-WORKING」のミーティングルームで行った
その過程で頭に思い浮かんだのが大洗町でした。
廣岡さん「一生を決めることなので、いろいろな選択肢を考えました。でもその時点で8年も大洗町に携わっていて、まちのみなさんが頑張っている姿をずっと見ていたんですね。大洗町がいいまちだっていうことは100%わかっていて、人が温かいこともよく知っている。ファンの方も含めて、誰もがまちのことをどんどん好きになっていくのを見ていて、やっぱり自分も大洗町が好きだし、まちの一員に入れてもらいたい、まちを盛り上げるような仕事をしたいと思いました。」
ガルパンの宣伝プロデューサーとしてファンの人にも地元の人にも知られた存在だった廣岡さん。大洗町で起業すると伝えたときには、誰もが驚きと喜びをもって迎え入れてくれました。2019年4月のことです。
ピンチをチャンスに。まちの通販代行業を始める
目の前に海が広がる「ARISE CO-WORKING」。広々として居心地のいい空間。大洗シーサイドステーション内にあり、駐車場があるため、車で来ることができる。在住者だけでなく、観光客の利用も多いとか
廣岡さんはあえてガルパンにはこだわらず、末長く地域に根づき、地域に貢献できる事業を手掛けたいと考えました。そこでまずは、起業した人や移住者を支援し、交流できる場をつくりたいと、それまで大洗町にはなかったコワーキングスペースをつくることにしました。さらに長年、宣伝の仕事をしてきたスキルを生かし、観光が重要な産業のひとつでもある大洗町のポータルサイトをつくることを考えました。
廣岡さん「まちのいろいろな情報を発信し、まちで頑張っている方々をインタビューするサイトを運営して、広告などで運用できたらいいなと思っていたんです。でもその思惑はコロナによってだいぶ変わりました。ちょうど緊急事態宣言が最初に出た頃に、ポータルサイトを立ち上げるためのクラウドファンディングをやっていたんですけど、店は閉まっちゃうし観光客も来ないから、今ポータルサイトをつくっても効果は薄いなと思ったんです。」
そこで廣岡さんは、すぐに発想を転換しました。
廣岡さん「大洗町は個人商店がめちゃくちゃ多いまちです。例えば高齢でネット通販のやり方がわからなかったり、小さな店でそのための人件費までは出せなかったりして、通販はやっていないという事業者の方も存在しました。だったらポータルサイトより、ネット通販のサポートをメインにやったほうがいいんじゃないかと思って、まちの通販代行をやることにしたんです。それが今もやっている『ARISE GIFT』というサイトです。」
「ARISE GIFT」。大洗町の特産品のほか、ガルパングッズなども購入できる
長年、まちの人々と関係を深め、まちの様子を見続けていた廣岡さんだからこそ、まちの困りごとにすぐに気づき、対応することができました。さらに、小さな事業者が多いため、なるべく負担をかけないようにと、集荷から梱包、発送までをハイド&ルークがすべて行なうシステムにしたそうです。その結果、事業者の方々は無理なく通販を始めて売り上げを増やすことができ、ハイド&ルークとしても主要事業のひとつにすることができました。
廣岡さん「当初の目論見からは大きく変わったものの、コロナ禍であちこち出かけられなくなった中で、いろいろな物をお取り寄せしようという機運は絶対的に高まっています。そういう意味では結果的には良かったのかもしれません。」
ちなみに、このときクラファンを支援してくれた人には、やはりガルパンファンが多かったそうです。さらに、通販で商品を購入してくれる人にも、ガルパンファンと思われる方がたくさんいます。コロナ禍で大洗町まで遊びに行くことが叶わない中、せめて商品を購入することでまちの空気を感じ、店を応援しようと考える人がたくさんいるのです。
旅行関連のこんな本も出ている
さらなる関係人口の創出に力を入れていく
大洗町役場・まちづくり推進課地域振興係・主任の深作晃江さん(左)、同係長の菅谷規広さん(右)
町役場も、こうしたまちの変化を見続け、支えてきました。最初は観光客の急激な増加に驚いたそうですが、ファンの方のマナーの良さ、まちが好きだというピュアな思いに、次第にまち全体がウェルカムな雰囲気になっていきました。
菅谷さん「お客さんがたくさん来てくれるようになり、商店街が目に見えて活気づいていると感じました。商品を買って食べながら、そこで雑談しコミュニケーションを図ることが、楽しみのひとつになっていると思います。もはやガルパンファンの方々は、観光客ではあるんでしょうけど、観光客ではないんでしょうね。大洗にすごく愛着をもっていただけていると思います。」
さらに現在は、そこから新たな展開に入っています。萬里小路さんは、ガルパンファンのコミュニティは土台にあったうえで、新しい人々の流入が増えていると感じています。
地域おこし協力隊で移住・定住促進を担当する萬里小路忠昭さん(左)。2022年1~3月に開催された「Create Owarai」という3ヶ月間の地域課題解決プログラムに参加したことをきっかけに、大洗町にもっと深く関わりたいと移住してきた
萬里小路さん「移住してくる人は、その地域に対して何かしらの思いをもっている人だと思います。大洗町なら、サーフィンを思いきり楽しむことかもしれないし、ガルパンの舞台で暮らすことかもしれない。それが最近、Uターンしてブックカフェを運営する人、Jターンしてクラフトビールを製造・販売する人、Iターンして二拠点居住のサブスクサービスを展開する人などが現れています。ガルパンで注目されたことで、大洗町にあるそれ以外のコンテンツも引き出され、そこに紐付いて来てくれる方がだんだん増えているんです。さらにそこから、いろいろな人の思いが融合し始めるフェーズに入ったような感覚があります。」
こうした状況を踏まえ、町役場では関係人口の創出にさらに力を入れ、移住・定住までつなげていきたいと考えています。
深作さん「移住するのは簡単なことではなく、覚悟が必要です。だからこそ大洗町が好きで、ここでずっと暮らしたいと思わなければ、当然ですが移住にはつながりません。ですから今は、その前段となる大洗町を知ってもらうための取り組みを丁寧にやっていきたいと考えています。行政ができることは限られているからこそ、間口を広げ、思いをもった人たちが動いていきやすい環境をつくることが大切な役割だと思っています。」
スピード感をもって物事が進められるまち
廣岡さん「このまちはコンパクトで、町役場も含めて、非常に決断が早いんです。それが魅力のひとつであり、このまちの可能性だと思います。今、観光協会に入っている事業者の30代、40代の若い世代が集まったプロジェクトチームの動きが活発になっていますが、それも展開がすごく早いんです。」
たとえば2020年の夏、緊急事態宣言で海水浴場が閉鎖になったとき、すぐに立ち上がったのが「砂浜図書館」という企画でした。まちの資源でもある砂浜を使わないのはもったいないからと、タープを張り、イスを置き、ビーチセンターにおしゃれな本棚を置いて、そこから本を自由に選んで砂浜で読めるようにしたのです。するとSNSで評判が広がり、民放全局の取材がくるほど話題になりました。その後、砂浜図書館は毎年恒例のイベントになり、今年も海水浴シーズンが終わった秋に開催することになっています。
廣岡さん「海水浴場が閉鎖というネガティブなニュースで終わらずに、その年の夏には新しい企画を考えて、たった2ヶ月で起案から実行まで行いました。そういうスピード感がこのまちにはあるんです。やる気のある若い人がどんどんまちを変えていけるというのは、それだけで本当にいいまちだなと思いますね。」
ソーシャルディスタンスに換気もバッチリ。目の前に広がる海を眺めながらの読書体験はたちまち話題になった
「砂浜図書館」開催中の数日に、関連イベントとしてスカイランタンとキャンドルによるライトアップを行ない、砂浜を幻想的な空間に仕上げました。「こんなにたくさんのカップルを大洗で見たのは初めてだったかもしれません(笑)」と廣岡さん
関係人口がまちにもたらす希望
先日「大洗春まつり 海楽フェスタ」という、あんこう祭りに次ぐ大きなお祭りが3年ぶりに開催されました。告知を控えめにし、ガルパン関係の企画はとりやめたにもかかわらず、大変な賑わいだったそうです。「さすがに近隣の市町村のホテルまでは埋まらなかったみたいですが、町内の宿は全部埋まりました」と菅谷さん。ガルパンファンとの縁は、まだまだしっかりつながっているのだと確信するには十分な手応えでした。
廣岡さん「今回のコロナは当初、観光客がまったく来なくなりました。でも震災の時と違うのは、店を開ければファンの人たちが来てくれる、戻ってきてくれるだろうという希望があったことです。だから絶望しないで頑張れたんだと、みなさん話されていました。作品が始まって10年が経ちますが、この10年で本当に多くの絆が生まれたのでは無いかと思います。」
つまり、関係人口によってもこれだけまちは活性化し、発展することができるのです。アニメの舞台となったことでまちのファンが増え、それが人々の心の支えとなり、まちそのものに活気を生み出しました。さらに今は、移住者や起業事例も増え、地元の若い世代も精力的に活動するようになっています。
ここからますます大洗町は面白くなる。まちに関わる多くの人々が、今、コロナ後に向けて、そんな予感でいっぱいになっています。
文 平川友紀