被災した能登町で、それでもカフェを続けていくということ。カフェ「zou」店主・小澤弘壮さんに聞く、移住者の迷いと決断

被災した能登町で、それでもカフェを続けていくということ。カフェ「zou」店主・小澤弘壮さんに聞く、移住者の迷いと決断

なだらかな平原や低い山地が広がり、農村部では伝統的な手法による農業や漁業が行われている石川県・能登半島。奥能登では国際芸術祭も行われ、輪島には漆器づくりの伝統技法が残っています。

そんな自然と人が豊かに暮らす場所で、2024年1月1日、マグニチュード7.6の大きな地震が起きました。まだ記憶としても新しく、現在も厳しい暮らしを余儀なくされているなか、9月21日には記録的な大雨によって、さらなる試練が襲っています。

2年半前、能登町の地域おこし協力隊として移住した小澤弘壮さんは、能登町でカフェをオープン。なぜ震災後のいま、カフェをオープンしたのか、その背景にある思いを聞きました。

※ メイン写真撮影:小澤弘壮

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小澤弘壮さん
大阪府立北野高校を卒業後、一年の浪人生活を経て大阪芸術大学映像学科に進学。大学の間は、映像や写真、塾講師の仕事をしながら学生映画を数本撮影。同じ時期、長野県白馬村にも少し滞在。その後石川県能登町に移住し、静かに制作を続ける。まちなか鳳雛塾で講師として働きながら、昨年、能登町宮地に御茶西内科というカフェを開業(震災の影響により休業中)。現在は宇出津で「ギャラリーカフェzou」を営む。

カフェの営業を、あきらめたくなかった

金沢からは車で約2時間ほど。高速道路を降りると、奥能登と呼ばれるエリアでもある穴水町のあたりからは、まだ片側通行の場所が多く、震災の爪痕を感じるような景色も残っていました。

主要道路は工事が入り車も通れるようにはなっているものの、まだひび割れや陥没が目立つ場所も多く、一つ中の道路に入ると道路は崩れおち、通行止めになっている道路もまだありました。さらに奥に進むと、道の駅なども建物が損傷しているのか規制線の張られた場所や、道路から見える景色の中には被害を受けた家屋などが見えていました。

小澤さんが経営するギャラリー併設のカフェ「zou」は、奥能登と呼ばれる、鳳珠郡能登町南部の宇出津港に面した場所にあります。

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小澤さんが能登町の地域おこし協力隊として活動しながら、カフェをオープンしたのは、2024年6月のこと。別地域で運営していたカフェが、震災で被害を受けて、営業することが困難になったあと、一度は能登町を離れようと悩んだ小澤さんのもとに、同じく能登町に暮らす人からは「残ってほしい」と声をかけられ、今の「zou」となる場所が空き家になっていたことから自分たちで一からつくり直していったのだとか。

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小澤さん「能登町の地域おこし協力隊として、高校魅力化プロジェクトを担当していました。その傍らカフェを運営していたのですが、被災してしまって。諦めきれず、ここでカフェを続けたいと思っていました。今の場所は、偶然空き家になって。それで今一緒に営業をしている仲間と、あらたにカフェ『zou』を始めることにしたんです。」

_DSC2962-57ギャラリー併設のカフェ『zou』

_DSC2969-42カフェzou内のギャラリースペース

もともと居酒屋だった店舗を改装して、落ち着きのある空間に。ゆったりと座れるカウンタースペースと、程よく光の入るギャラリー空間から構成されています。

小澤さん「以前の店舗は、人里離れた隠れ家的なエリアにあったのですが、ここは港も高校も近いから、割と若いお客さんも来てくれるんです。ギャラリースペースでは、現在は自分が撮影した写真を飾っているのですが、今後はいろんな方の作品を展示したいと思っています。」

いつかは田舎に暮らしたかった

小澤さんは、大阪府豊中市出身。大阪芸大で映像表現を学んでいる頃から、いつかは田舎に暮らしたいと思っていました。大学時代に能登に旅行に来たことをきっかけに、能登町が印象に残っていた小澤さん。移住スカウトサービス「SMOUT」で能登町の高校魅力化プロジェクトでの募集を知り、「スカウト機能」を使ってやり取りしたのち、地域おこし協力隊に赴任。およそ2年半前に、能登町へ移住しました。

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小澤さん「県立能登高校は、まちの唯一の高校なんです。子どもの数が減ったことで、高校はこれまで統廃合を繰り返してきました。この県立能登高校を今後も存続させるために始まったのが、高校魅力化プロジェクトです。」

公営塾は高校生だけに限らず中学生なども利用可能で、勉強以外の活用として交流したりと中高生の集いの場としても利用しています。

小澤さんは、地域おこし協力隊として学生たちの集う公営塾にスタッフとして常駐。公営塾での進路相談を受けたり、実際に県立能登高校の授業の一環でもある「探求学習」に先生や生徒さんと一緒に取り組むことも。

こんなふうに、能登町に関わりをもつなかで、小澤さんは昔からカフェという雰囲気が好きだったことから「いつか自分もカフェを開けたらいいな」と思っていたこともあり、カフェ「zou」の前身にあたるカフェをオープンしました。

小澤さん「カフェって、みんなやりたいんじゃないかなと思って、それって結構普通のこと、くらいに考えていました(笑)。カフェという場所が居心地よくて、学生時代もよくカフェに通って、いつか自分もこんな空間がつくれたらいいなと思っていました。 

能登町に移住してからも、実は積極的に物件を探していたわけではないんですが、たまたま知り合いの方から、空いている物件があると声をかけてもらって。それなら、やってみたいと思っていたカフェを、この地でやってみようかなと考えたんです。」

そうして、とんとん拍子でカフェをオープンしたものの、始めて2〜3ヶ月が経った2024年1月1日、半島の北側に位置する能登町は、震源が近かったこともあり、大きな被害を受けました。

まちの住宅は、そのほとんどが被害を受けていました。静かな港町の広大な敷地に瓦礫が積み上がり、その横には仮設住宅が建ちました。

小澤さん「家がなくなったり、家族をなくした人がいたり。仮設住宅に移ることはできても、仕事もなくなってしまった人が多くて。カフェも、建物の一部が崩れてしまい、営業することが難しくなってしまいました。」

小澤さんは震災当日、実家である大阪府に帰省していたのですが、知り合いのSNSで能登町の現状を知ることに。震災当日から断水していたり、状況はあまりよくないことを知った小澤さんは、能登町にしばらく戻らない選択もできたのですが、小澤さんは戻ることを決意しました。

そこには、写真という手段で、どうしても今の能登を、自分の手で伝えれなければいけないと感じたという背景がありました。

小澤さん「能登町に戻った後は、借りていたアパートは無事だったんですが、断水もあって生活そのものがままならなくて。そこで、金沢市の近くの小松市でホテル暮らしを2〜3週間ほどしながら、能登町と行き来する毎日でした。その間に、能登の震災後の写真を撮って、写真集を出したんです。」

小澤さんは、被災地とホテルを何度も行き来を繰り返して、能登の写真を撮りためて、デジタル写真集を2024年2月下旬に発表。

その後、小澤さんは小松市でのホテル暮らしを終えて、4月に能登町に戻りました。自衛隊の方が設置してくれた仮設風呂や給水所などを利用して、なんとか生活ができるようになりましたが、それまでは、何日もお風呂に入れないことがあったのだとか。

まち自体も、徐々に復興の兆しを見せる中、日々の暮らしを取り戻しつつも、やはりいろいろと考えるところがあったと話します。

小澤さん「実は5月くらいには、別の県への移住を考えていました。 能登町に住む人だけではないですが、能登で震災にあい、被害をうけた人たちは、そのほとんどが今いるまちからの移住の選択を迫られて、自分もその中の一人だったんです。実際に、このまちに移住しようかなという場所も、そこでの仕事も見つけてはいたのですが、現在のカフェ『zou』の物件が空いていることを知って、周囲の人にも、どうしようかと相談をしました。

県外に行って、普通の仕事と暮らしをするか、能登町に残ってカフェをするかの二択になって、もうさんざん考えて。その結果、残ることを決めて、物件の改装を始めたんです。」

若者たちの居場所を、この能登でつくっていく

カフェを続ける決心をした小澤さんですが、「いまだに復興には、時間がかかりそうだと感じている」と言います。

小澤さん「地元の業者も少なくて、呼ぶにしても県外に対しての要請となるので、来てもらうだけで時間がかかっていたり、一番は県庁職員と能登に住んでいる人たちの意識に大きな差異もありそうです。

金沢に住んでいる人たちにとっては、能登半島で起こった今回の地震は、それほど自分ごとではない人もいるのではないかと思うんです。奥能登とは違って、まちとしての機能をすぐに取り戻していますしね。今はもう、普通に暮らしている人が多いと思います。

奥能登の人たちは、3〜4ヶ月もの間、お風呂に入れない日々が続いていました。まだ上下水道の復旧率も低いことや、水という生きていくために必要なものに不自由であることがどんなに大変なことなのかを体感してもらうのは、難しいと思うんです。それでも、最近では国と町役場が連携して、徐々にではありますが、暮らしが戻ってきている印象ですね。」

一番被害の大きかった土地と、被害が少なかった土地では、確かに復旧にかかる時間も異なります。被災地と周辺地域の温度差、行政と住民の認識のずれなど、そこに暮らしていなければ本当の意味で理解できないような難しさがあるのだと感じました。

小澤さん「明るい兆しとしては、最近は、結構若い人を多く見かけるようになってきたことです。それで、カフェ『zou』を起点に、若者たちの居場所をつくりたいと思っています。

能登町は高齢者率が高くて、商業施設にしても公共の施設にしても、そのほとんどが高齢者向けになっているので、このカフェの存在が若い世代にとって救いになるよう、若者が集まることのできる場所になるように企みをつくっていきたいと考えています。

近くに美術館や映画館があるわけではないですしね、この『zou』を介して、アートにも触れてもらえたらと思うんです。」

ところで、店舗名の「zou」にはどんな由来があるのでしょうか。

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小澤さん「長野県の白馬村に、『zou』というお店があったんです。オーストラリア人が経営しているお店で、スタッフも海外の方でした。どこか惹かれていて。日本人はなかなか思いつかないネーミングですよね。そして、カレーを出しているので、インドの象も掛け合わせて。最終的には、なんとなく語感がいいなと思って、雰囲気で決めました(笑)。」

今後は、「店舗名にちなんだ、さまざまな企画を発信していきたい」と話します。

小澤さん「現在は、自分が撮影した写真を展示していますが、映像の「像」だったり、『zou』という店舗名にちなんで贈呈の「贈」で、贈り物のイベントなどをしていきたいと考えています。」

a669e88d-2f7e-4bff-a286-9444fd0381ab写真撮影:小澤弘壮

小澤さんは、いざ田舎に暮らしてみると、それまでもっていたイメージは違った、と話していました。例えば、祭りが盛んであるということ。能登町では、宇出津八坂神社の祭り「あばれ祭」や、的に当たった矢の数で、1年の豊凶を占う日桂神社の神事「弓引き祭り」などがあります。「弓引き祭り」は、今年は残念ながら中止になってしまったけれど、小澤さんはそうした祭りに参加しているのだそうです。

被災地で、カフェを続けていくということ。みんなで、被災した事実と痛みを乗り越えていくということ。移住してカフェをオープンした小澤さんが、復興のために企てていくことに、ぜひ注目してもらえたらと思います。

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文・写真 山口直人

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