便利さよりも大事なのは、人の温かさ。世界遺産の島、徳之島・天城町に移住した夫婦にみる、ものから心へのシフトチェンジ

便利さよりも大事なのは、人の温かさ。世界遺産の島、徳之島・天城町に移住した夫婦にみる、ものから心へのシフトチェンジ

奄美大島と沖縄の間にネックレスのように連なる奄美群島の中で、2番目に大きな徳之島。飛行機なら鹿児島空港で乗り継ぎ、1時間ほどで到着する離島です。島の中央部を南北に走る山岳部にアマミノクロウサギをはじめとする固有種や絶滅危惧種が生息する徳之島は、2021年に奄美大島や沖縄島北部、西表島とともにユネスコの世界自然遺産に登録されました。

徳之島は行政区画としては鹿児島県に属し、3つの自治体に分かれます。そのうちの西側半分を占める天城町に2023年2月、三重県から移住してきたのが長谷川ライトさん、ユキさんご夫婦です。ふたりが天城町に移住するまでの道のりについて、取材しました。

ファッション道から商社勤務を経て、移住へ

長谷川ライトさんの原風景は、子どもの頃に遊びに行った田舎のおばあちゃんち。

ライトさん「信号もないような、店もないような山の中で、きれいな透き通った川が近くにありました。いつか住めたらいいなと漠然と思いながら、ずっと付き合ってきたユキに『田舎に行きたい』と、いつも話していました。でも心の中では、名古屋で生まれ育った自分に田舎暮らしは難しいだろうとも思っていました。」

2023_0612_209長谷川ライトさん

持っていたスニーカーは50足以上。ファッションが好きでモノへのこだわりが強かったライトさんは、大学を出た後に専門学校でデザインを学びました。自身のブランドを立ち上げ、デザインした帽子やTシャツを名古屋や渋谷のセレクトショップで販売していたこともあるそうです。

ライトさん「僕はつくる技術を持っていなかったので、PC上でデザインしたものを職人さんに形にしてもらい、店に卸していました。ただし、それはお世話になった職人さん等とは違って、僕は遊びの延長のような状態で、ちゃんと仕事にしきれていなかったです。」

夜はクラブで朝方まで遊ぶ刺激的な毎日。ファッションと音楽に明け暮れる生活を3年間続けた後、ライトさんは名古屋で100年以上続く産業機器の商社に入社します。

ライトさん「そろそろちゃんと生きていくことを考えないと、と思って商社に入ったんですよ。いい会社でしたが、だんだん物足りなくなってきて、一生この仕事で終わっていいのかなと考えるようになりました。」

脳裏をよぎるのは、子どもの頃に遊びに行ったおばあちゃんちの風景。潜在的に「田舎に住みたい」という思いがあった中で、先輩が地方に移住したことを知りました。

ライトさん「移住は難しいのかなと思っていましたが、実際そういう選択をする人がいるんだなと刺激を受けました。それが10年くらい前のことですね。」

都会志向から自然志向へ

一方、パートナーのユキさんは、三重県桑名で創業55年の純喫茶店を営む両親のもと、コーヒーの香りに包まれて育ちました。

2023_0612_206長谷川ユキさん

ユキさん「名古屋で暮らすようになってからも、コーヒースタンドで働いていて、週末は、野外フェスなどのイベントに出店で入り、そこにライちゃんや友人が遊びに来ていました。」

ライトさんと付き合い始めた20代前半は、都会志向が強く、「田舎暮らしは無理」と思っていたユキさん。しかし、ふたりで自然の中に出かけていくうちに、心境に変化が。

ユキさん「自然の中で遊んでいるときのほうが自分らしくいられるなと思えたんです。結婚前に1年半留学していたロンドンで、郊外の自然やそこに住む人たちと触れ合った経験も大きいです。そんなに都会にこだわらなくてもいいなと自然と思えたんですよ。」

移住に踏み切れたのは、新型コロナウイルス感染症の影響で行動制限が起こったことや、桑名へ戻ってからは実家の喫茶店を手伝ったり、友人との関わり方が変化したことも大きかったと言います。

ユキさん「どこに住んでいようと、会いたい人には会えるし、自分たちも会いに行けるなら、どこでもいいなって。」

そこで、ユキさんはメインで切り盛りしている実家の喫茶店を、飲食関係の仕事をしている弟さんに引き継いでもらえるよう家族会議を開きました。そして、移住したい意思を家族に伝え、明確なステップとしたのでした。

便利な島よりも「遠くの離島」を選んだ理由

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ユキさんから田舎暮らしへの承諾を得て、ライトさんは移住スカウトサービス「SMOUT」を利用して移住先を探しました。

ライトさん「移住雑誌を買って読んだり、ネットで調べたりする中で、『SMOUT』も見ていました。移住した人の話を読んだり、地方のいろんな募集情報を見ていましたね。移住することが決定してからは、登録をして本格的に探し始めました。」

移住先選びは消去法的に進んでいきました。寒さが苦手で南国好きなユキさんの要望で、西日本の瀬戸内海側と太平洋側、南九州に絞られ、最終的に瀬戸内海にある岩城島と徳之島(天城町)という2つの島に絞り込まれました。

「SMOUT」を通じてそれぞれの地域に申し込みをし、移住担当者とオンライン面談をしたのが、2021年の11月上旬。翌年1月にはそれぞれの島に2人で下見に行きました。その結果、移住先に決まったのは、直線距離にして1,000km以上も離れた離島の徳之島天城町でした。2人はなぜ、天城町に決めたのでしょうか。

ユキさんは、岩城島と徳之島(天城町)には、まったく違う良さがあったと言います。

ユキさん「岩城島は、とにかく便利なんですよ。高速道路に乗れば、すぐに大都市の広島市に行けるし、関西にも行けます。自然の中で暮らせるけど、都会的な暮らしも変えずに生活できる良さがありました。」

ライトさん「フェリーに乗ってもたった5分で着きますしね。車ごと乗れば、美術館や映画館には全然行けるんですよ。」

ユキさん「そういうところに行くのが好きだったんです。でもそういうことではないなと、天城町に下見に来て思ったんですね。」

いったい何が決め手になったのかというと……?

ユキさん「やっぱり人ですかね。まず、移住担当の(小林)美晴さんがとにかく熱心で、その熱量が伝わってきました。素敵な場所を案内してくれるし、お話にも引き込まれて、住みたいと思わせてくれました。また、役場の方や農業センターの方、島でお店を出されている方など、住民の方にも合わせていただいたんですが、みなさんすごく温かくて。」

2023_0611_033小林美晴さん(左から2番目)は大阪出身で、地域おこし協力隊を経て移住したひとり。取材時も、なかなか入ることのできない地域のお祭りに連れていってくれた

ライトさん「せっかく来たからと、住宅物件を何軒か見せてもらったときに、どちらの大家さんも『うちに決めなくていいから、徳之島きてね。いいとこよ』と言われたことも印象的でした。」

ユキさん「なかなか言えない言葉だなと。家賃も、岩城島の方がずいぶん安かったのですが、便利さでも家賃の安さでもないところで、心が動かされたんですね。」

ライトさん「制度的なところで言えば、天城町は農業センターが完備されていて、就農までサポート体制が整っていることもよかったです。また、農業センターの職員の方々の柔軟な姿勢に心を惹かれ、『ここがいい』って、思ったんですよ。

先日も、地域の住民で草刈りの仕事をしているときに、昼休憩で、70歳を超えた区長が草の横で寝そべりながらみんなと喋っているとかね。」

ユキさん「ちゃんとみなさん働いているんだけど、リズムがゆるいというか、のんびりしているんですよ。」

2023_0611_127夕方、海岸付近を闘牛用の牛が散歩する光景に遭遇。生き物との距離の近さを実感

徳之島には、ある意味本土では失われてしまった「ゆるさ」が残されていると、直感的に感じ取ったライトさんとユキさん。2人にとって、便利さや経済よりも、島に流れるゆるやかな時間やおおらかさ、人の温かさの方が魅力的だったのです。2人は下見から帰ってきてもすぐに判断せずに、1ヶ月間考える時間を持ちましたが、最終的に思いは変わらなかったため、天城町に移住することを決めました。

デザイナーズ住宅へ、いざコンテナ引越し

移住を決めた後は住宅探し。天城町には不動産を扱う業者はないため、空き家バンクで出た物件を探していましたが、空き家が出たとしてもすぐに借り手が決まってしまう状態だったと言います。

ライトさん「1月末〜2月には引っ越したいと思っていたのに、なかなか家が見つからず、焦っていたんですよ。すると、移住担当の美晴さんから連絡が入り、新築の長屋住宅が立つので、公募に申し込みませんかって。内見もしないで速攻応募したら通ったんです(笑)。」

蓋を開けてみると、その町営住宅とは、天然記念物のアマミノクロウサギの生息地である自然豊かな当部集落に、奄美大島出身の建築家山下保博さんが設計したモダンな二軒長屋。ファッションと自然が好きなふたりの感性にぴったりの最高の物件でした。

2023_0612_262長谷川夫婦が住まう二軒長屋の町営住宅

住む家も決まり、次はいよいよ引越しです。離島への引越しは、積載量が限られた貨物のコンテナで行うため、まずは持ち物を整理するところから始まりました。

ライトさん「業者の人が積載量を少なく見積もってくるので、ずいぶんものを捨てました。いざ積み込んだら、結構コンテナに余裕があったので拍子抜けしましたが、住宅に入れてみたら、この量でよかったと思いました。」

天城町の引越し費用補助金も利用し、ふたりは天城町当部集落の住人になりました。

絶滅危惧種との共生から始まった移住生活

希少生物が生息する徳之島では、例えば道路にウサギのマークがある場所では、夜間になると車の減速が基本など、野生動物に配慮した暮らし方が求められます。

特に、長谷川夫妻が移住した当部集落は、世界自然遺産登録区域の外側にある緩衝地帯に隣接した山あいの地。取材で訪れた際も、庭先には当たり前のように、天然記念物のアマミノクロウサギのフンが転がっていました。

2023_0612_174コロコロとした黒っぽいものがアマミノクロウサギのフン

ライトさん「アマミノクロウサギは毎晩のように出るんですけど、ある夜、外からガリガリかじる音が聞こえてきて、何がいるんだろうと恐々見てみたら、ウサギでした。歯をとぐ習性があるみたいです。触れてはいけないのでそのままにしていますが柱が心配です(笑)。」

どうやら当部集落の日常は、絶滅危惧種との共生が基本のよう。

ライトさん「先日も家に入ろうとしたら、オビトカゲモドキというヤモリのひとまわり大きいやつが扉に張り付いていて、驚きました。トイレの窓からはアマミヤマシギが飛んでいるのを見たし、ケナガネズミもよく見かけますし、普通に1日4種類は絶滅危惧種を見ますよ。」

ユキさん「毎日がそんな感じで面白いし、新しいですね。『何これ?』みたいな、想像を超えてくる感じです。」

平均年齢70歳越えの集落で、孫的に暮らす

想像を超える出会いは、集落の人づき合いの中にもあります。当部集落は、天城町の中でも70歳を超える高齢者の多い地域。長谷川夫婦が地域に溶け込むために始めたことは、散歩でした。

ライトさん「歩いていると、だいたいどなたかに会うので、挨拶をすると、みなさん畑をやっているので、野菜をくれるんですよ。『食べるか?』『これ持ってけ』って。」

ユキさん「それが何回か続くと、朝、玄関の前にどなたかが野菜を置いてくださるようになりました。ポストに入っていることもあって、誰からなのかわからないんです。さすがに今は、ピンポンを押していただけるようになりました(笑)。」

2023_0612_226近所の方からいただいたというカボチャやパッションフルーツ

移住してしばらくすると、新たに町営住宅に入居した長谷川夫婦を含む2世帯家族を迎えるための歓迎会が開かれたそう。地域の公民館で開かれた歓迎会は、食事だけではなく、歌あり踊りありの南国らしい明るい宴の席。

ライトさん「87歳のおじいちゃんが刀をさしてステージ上に現れて、オリジナリティ溢れる出し物を披露してくれるんですよ。」

ユキさん「どうやら、コロナでずっと地域の集まりができなくて、久しぶりにみんなで集まれる機会でもあったらしく、おじいちゃんたちも嬉しくて、テンションが上がっているんですよね。みているだけで、最高に幸せな気持ちになれます。」

取材に同行された天城町役場企画財政課ふるさと創生室の基久依さんの話によると、農業が盛んな天城町では、みんなで公民館に集まり食事や余興を楽しむ豊年祭などの農耕行事が今も続いているのだとか。集落全体で集まる場があるということ自体、都市部ではなかなかないことですね。

2023_0612_230いただいたニンジンでつくったというユキさんお手製のキャロットケーキと名古屋仕込みの濃厚なコーヒー。いずれも美味

こうして、長谷川夫婦は当部集落の一員に迎えられ、島の暮らしに馴染んでいきました。いただいた野菜のお返しにと、ユキさんがケーキを焼いて、お世話になった方に持っていくなど、今では普通に集落の方のお宅に遊びに行くような関係性が築けているそうです。

ユキさん「ケーキを持っていくと、すごく喜んでくださるんですよ。こちらとしてもうれしくて。勝手に孫になったつもりでいます。」

DIYが根付いた島で、「つくりたい」気持ちが高まって

助け合いが基本の島暮らし。都市部では除草作業や道路をつくるのは自治体から委託された専門業者の仕事ですが、徳之島ではそれらは集落仕事として、住民主体で行われます。

ライトさん「それこそセメントを混ぜて道路をつくるのも住民たちでやるんですよ。見様見真似でやっていて、怒られたりすることもありますが、でもそうやって道路まで自分たちでつくれるのは逆に面白いです。周りからも土木はできたほうがいいって言われるし、自分でもできたほうがいいなって思えます。それって生きる力だと思うから。」

なんでも自分たちでつくるDIYな島の暮らしに触れて、ライトさんの中ではやりたいことが明確になってきている様子。かねてから興味のあった養蜂業を学ぶために、天城町の養蜂家のもとに通い、さらには天城町の農業研修生受入事業制度を利用して9月始まりの農業研修に応募し、今後面接や試験を控えています。

ライトさん「ファッションをやっていたときに、いちからつくれないことが課題だと思っていたので、この環境を得て、今すごくつくりたい気持ちが高まっているんですよ。つくることを通して、より強くなりたいし、つくっていけば自然とそうなるんじゃないかと思っています。」

2023_0611_111天城町農業センター。研修終了後はハウスを無償で借りられるなど、新規就農者へのサポート体制も厚い

また、農業や養蜂業を学ぶ傍ら、帽子づくりも再開しました。

ライトさん「ひとつの働き方に限らず、いろいろ働いていくようなスタイルが面白いなと思っているんですね。たとえば、徳之島が暑いので、暑いときに特化した夏向けのキャップをつくって、ネットで販売しようと思っています。農業や養蜂業が軌道にのったら、加工品をつくって、帽子×養蜂、帽子×農業という組み合わせで島外に売れるものをつくりたいですね。」

2023_0612_241ライトさんがデザインしたキャップの「サンプル」。さらりとした生地感とくしゃくしゃにしてポケットに突っ込めるやわらかさが特徴

一方で、ユキさんは、偶然にも現在住んでいる住宅を建築した山下保博さんが運営する奄美イノベーションで働き口を得て、古民家をリノベーションした宿泊施設や今夏、天城町にオープンしたカフェでスタッフとして働いています。

ユキさん「もし、何年後かに自分でお店を持っても、当部から外に動いていけるような形をつくれたらいいなと思います。ここの暮らしは穏やかな気持ちになるので、当部にいたい。心豊かに、暮らしていたいと思うんです。」

2023_0612_296住宅の裏手にある立派な板根を持つオキナワウラジロガシの大木。ここを散歩するだけで気持ちが浄化されると、ユキさん

便利さや経済的な安定よりも、本質的な心の豊かさを求めた先にあった天城町という新天地。絶滅危惧種が生息するありのままの自然とそれに負けないくらい素朴な人々の優しさに触れて、長谷川夫婦は積極的に心を開いていきました。それも、散歩をする、会話する、面白がるというシンプルなアクションで。天城町の土地柄とふたりの人柄の相乗効果でしょうか。難しいことは抜きにして、「移住っていいな」と心底思いました。

島暮らしに憧れがあるなら、ぜひ徳之島へ足を運んでみてほしいです。

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文 草刈朋子
写真 廣川慶明