高知県日高村は、高知市内から車や電車で、30分ほどの距離にある自然豊かな村。日本一透明度が高いことで知られる仁淀川(によどがわ)が流れる人口約4,700人の小さな村で、高齢化率も高く人口減少が続いていましたが、転入者が転出者を上回る転入超過に転じ、注目を集めています。
そんな移住者増の原動力の一つとなったのが、日高村に興味がある人と地域をつなぐプラットフォーム「いきつけいなか」です。このプラットフォームでは、移住希望者だけでなく、地域のちょっとした困りごとを手伝ってくれるボランティアなどを募集し、関係人口を増やし、結果的に移住者の増加につなげることができています。
今回は、「いきつけいなか」を運営する一般社団法人nosson代表理事の小野加央里さんに、どんな工夫があるのか、またどんな思いで運営しているのかを聞きました。
一般社団法人nosson代表理事の小野加央里さん
何かを「育む」世界で働きたい
小野さんは、名古屋で生まれて東京で就職し、会社員として充実した日々を送っていました。当時は移住も起業も考えたことはなく、地域おこし協力隊の存在すら知らなかったそうです。そんな小野さんが地域に興味を持つようになったきっかけは2011年の東日本大震災でした。
小野さん「震災当時、20代で東京で働いていましたが、震災をきっかけにいろいろ考えるようになり、消費社会を「人を幸せにしていないんじゃないか」と思うようになったんです。企業で働いて消費する社会の一部になるよりも、何かを「育む」世界で働くほうが幸せになれるんじゃないかって。
それで「消費社会」の対極にある場所ってどこだろうって考えたときに、田舎とか「地域」なんじゃないかって気がしてきたんです。でも地域について何も知らなかったので、とりあえず知識を得るために、こども食堂や無料学生支援といった地域と名のつくボランティアにいろいろと参加しました。
東京を離れて地方に行くこともあって、その中で出会った大阪のNPOの方に、日高村の「NPO法人日高わのわ会」の話を聞きました。「面白い活動をしているからボランティアに行った方がいいよ」って。それで、四国にすら行ったことなかったんですが「ボランティアに行きたいです」と連絡しました。そうしたら受け入れてくれて。
最初の滞在のときに、日高わのわ会でのお手伝いや、仁淀川でウナギやアユをとる体験をさせてもらいました。田舎のお仕事や、牧歌的な暮らしって、それまで見たことがなくて、自然の中の暮らしってこんなに人を豊かにするんだという発見がありましたし、田舎の人の都会とは全然違う価値観に圧倒されました。」
震災をきっかけに各地にボランティアに行く行動力があったからこそ、日高村に出会うことができた小野さん。圧倒された田舎の価値観とはどのようなものだったのでしょうか。
小野さん「私は名古屋でも比較的都会で生まれて、競争に勝たないといけない、社会に評価されないといけないと言われて育ちました。でも、田舎にはそれがあまりないというか、小さなところでは勝ち負けや評価はあるんですが、大きなところではいい意味で自分本位で、自分が毎日楽しければいいみたいな価値観なんですよ。
簡単に言うと“何かをしなければいけない”がない。私は“なんでこんなに社会に褒められなきゃ、認められなきゃいけないんだろう”と都会で思っていたので、その“いけない”がないところで生きている田舎の人たちが、すごくのびのびしているように見えたんです。」
日高わのわ会の活動は、「お母ちゃんたちが子育ての合間に働ける場をつくろうというもの」だそうで、そこに小野さんは地域を「育む」しくみを見出したようです。それから頻繁にボランティアに通うようになりましたが、日高村には宿泊施設がなく、高知市内に泊まって通っていたといいます。そしてそれが小野さんの次の一手のきっかけになるのです。
小野さん「宿泊施設がないのがすごく不便だったので、宿がほしいなと思ったんです。第一は私が泊まりたいんですけど、素晴らしい場所だから宿があればもっと人が来るだろうと思いました。
ちょうど、高知県のビジネスコンテストがあったので、日高わのわ会の代表の安岡千春さんと応募したら、入選したんです。村役場も、通過されてしまう村という課題があり、外からの滞在を増やしたいと思っていたようで、一緒に活動させていただく流れになりました。ただ、私は東京にいるのでどうやるかということになって、安岡さんと一緒にやりたかったので、どんな方法があるか考えたところ、地域おこし協力隊になれば、日高わのわ会で活動しながら宿の企画にも関われることを教えていただき、、協力隊になることを決意したんです。」
NPO法人日高わのわ会の安岡千春さんと小野さん
移住は、「目的」ではなく「手段」
自分が泊まる宿がほしいということろから、地域おこし協力隊として日高村に移り住むことになった小野さん。2017年から協力隊としての活動を始めます。
小野さん「協力隊としては、主に提案していた宿泊施設をプロジェクトとしてやらせていただいて、日高わのわ会の広報の活動もしていました。宿泊施設をつくるにあたっては、もともとは外からの視点で提案をしたんですが、どんな施設がいいか、地域再生協議会の大学の先生やコンサルタント、日高わのわ会の人や役場の人、地域の人たちと一緒に、議論を重ねるなかで、多様な視点に触れて、学ばせていただきました。最終的には『日高村=とまと村に集客するためにつくる』という考え方になって、1階がカフェ、2階がゲストハウスの『Eat&Stay とまとと』を2019年11月にオープンしました。」
小野さんは、地域おこし協力隊の3年の任期中に宿泊施設を企画運営するという目標を見事に達成し、同じ頃、一般社団法人nossonを協力隊の同僚と設立し、協力隊卒業後も日高村で活動していくことを決めますが、定住には迷いもあったといいます。
小野さん「協力隊としての任期中に移住イベントに参加したりしながら、いろいろな人の話を聞いて、地域の課題や悩みが見えてきて、それが糧になって、こういうサービスがあったらもっと地域と都会をつなげることができるんじゃないか、地域での挑戦が楽しくなるんじゃないか、というアイデアに結実していきました。だから『いきつけいなか』を始めることに迷いはありませんでした。
でも、本当に定住するかはすごい迷ったし考えました。協力隊の間は、実は東京にも家があったので、東京に戻る選択もありました。高知は所得も低いし、今やってることがこれから続くかもわからないし、将来のこと考えたらそれもありかなと。
ただ、自分が死ぬ時に「すごく頑張ったな」とか「面白かったな」と思える人生がいいなと思って、挑戦したほうが面白いかなと思ったんですよ。お給料は下がって、生活もギリギリだったけど、3年間やらせてもらったプロジェクトはやっぱり面白かったし、さまざまな活動を通じて、地域の面白さとか、寛大さとか、人と人との関係性のあり方とか、いろんな大きなものを体験して学ばせてもらった感じがすごくあって。
なので、そんな人たちから、もっと学びたいし、恩返ししたいし、新しい世界を見てみたい、挑戦してみたいってすごく思ったんです。それで新しいものが生まれたら自分も楽しいし、地域の課題も解決できたら、とてもやりがいがあるなと。何度も何度も考えて、その選択肢のほうが後悔ないなと思って、選びました。」
小野さんが日高村に定住すると決断した背景には、「挑戦したい」という思いに加えて、「日高村だから」という理由がありました。移住したいから移住するのではなく、日高村だから移住したいと思えたのです。
小野さん「移住って、目的ではなくて、手段ですよね。地域でこういう自分になりたい、こういうことをしたい、こういう未来を描きたいという意志を持っている人は、それにマッチする地域を選んできているから、頑張れるし、うまく流れに乗れる気がします。
私の場合は、東京にいながら半年から1年は地域に通って、いきつけたことで移住がうまくいきました。その間に、地域のいいところも悪いところも見えて、自分が合うかどうかもわかりました。自分が地域に来たらどういう暮らしになるのか、どういう人間関係になるのか、それを試せたからうまくいったんだと思います。」
地域を「いきつけ」にする
小野さんのこの地域に「いきつけた」経験が、「いきつけいなか」のサービスにつながります。自分が経験してよかったことをサービスにすれば、あとから続く人の役に立つ。この考え方は小野さんのさまざまな行動に通底するもののようです。
小野さん「私の通ってきた道をサービスにしたのが「いきつけいなか」です。自分が経験して良かったことをサービスに落とし込んでいます。移住前からこういうサービスがあったらいいのにと思っていて、協力隊をやりながらみなさんの声を聞いてプランを練りました。このサービスをつくることで、地域のもやもやや課題が少し解決するだろうと思えたので、始めることにしました。
ただ、最初は全然うまくいきませんでした。一番はコミュニケーションの取り方の違いですね。わいわい話す分には地域の人たちとコミュニケーションが取れていたんですが、ビジネスの話になったときに、コミュニケーションの取り方が東京寄りになってしまっていたんだと思います。都市部だとビジネスの話をするときは雑談5分、要件55分みたいな感じですけど、田舎は雑談99分、要件1分くらいにしないと話が進みません(笑)。
都会の感覚だと、遊びと仕事は切り替えて仕事はちゃんとやる意識があると思いますが、こっちでは遊びの部分で信用を得るのが大事で、夕方の4時くらいに飲みの誘いの電話に出なかったりしただけで、付き合いが悪いと言われたりするんです。相手のリズムに合わせることができると信用が得られるとわかってからは、うまくいくことも多くなりました。
いきつけいなかは地域とのきっかけをつくる入口で、小さなお手伝いや講座を通して日高村を行きつけにしてもらえればいいなというサービスです。移住がゴールではなく、地域を好きになってもらって、関係人口が増やすのが目的のプラットフォームになっていて、2年間で関係人口が延べ260人ほど創出されました。実際に日高村に来てもらうだけでなく、オンライン居酒屋というイベントを定期的に開催したり、東京でイベントをやったりと、さまざまなレイヤーを準備しています。」
「いきつけいなか」に掲載されている、生姜農家のお手伝い
冒頭にも書いたように、小野さんが地域おこし協力隊に赴任して以降、日高村の移住者が増えています。「もちろん、いきつけいなかだけが理由ではない」と小野さんはいいますが、いま約20人いる地域おこし協力隊のうち、約7割が「いきつけいなか」をきっかけに協力隊になったそうです。
地域おこし協力隊の定着も関係人口で
小野さんが代表を務めるnossonでは、「いきつけいなか」で関係人口や地域おこし協力隊を増やす以外にもさまざまな活動を行っています。その一つが、地域おこし協力隊の定着を助ける活動です。
小野さん「定住人口を増やして地域が元気になるための取り組みとして、地域おこし協力隊員がビジネスを起こすサポートもしています。地域で飲食店をやりたい、クラフトビールをつくりたい、畑でとれた野菜で生計を立てたいなど、いろいろな希望を持っています。それが実現すれば地域に小商いが生まれて、地域が元気になる。
そのために、日高村独自の「スーパー関係人口創出メンター制度(スパ関制度)」を始めました。関係人口のなかにマーケティングのプロフェッショナルの人がいたりするので、その人たちに応援団になってもらって、ビジネスの壁打ちをしてもらうという制度です。」
コミュニティマーケティングのプロ小島さんによる「スパ関制度」の壁打ち講座
小野さん「例えば、林業をやりたいと考えている小川さんという人がいるんですが、山はたくさんあっても誰の山か、持ち主がわからないという課題があります。じゃあどうしたらいいかというと、林業をやりたいことが口コミで山の持ち主に伝わって、自分の土地を管理してもらおうと思えばいいということになった。そのためにはまず、村民のだれから最初に依頼をもらえば、それが口コミで広がって、依頼の連鎖が生まれるのか。ファーストピンとしてだれを最初に倒せば、村内に口コミ連鎖が生まれるのかみんなで考えました。またハードルは低くしたほうがいいので、まずは雑草を刈るという身近なお手伝いに設定。それをきっかけに、木を切るのもお願いしようかなという流れになれば、山を任せてもらうこともできるのではないか。そういった実行アイデアを、壁打ちして考えていくんです。
みんなで考えて、『実行レベル』まで落とすのが壁打ち講座の特徴です。勉強会後、次、何に取り組まないといけないのかのアクションが明確になります。
これは私が自分がビジネスやろうと思った時に相談する人がいなかったことから発想しました。会社では相談できる先輩がいたけど、一人でビジネスをやろうとすると似たような視点で考えてくれる人がいない。プロの視点で相談できる人がいたら、自分のビジネスがもっとうまくいくのにと思っていたんです。それで、『いきつけいなか』の考え方と似ているんですが、私が欲しかった環境を用意すれば、移住して起業しようとしている人の悩みを解決できるのではないかと思いました。しかもそれを外部に頼むのではなく、関係人口のなかでやれば、より良い循環が生まれるのはないかと思ったんです。
充分なスキルがあって地域に貢献したいっていう優しい人が、たくさんいるんですよ。そういう人たちと手を組みながら、地域を活性化していけたらなと思って。」
自分たちのことは自分たちでできる、そんな地域を増やしたい
自分の経験をもとに「いきつけいなか」をスタートさせて日高村の関係人口を増やし、苦労した経験をもとに「スパ関制度」を立ち上げて地域の困りごとを解決した小野さん。これからやろうとしているのは、日高村の経験をもとに他の地域の困りごとも解決していくことだそうです。
小野さん「いま企画している『いきつけファン』は、関係人口とふるさと納税を連携させてCRM(顧客関係管理)によってファンを資産化して活用していこうというプラットフォームで、他の地域にも展開していきたいと思っています。
日高村では「いきつけいなか」がある程度成功して、関係人口が増えました。でも、もう一つの関係人口の入り口であるふるさと納税は、外部のプラットフォームを使っていたので、顧客データをふるさと納税以外で活用できませんでした。そこで独自サイトをつくって、顧客データを集めていきつけいなかと連携させ、そこにCRMの発想を入れればもっと関係人口は伸びるし、ファンを資産化できると考えました。企業が当たり前に使っているCRMを自治体が使えないのはもったいないなと。
そんなことを考えていたときにちょうど、シナジーマーケティングという会社とご縁をいただき、一緒にやろうということになりました。」
日高村で成功例をつくり、それを他地域にも展開していくわけですが、単にノウハウを提供するだけではないと言います。そこには地域ならではのビジネスの難しさがありました。
小野さん「地域がこれから必要なものは日高村も必要だし、日高村に必要だったものはみんなが必要だと思うので、その必要なものを提供できるようにして、それに賛同してくださる地域があれば一緒にやりませんか、という感じです。
というのも、一般的にビジネスとして成り立つには人件費の3倍の売り上げが必要と言いますが、そんなことを言ったら地域では何もできません。ここ数年でいろんな企業が地域に参入してきますが、民間のように稼げるサービスをつくるのは難しい。だから諦めて撤退していく企業も多い。どちらかというと、収益をあげるというより、一緒に取り組む仲間を増やすという考え方です。必要としている地域と一緒に取り組みながら、その地域が自分たちのことを自分たちでできるようになることを目指したいと思っています。」
この「自分たちのことを自分たちでできるようになる」こそが、いま小野さんとnossonが目指す地域の未来の姿だと言います。
小野さん「そのために、日高村で今やっている関係人口を創出する動き、移住者を募集する動き、そして彼らが地域と本当の関わりをつくれるようにコネクトする動きを継続しながら、関係人口になってくださった方のコミュニティ、 移住してくれた人の移住コミュニティを築いて、そのコミュニティとコミュニティを意味ある形で繋いでいきます。今はスパ関制度がその役割を果たしてくれています。
スパ関は、協力隊のビジネスがうまくいけば地域活性につながるし、関係人口の方たちは必要とされることが嬉しい、自分のメソッドが地域に役立って嬉しいと感じてくれていて、いい関係を築くことができています。
今後は、そこにCRMの考え方を導入して、ビジネスとしてうまく循環するようにし、日高村モデルを他の地域に広げていきたいと思います。
その際に、関係人口の取り合いにならないように、関係人口コミュニティをシェアしたいと思っています。これからさらに少子高齢化が加速するので、お互いに人材をシェアしながら、その人材の力を借りて地域を活性する必要があると思います。コミュニティのネットワークを横に横に広げていってどんどん繋いでいくことで、可能になるはずです。」
自分の経験をもとに他の人たちのためになるさまざまなサービスを展開し、日高村の地域活性に取り組んできた小野さん。さらにそれを他の地域へと広げさらに多くの人たちがその恩恵を受けられるようにしたいと考えています。そんな大きな夢を描く原点には、日高村に初めてきた時に感じた、地域の人たちの暮らしの豊かさがあるのではないでしょうか。
小野さんが目指す社会は、モノを消費するのではなくシェアする社会であり、そのような社会は地域からこそ生まれてくのではないかと感じました。
文 石村研二
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