鹿児島空港から車で約1時間。鹿児島県の東南部にある大崎町は、12年連続でごみのリサイクル率が全国1位のまちとして知られています。
大崎町では、生ごみを分別回収して堆肥化するだけでなく、資源ごみを売却して得た利益を町民に還元しているのだとか。大崎町の現在のリサイクル率は83.1%(2018年度実績)。人口は約12,000人、農業が主幹産業というまちで、一体何が起こっているのでしょうか。
環境省によると、現在ごみの処理にかかる経費はおよそ2兆円(2019年3月時点)。ごみ処理に税金が使われることはもちろんですが、この経費は、行政にとっても大きな課題です。そこで大崎町のごみのリサイクルの取り組みについて、大崎町役場 住民環境課の松元昭二さんに聞きました。
「混ぜればごみ、分ければ資源」
まずは、大崎町で実際に行われているごみのリサイクルについて、詳しく見ていきましょう。
大崎町では現在、「混ぜればごみ、分ければ資源」をキャッチコピーに、各家庭でごみを27品目に分別。生ごみや草木は分別回収されて、大崎町の資源ごみのリサイクルを行う「有限会社そおリサイクルセンター」の関連施設である「大崎有機工場」へと運ばれます。
ごみの収集所に集められた生ごみは回収され、大崎有機工場へと運ばれる
大崎有機工場で堆肥づくりを行う職員さん
生ごみが入れられた容器を水で洗浄すると汚水が出てしまうため、上の写真のように、おがくずで容器を拭いて掃除をし、汚水が出ないようにしていました。そしてこのおがくずも、草木や生ごみに混ぜて堆肥に。ここでもごみが出ないしくみになっていることに驚きました。
生ごみが投入される破砕機
草木はチップにし、生ごみも破砕機で粗破砕します。この破砕機は、焼酎づくりでサツマイモを破砕するための機械を使っているのだそう。周囲に自生しているというよもぎの葉から乳酸菌を抽出し生ごみを消臭します。これらの草木と生ごみを重量比で1:1の割合で混ぜて、ピットと呼ばれる保管場で土地に棲みついている土着菌の力で発酵することにより、生ごみ成分を分解します。
大崎有機工場内の保管場
そして、保管場に運ばれた草木と生ごみは、週に一回切り返し(攪拌)をして水と空気を与えます。菌がえさ(生ごみ)を食べる、その活動する熱で、温度は80°C以上にもなっていました。
堆肥から湯気がのぼります
菌に水と空気を与えること、約4ヶ月。草木と生ごみの重量は約1/10になって、完熟堆肥となります。大崎有機工場で堆肥づくりを行う職員さんは、土着菌の活動(発酵)を見守る役割から「生きもの係」と呼ばれているのだとか。
この完熟堆肥を、「おかえり環ちゃん」として町内で販売。当初、牛ふん堆肥などが一般的に使われるなかで、生ごみの堆肥はなかなか受け入れられなかったのだそう。そこでリサイクルセンターが独自に農業法人をつくり、この「おかえり環ちゃん」で畑を耕して有機野菜をつくったのだとか。今では町民からの支持を得て、有機工場へ軽トラで買い付けにくる人もいるのだそうです。
完全完熟堆肥として販売されている「おかえり環ちゃん」
大崎町では、重量比で見たときに生ごみと草木でごみの60%を占めていることから、ごみの減量化への第一歩として生ごみを分別する事の大切さを国内外へ伝えているそうです。
ここまでの話は、大崎町での生ごみのリサイクルですが、大崎町で回収されたプラスチック、缶・びんなどの資源ごみは、中間処理施設「有限会社そおリサイクルセンター」へ運ばれます。
検品、圧縮をしてリサイクル業者へ販売するのですが、大崎町では住民のみなさんがきちんと洗って分別してくれるので、資源ごみとしての評価が高く、高値で売れるのだとか。さらに廃食油は、ごみ収集車の燃料として再生しています。
中間処理施設「そおリサイクルセンター」
圧縮されたペットボトル
ちなみに、この「有限会社そおリサイクルセンター」では、40人程度の雇用が生まれたのだそう。人口約12,000人のまちで40人の雇用が生まれるというのは、なかなか大きなインパクトです。
これらの施策の結果、ごみのリサイクル率は全国平均が19.9%のところ、大崎町では83.1%を達成(2018年度)。そして、1人当たりごみ処理事業経費は全国平均が16,400円のところ、大崎町では10,500円に(2018年度)。そしてさらに、資源ごみの売却利益を、学生のための奨学金などで町民に還元しています。
「大崎町リサイクル未来創生奨学金制度」は、大学・専門学校などを卒業後、10年以内に大崎町に戻ってくれば、借りたお金の一部を大崎町が支払ってくれるというしくみ
ごみ焼却炉をつくるのではなく、リサイクルすることを選択した
こうした大崎町でのごみのリサイクルのしくみは、いつから、どのように始まったのでしょうか。
大崎町役場 住民環境課の松元昭二さん
松元さん「大崎町にはもともと、ごみの焼却炉がなかったんです。ごみは全て、埋立処分場に運ばれていました。ところが埋立処分場の残余年数がひっ迫して、大きな選択を迫られたんですね。焼却炉を建設するか、あらたな埋立処分場を建設するか、既存の埋立処分場を延命化するか。」
選択肢は3つ。1つめの選択肢となる焼却炉の建設は、建設費と維持費が膨大にかかるという問題があります。焼却炉の建設には、当時の規模で約40億円かかることに加えて、維持管理費として毎年1.5億円程度かかるという試算でした。
松元さん「当時、収集運搬から埋立処分場で処分するのに年間9,000万円くらいのコストだったのに、維持費だけで毎年1.5億円もかかる。しかも収集運搬は別ですよ。建設費は国から補助が出たとしても、維持費はまちが負担していくわけです。高額な維持管理コストが次世代にとって大きな負担になってしまうことから、焼却炉をつくることをあきらめたんですね。日本は、自治体ごとに焼却炉をもっているような状況です。でも、大崎町はそれを選択しなかった。次に考えたのはあらたな埋立処分場の建設ですが、これは住民の理解を得るのが難しくて。」
リサイクルを本格的にする前の埋立処分場は、カラスとハエの大群が飛び交う、“迷惑施設”だったのだそう。匂いもひどく、埋立処分場に行ったら、着替えないとご飯が食べれないほどの匂いが洋服についていたのだとか。
大崎町と隣の志布志市(旧有明町・志布志町)が運営している、ごみの埋立処分場。現在の埋立処分場は、生ごみが含まれていないことから匂いもなし。この埋立処分場に持ち込まれるごみの量が減ったことで、重機や人件費が大幅に削減。その費用をリサイクルの委託費用に回している
松元さん「まだ埋め終わらないのに、もう一つここに迷惑施設をつくりましょうなんて言っても、誰がOKするでしょうか。それで、選択肢の3つめである、既存の埋立処分場の延命化に舵を切ったんです。」
大崎町が「ごみのリサイクル」を始めたのは、1998年のこと。ちょうど容器包装リサイクル法の本格施行後で、リサイクルという考え方が少しずつ広がり始めていました。ごみを分別し、リサイクルができれば埋立処分場に運び込まれるごみの量は減るはずだと、住民と行政、企業が一緒になって「大崎リサイクルシステム」を確立していきます。
大崎町で配布されている「家庭ごみの正しい分け方と正しい出し方」ポスター
住民はごみをきれいに分別し、ごみステーションで種類ごとに出します。行政は、分別品目を決めたり、ごみ出し日や時間、場所、収集ルートの決定や収集したごみの処分先の確保を、そして地域リーダーの指導や環境学習会の開催を。企業は、行政の委託によってごみを回収し、リサイクル検査後は商品として出荷します。
集落のごみステーションの様子
松元さん「選択肢は行政が提示しましたけど、行政主導ではなく、選択をしたのは住民のみなさんです。そこが大きなポイントですね。大崎町には、約150の集落を中心に構成される大崎町衛生自治会があって、このリサイクルシステム全体を衛生自治会が担っています。埋立処分場についての当時の課題も、衛生自治会と協議しました。町民のみなさんが分別をしてくれないことには、またごみは埋立処分場へ向かってしまうわけです。衛生自治会では、どこまでなら住民の皆さんに分別してもらえるかという考え方で、行政のごみ出しのルールづくりに協力していきました。」
ごみのステーションごとに自治会が編成されている大崎町では、住民が各自治会に登録をする仕組みになっていて、ごみ出しの時間帯などはそれぞれの自治会が独自のルールを設けているのだとか。
松元さん「分別をはじめるとき、大崎町は約150の地域で、約450回の説明会を行ったんですよ。こんな分別になりますよというアナウンスと、具体的な説明や質疑応答の機会をもうけたのと、最終的にこうなりますというご報告と。普通は、勤務時間内で調整すると思うんですが、いつなら住民のみなさんが集まれますか?と聞いて。土日だろうが夜だろうが、朝6時半であろうが、住民の皆さんが一番集まれる日にしないと意味がないからと、ご都合を聞いて説明会を実施したそうです。それから、役場の全職員が集められて、住民のみなさんに何か聞かれても答えられるようにと、研修会が始まって。」
資源ごみの回収の日は、ごみステーションに役場職員も張り付きで、住民のみなさんと一緒にごみの分別をしました。住民のみなさんの要望を聞いたり、質問に答えたり。
松元さん「ごみって、何が出てくるかわからないんですよ。これは何ゴミ?と聞かれたら、プラで出しておいてください、とかね。答えられなかったら、持ち帰って担当課に確認して。そうやってルールを確立していった。「役場の人も大変やね、でも私たちも分別を頑張るよ」って言われたりして。ごみ処理という行政の課題を、住民が自分ごととして捉えてくれたことは大きいですね。」
2015年度、大崎町衛生自治会は、循環型社会形成推進功労者として「環境大臣賞」を受賞。資源リサイクル率日本一の原動力として、大崎町役場ではなく、大崎町衛生自治会の取り組みとして賞を受けたことは、衛生自治会がどのように機能しているかを象徴しているように見えます。
今では、子どもたちに「リサイクルって何?」と聞くと、「ごみを捨てること」と答えが返ってくるそう。間違っているけど、大崎町では正しいんです、と松元さんは言います。
松元さん「大崎町の給食では、牛乳パックにストローの穴はありますがストローは付いていません。ごみになってしまうことから、地元企業に付けないようお願いをしたんです。これからは企業と連携して、入口のところからしくみを変えていくことが必要ですね。他にも、企業と一緒におむつを分別回収してリサイクルをする実証実験を始めました。」
大崎町で実証実験が進められている、紙おむつ専用回収ボックス
じつは、埋立処分場に向かうごみの約1/3は紙おむつ。あと1/3はゴム製品や肌着、ガラスなどの埋立処分場に持ち込まれるべき一般ごみで、残りの1/3は、資源化できるプラスチックごみなどがきちんと分別されずに混入したもの。ごみの分別を正しく行うことで埋立処分場へ運ばれるごみを減らすことはもちろんですが、まだまだできることはある、と松元さんは話します。
松元さん「一般ごみに含まれるティッシュや肌着は、圧縮してプラスチック成分を混ぜることでRPFという固形燃料にすることができます。埋立処分場に搬入されたものからRPFの原料になるものを分別できれば、住民に負担なく処分場の延命化が図れます。こうした、今進めていることがうまくいけば、リサイクル率を95%くらいまでもっていけるかもしれません。」
住民がごみを分別して、生ごみは堆肥化をする。このような取り組みの結果、大崎町の埋立処分場は「あと数年しかもたない」ところから、「あと35〜45年は大丈夫」という状況まで回復。
さらに、大崎町と同じようにごみの埋立処分場の残余年数がひっ迫し、国として焼却炉を十分に建設できる経済状態ではないインドネシアにごみの減量化技術を教え、ごみの資源化で埋立処分場の減量化に挑戦しています。
リサイクルに舵を切ってから、約20年。今や大崎町のごみのリサイクルシステムは、日本国内のみならず、世界からも注目を集めているのです。
リサイクルのまちから、世界の未来をつくるまちへ
こうした取り組みから、大崎町は、2018年12月に「第2回ジャパンSDGsアワード 内閣官房長官賞」を受賞。翌2019年1月には、大崎町SDGs推進宣言をします。さらに2019年度には、「SDGs未来都市」「自治体SDGsモデル事業」に選定されますが、まだまだリサイクルの歩みを止めません。
大崎町は、2030年のSDGs目標として、SDGs目標12に掲げられている「つくる責任、つかう責任」に基づき、「2030年までに使い捨て容器の完全撤廃・脱プラスチック」を目標に設定。2027年までに、使い捨てに変わる代替手段の普及率80%を目指します。
さらに2021年1月には、県内外の企業などと協働する「大崎町SDGs推進協議会」が発足。鹿児島相互信用金庫、MBC南日本放送、株式会社そらのまち、そして合作株式会社が協働で、2030年のSDGs達成に向けた実証実験や⼈材を育成するための協議会を設⽴しました。
この「大崎町SDGs推進協議会」で大崎町に伴走するのが、合作株式会社の齊藤智彦さんと西塔大海さんです。
日本各地の地域づくりに携わってきたふたりが、なぜ大崎町に関わることになったのか。代表の齊藤さんに、お話を聞きました。
合作株式会社代表の齊藤智彦さん
齊藤さん「大崎町との出会いは、とある施設の利活用について相談がきたことが最初ですね。実際に来てみたら、役場のみなさんの雰囲気が他とは違うというか、この役場はちょっと変なことが起こっているなという印象だったんです。それで、その秘密を知りたいと思って、また足を運んで。そのときに、リサイクルの取り組みを見学させていただいたんですが、役場の松元さんが、自身の言葉として、これからの世界をどのようにしていかないといけないかを熱く語られるのを聞いて、本当に驚いたんです。大崎町の取り組みは、本当に世界の課題解決に貢献する可能性があると感じました。」
そして月に1〜2回ほど大崎町に足を運ぶようになった齊藤さんは、どんどん大崎町に惹かれていきました。
齊藤さん「役場の方のパワーなのか、住民の方のパワーなのか、どちらが先かはわからないですけど、リサイクルシステムが確立されていったことと無関係ではないだろうと。とにかく、普通はなかなかできないことをやっている。役場の方は、みんな個性があって生き生きと働いているし、住民の方は、普通にはなかなか出会えないような、言葉に力のある方がたくさんいる。みなさん、本気なんです。それで、一緒にやらせていただけませんか、とお願いしました。」
2019年1月、齊藤さんは大崎町の政策補佐監に就任。大崎町の未来のための計画づくりとして、国際戦略や人材育成、また企業とのパートナーシップについての取り組みをはじめました。
齊藤さん「『使い捨て』の社会のシステムの上でリサイクルをやるから、噛み合わないところがあるんですよね。使い捨てのものは洗うことを想定していないので、洗うにはどうしても手間がかかるところがあります。大崎町の住民にとっては、使い捨てのものをリユースできるものに代替するほうが便利になると考えています。便利という解釈がまったく異なる。そうした、ものの『入り口』のところから変えていくことも、合作の役割のひとつです。」
2020年12月には、プロジェクトマネージャーと広報PRを募集。募集記事は多くのシェアを生み、説明会にはたくさんの人が参加しました。現在では社員が4名増えて、いよいよ本格的にプロジェクトが始まります。
「大崎町SDGs推進協議会」の運営体制イメージ。現在掲げている目標の実現には、企業版ふるさと納税を活用する
「未来の大崎町ヴィジョンマップ」
齊藤さんたちが作成した「未来の大崎町ヴィジョンマップ」で示されているような、資源の循環利用、フードロスやフードマイレージの削減、再生可能エネルギーによる電力自給、教育や一次産業との連携など、ごみのリサイクルだけにとどまらない、全てのものがリユース・リサイクルされて循環する「サーキュラーヴィレッジ」の実現が、この大崎町から始まるのです。
齊藤さんに、どうして大崎町に惹かれたのか?とあらためて聞いてみたところ、こんなふうに話してくれました。
齊藤さん「あくまで僕視点ですけど、後ろめたくないんですよ、やっていることが。衛生自治会長が、『最近、ごみを分別することが楽しいんだよね』っておっしゃられたことが、僕にはすごく衝撃的で。『だってこれが、世界をよくすることにつながるでしょ?』って。それはもう、奇跡みたいな瞬間だなと思って。次の世代に対して後ろめたさがなくて、素直に『世界をよくする』と言えること、そうした実践を積み重ねている人たちが一定数いるということに、強さがあると思っているんです。僕自身にも、大崎町で仕事をしたい理由は、後ろめたくないという理由があるんだと思います。」
自分の出したごみが、その後どのように、どこへ向かうのか。
おそらく多くの人にとって、ごみは、出せば消えてしまうものだと思います。ごみ収集車が早朝に回収し、焼却場へと運ばれ、そこで燃やされてしまうから。
でも分別をすることによって、生ごみは堆肥となって畑へ戻ります。その循環の中に、地域とのつながりや、大地とのつながりが見えてくる。循環をつくることは、そのまま未来をつくることでもあるといえそうです。
文 増村 江利子